お隣の熊谷市の桜の名所、熊谷桜堤と同様に、桜の木々がクビアカツヤカミキリの幼虫被害で危機的な状況です。 成虫(真っ黒で首の部分だけ赤い大型のカミキリムシ)は6~8月に成虫になり木の中から出てきて、幹の地上1メートル以内の低い場所にいることが多いです。交尾し産卵するためでしょう。メスは太い幹の同様に低いところや幹の根元に合計1000個もの卵を産みつけます。卵はホームセンターなどで打っているブラックライトの光を当てると光るので、昼間でも日かげなら簡単に見つかるそうです。見つけたらつぶして下さい。 卵は10日ほどで孵化し、孵化した幼虫が木の中に入り、主に幹や太い枝の表面近くを食い荒らします。木の幹などの表面近くには土から水や栄養分を吸い上げる管が通っているため、そこを何匹もの幼虫に食われ穴をあけられると桜はひとたまりもなく、大木でも1~3年で枯れてしまします。幼虫がいるかどうかは、木の根元や太い枝が枝分かれしているところにフラス(おがくず状の物)がたまるのでわかります。 (幼虫駆除方法はGoogleで「クビアカツヤカミキリ 幼虫 駆除」などで検索すればいくつかの方法がわかるので検索して見て下さい。市販の殺虫剤を使うなどし、一般の人が個人でできる方法もあります。) 成虫駆除は背中を手で持てば大丈夫ですが、軍手をすればカミキリムシの短い牙ではかめませんので、念のため軍手をしたほうがいいです。捕まえたらその場で踏みつぶす、首をちょん切るなどして殺して下さい。 2025年、丸墓山古墳は頂上の桜の1本の大きな枝が咲かなくなってしまいました。熊谷市、行田市、深谷市、鴻巣市、本庄市など埼玉県北部は全国的に見てもクビアカツヤカミキリ被害がひどい地域で、丸墓山古墳の桜も元気がなく、来年はさらに枯れる木が増えてしまいそうなほど大変厳しい状況です。どうか、この大変な状況を知っていただき、駆除に協力していただけますようどうぞよろしくお願いします...
Read more「丸墓山古墳」は直径が約105メートル、高さが約18.9メートルある日本最大の円墳です。作られたのは、古墳の周囲から発掘された埴輪から6世紀の後半ころと言われています。しかし、発掘調査がされていないのではっきりしたことは判明していません。
1590年の豊臣秀吉と小田原北条氏の戦い(小田原の役)で忍城を水攻めにした石田三成が、水攻めの進行具合を確認するために「丸墓山古墳」の頂上に本陣を築いたとされています。また、駐車場側から「丸墓山古墳」へ至る道は周囲より少し高くなっていますが、これは石田三成が水攻めで築いた「石田堤」の一部だそうです。
「忍城おもてなし甲冑隊」の方は丸墓山古墳の階段が98段と数えたそうですが、ぼくが数えたら90段でした。おもしろいことに駐車場側からの階段も裏側へ降りる階段も同じ90段です。数え間違えたかな? かなり息が切れますけど、見晴らしは最高なので是非頑張って登ってみることをオススメします。さきたま古墳群で登ることができるのは、「丸墓山古墳」とお隣の「稲荷山古墳」だけです。
下記の写真にも掲載しましたが、頂上には忍城方面の説明板があります。確かに忍城が見えます。かすかですが。これが400年以上昔ならばもっともっとくっきりと見えたことでしょうね。
丸墓山古墳には謎がいっぱいです。これだけ大きな古墳が、なぜこれ...
Read more案内図にあるように埼玉(さきたま)古墳群は9基の古墳で形成されているが、そのうちのただ1基だけが円墳で、あとの8基は前方後円墳である。その1基だけの円墳が丸墓山古墳である。 まず、古墳であることより石田三成の忍城水攻めの際に陣をはったことであまりにも有名になってしまった。忍城を見晴るかす高所は周辺を探してもここしかないからな。なにせ高さ19mである。それは十分な高さであったろう。まあその話はここまでにして古墳の話に戻ろう。 古墳群形成の初期の段階で築造されているのだが、既に稲荷山古墳、二子山古墳が築造されていた。なのに何故円墳にしたのだろうか。それが疑問である。稲荷山古墳に埋葬された者の系譜があったろうに。 それと日本で1位を誇っていたのだが(径 105m)富雄丸山古墳の再調査(径86mから109mに変更)によってそれは覆されてしまった。どこからか2位じゃいけないのと聞こえてくるようだが。 当該古墳群の中では稲荷山古墳、丸墓山古墳だけは登ることが出来る。ここに登って石田三成に思いを馳せることも出来るし、「お山の大将我一人」をも味わえるぞ。また隣に並ぶ稲荷山...
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