昔は確かに井戸跡が有りましたが、その時も大半が竹藪でした。 武田信玄が三方ヶ原の戦いの後で本陣を置いたのはこちらでは無く、1km程東方の刑部砦周辺とされます。 昔は交通の要衝であったであろう場所で、南北朝以降は斯波、井伊、近藤、今川、徳川、武田、徳川などと目まぐるしく領主が変わった場所でも有ります。 城の東は現在水田が広がっていますが、元々は浜名湖の入江や都田川の湿原で、昭和中期までは水田に入ると腰まで沈む程の場所で、イグサが盛...
Read moreよく通っていたところですが、全く意識をしていませんでした。城跡説明板は歩道からは見えるようになっていて、通りからは全然分かりません。 裏手に神社があり、そこにクルマを停めることができます。 中はものすごい竹藪の山で、全うに侵入できる状態ではありません。竹藪だけに蚊もいっぱいいるので、虫除けスプレーをしてから、気合いを入れて...
Read more今川氏の家臣の居城でした。永禄11年(1568)徳川家康の遠江侵攻の際、攻められて落城し、その後は家康の家臣が守りました。武田信玄が三方ヶ原の戦いの後、この付近に滞在しました。 都田川沿いの小さな丘に築城された城です。井戸や土塁などが残っているとのことですが、主要部は倒れた竹が重なってい...
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