さきたま古墳群は8基の前方後円墳と1基の円墳で構成(他小円墳群跡)されている。その中で最初に築造されたのがこの稲荷山古墳(前方後円墳 全長120m)で、5世紀末である。後円部には礫槨、粘土槨の埋葬施設が確認されている。ところが不思議なことに礫槨は後円部の中心にはないのである。粘土槨などは礫槨に直交している。中心部には別に本来の主体部があるようでもある。 また、ご存じの様に銘文の入った鉄剣が検出された。言わずもがなかもしれない。銘文には辛亥年=471年に乎獲居が作らしめたとあり、獲加多支鹵大王に仕えたとある。大長谷若建命=雄略天皇(478年 宋に使者を派遣した倭の五王最後に名前が出る「武」と言われる)だ。 この鉄剣がこの礫槨から検出されたのだから被葬者は乎獲居ではないのだろうか。 当該古墳は特筆されるべく長方形で二重の周溝を持つ。この形態が何代か続いていることも見逃せない。政権中央に出仕し大王の側近として存在した集団であったろう。大王と共に倭をまとめたのではなかろうか。 近畿圏ではなく関東...
Read more稲荷山古墳金錯銘鉄剣で古墳時代でも最も有名な古墳の一つです。前方後円墳で土採りのため前方部は破壊されてしまいましたが、残存する後円部頂上から2つの主体部が発見され、うち舟形石槨から鉄剣が出土しました。 埼玉古墳群の主要な古墳であり、同時期の北武蔵地域でも代表的な古墳です。 ところで、実際に古墳に行かれた方は感じるところですが、後円部の主体部の位置に違和感を感じると思います。石槨と粘土槨の配置は古墳に直交するか主軸に沿っていないため、なぜこのような配置になったのか疑問が浮かびます。実は稲荷山古墳の本来の被葬者が埋葬された主体部が2つの主体部の他にある可能性が高いことが確認されています。地中レーダーの調査結果ですが、現状では調査される可能性は低く、鉄剣に刻まれた人物の一人...
Read more「さきたま古墳公園」に在る 歩いて登れる古墳Part2の「稲荷山古墳」です。大阪府の「百舌鳥・古市古墳群に在る有名な「仁徳天皇陵古墳」と同じ「前方後円墳」です。 規模は「仁徳天皇陵古墳」(墳丘長:525m・高さ39.8m)より少し小さいです。しかしなかなか立派なもので墳丘長:120m・高さ:12mとなっています。 階段が付いていて登れます お隣の登れる古墳Part1の「丸墓山古墳」より低いので登りも楽です。 しかし1,500年ぐらい前の古墳に歩いて登れるって凄い事だと思いませんか❓
不届き者が夜中に掘ったりしないかと心配になります。これからも管理・整備を宜しく御願いいたします。
古墳は古代人の “”お墓“” ですので、登る時は大声を出さないぐらいの気持ちが...
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