いつも前を車で通っていて なんとなく新しいお寺なのかなって思っていたんですが・・・ すぐ近くの釈迦院と共にあった若王寺(釈迦院のこと)の塔頭の一つです。
若王寺は、 応神天皇のお母さん(神功皇后)が 朝鮮の王様から「お釈迦様」が持っていた「鉄鉢」を 献上されて持ち帰りましたが 当時はまだ日本に仏教が広まっておらず、 鉢塚古墳に埋められていました。
それから数百年後・・・ やがて行基菩薩が近畿行脚の際にこの地に訪れ1泊した時に 観音菩薩が夢に現れて、鉄鉢が埋蔵されているとお告げがあり 目が覚めたあと、すぐにその地を発掘したところ鉄鉢を発見。 ことの重大さに、驚いて早速朝廷に報告したところ 天皇の勅願により若王寺(にゃくおうじ)の寺号を賜り 素晴らしいお寺が建てられたということです。 この石造りの鉄鉢は今でも釈迦院の宝物とされています。
一乗院はその塔頭として行基が開き その後814年に弘法大師が留まり、 本尊 雨宝童子・春日竜神の像を彫られて祀られたと伝わっていますが 現在の研究ではどうも弘法大師の作ではないとされています。
一乗院にある仏像は全て池田市の文化財に指定されています。 仏像の拝観は一定の期間のみ公開となっております。
1573年に織田信長の兵火により焼失 1638年に秀英より再興され、 1834年には快竜により復興しています。
【本堂】 本尊 木造 聖観音立像(藤原時代) 脇待 木造 多聞天(毘沙門天)立像 (藤原時代) 脇待 木造 春日竜神立像 (室町時代)
「融通尊堂」は どんなことでも融通してくださる仏様として多くの方がお参りに来られます。 少し中が見えましたが本当にある意味ちょっと不気味な雰囲気でした。
本尊 木造 雨宝童子立像 (鎌倉時代)
そして境内には「石田三成軍旗塚」というのがあります。 関ヶ原の合戦で徳川家康に大敗して捕らえられ 1600年に京都で斬首されました。 その三成の側室が生んだ子供「千代丸」が乳母によって軍旗に包まれ 尊鉢村まで落ち延びて隠れ住んだそうです。 その後は石田四郎右衞門と名乗り1646年亡くなったようです。 軍旗...
Read more一乗院(いちじょういん)は、大阪府池田市鉢塚にある高野山真言宗の仏教寺院。
神亀元年(724年)、聖武天皇の勅願により建立された若王寺の塔頭の一つで、行基菩薩の開基。天正元年(1573年)織田信長の兵火にかかり焼失。寛永15年(1638年)に秀英より再興され、天保5年(1834年)に快竜により復興。
石田三成軍旗塚 昭和36年12月建立。石田三成の遺児千代丸が遺臣や乳母に軍旗に包まれてこの里に落ち延び、享和元年(1801年)に末商・大和屋彦兵衛がこの軍旗を菩提寺の一乗院に収めたという。 (Wikipediaより)
伺った際は本堂らしき場所が大規模工事中でした。 御朱印をお願いしたら非常に丁寧な御対応頂きました...
Read more「石田三成軍旗塚」として有名。三成の遺児千代丸が乳母や遺臣と尊鉢村に隠れ住んだと伝えられ、このあたり石田姓が多い。この寺は釈迦院と共に若王寺の塔頭の一つである。行基創建。その後弘法大師が雨宝童子を彫り、本尊としたと伝えられている。雨宝童子は「融通尊」として「どんな事でも融通して下さる仏様」として信仰されている。一乗とは「これしかない」という仏の悟りを意...
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