尊鉢と言われる由来は・・・ 応神天皇のお母さん(神功皇后)が 朝鮮の王様から「お釈迦様」が持っていた「鉄鉢」を 献上されて持ち帰りましたが 当時はまだ日本に仏教が広まっておらず、 鉢塚古墳に埋められていました。
それから数百年後・・・ やがて行基菩薩が近畿行脚の際にこの地に訪れ1泊した時に 観音菩薩が夢に現れて、鉄鉢が埋蔵されているとお告げがあり 目がが覚めたあと、すぐにその地を発掘したところ鉄鉢を発見。 ことの重大さに、驚いて早速朝廷に報告したところ 天皇の勅願により若王寺(にゃくおうじ)の寺号を賜り 素晴らしいお寺が建てられたということです。 この石造りの鉄鉢は今でも釈迦院の宝物とされています。
その後、織田信長、や荒木村重の戦乱の兵火によって消失しましたが 1589年に伝承上人が「釈迦如来」を本尊として 「釈迦院」が復興されました。
また、鐘楼には池田で最も古い梵鐘が架けられています。 これは江戸初期3大将軍「家光」の頃 1632年に鋳造された鐘で、もと久安寺にありました。 池田市の指定文化財となっています。
釈迦院は美しく整備された気持ちの良いお寺です。 是非お参りください(^_^)/ 最後までお読みいただきましてありがとうございました。 あなたにたくさ...
Read more寺伝によれば、神功皇后が百済より釈尊の仏舎利多羅宝鉢を得て凱旋し、仏教がまだ広まっていないので、仲哀天皇の御代、散逸を恐れて鉢塚に隠した。 その後、行基が霊夢により石窟より仏舎利を掘出し、聖武天皇の勅命で精舎を建立。また、行基は自ら観音菩薩・不動明王・毘沙門天像を刻して仏舎利とともに安置。寺を鉢多羅山若王寺釈迦院と号し、村を尊鉢と名づけ、斎田300石を賜った。 天正年間(1573年 -...
Read moreVery nice and tranquil temple. Quite impressed by its size and the fantastic architecture, especially...
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