江戸時代の八戸では、飢饉が続いて、「人を殺して食べた。」という悲しい記録があります。それほどひどい飢饉が続いたそうです。八戸では、「ケガジ」といいます。 この飢饉の様子を記したものが、いろいろな作品になって残っています。(文献、石碑、絵画など) 私は、「この飢饉を生き残ってきた人は、どうやって生き続けることができたのか?」という疑問があり、調べてみたところ、「葛の根」を掘って食べた、松の皮を煎って粉にして食べたなど、色々わかってきました。 ところが、最近の研究で、「葛の根」を掘り出すエネルギーと葛の根を食べることによって得られるエネルギーを比べると、マイナスになってしまうということがわかってきました。その研究をした先生は、無駄なことをしていたと締めくくっていました。 私は、なんだかそこに引っかかって、葛の根のことが、頭から離れませんでした。そこで、次の仮設を立てました。それは、「親が葛の根を掘り出して、子供に食べさせたのではないか。」です。 こうして考えると、「親が我が子を生き伸ばしたいという一途な思いがあった。」と考えるようになりました。だから、無駄な行為ではないということです。こういう、親が子供を愛おしいという気持ちの連続があったからこそ、生き延びた生命があったと思うのです。 この調べたことをまとめてビデオ作品として発表したことがあります。審査の先生は、「飢饉の悲惨さを調べた作品はあるけれど、生き延びる知恵に言及した作品は初めてです。」と、私のテーマを高く評価してくれました。また、作品の構成の仕方など、課題は山ほどあるよと笑っていました。 八戸には、いろいろなものを粉にした後、それを調理する料理が多くあります。「せんべい汁」「ひっつみ」など、八戸には「粉の食文化」が多くあります。ケガジを乗り越えるために親が汗を流して、命を削るように頑張って生まれたのだと考えると、感慨深いものがあります。 飢饉を乗り切ったのは、親が子供を思う...
Read more対泉院入り口向かって右側に「餓死萬霊等供養塔(1784)」があります。青森県指定文化財です。裏面には、天明の飢饉の状況や食糧相場が記されているそうです。一部、後から文字を削って読めなくした部分があります。何が書かれていたかはお察しです。 左側には「不許葷酒入山門」と書かれた戒壇石があります。「刺激性の強い食べ物や酒を持って寺内に入るな」という意味だそうです。裏面には、「対泉院領内の百姓男女308人のうち232人が餓死・病死した。これは前代未聞のことだ。後世の人は雑穀といえども蓄えておけ」と書かれてあるそうです。 弘大の調査報告書「下北・南部の飢...
Read more2016年のこと お寺の内部は杜撰だと思う。 立派で雰囲気は良いんだから、そろそろ現代の経営体制にしてもらわないと檀家が離れるよ。
2020年のこと 星1つも付けたくないけどしょーがない… 法事で使用。 コロナのご時世、境内が寒いのに全く配慮がなく寒いまま。風邪をひきました…陽性だったらどうするんだ? 墓掃除も供物もお茶も暖房も全てセルフサービスですって謳ったほうが良いですよ!お金はしっかりぼったくるのにねえ。 今度から場所だけ貸してくれない? 坊さん.comで評価が高い...
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