伊居太神社
いけだじんじゃ
大阪府池田市綾羽2丁目4−5
祭神
穴織大明神(あやはとりだいみょうじん)
応神天皇
仁徳天皇
応神天皇の時,機織り技術を 得るため阿知使主(あちのおみ) 都加使主(つかのおみ)父子を呉国に 派遣した
使主とは渡来系官僚
なお呉国とは中国春秋時代の 呉越の呉ではなく半島の 百済をさすもの思われます
織姫の4姉妹が迎えられましたが そのうちの一人の 穴織媛(あやはとりのひめ) が池田に迎えられ技術を伝承しました
穴織大明神(あやはとりだいみょうじん)とは 穴織媛の事です
呉服媛(くれはとりのひめ)の妹です なお呉服媛は呉服神社の祭神です
5世紀には当地域は先進地域で 中国南宋、半島からの技術導入に 熱心でした
異国に参り来た姫の望郷の念 如何ばかりであったか
末社に為那都比古神社あり
なお池田の地名はこの時代から ありました池田の漢字が使われたのは 日本南北朝時代の北朝の応援の 為、美濃国から池田氏が応援に 来た時以来と言われております
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Read more機織り技術の伝来に関連する由緒ある落ち着いた神社です。 南にある神社参道の階段登り口に、石の台座部分だけが残されています。石灯籠か狛犬か、もしかしたら鳥居が建っていたのかもしれません。その台座には「五軒問屋」と刻まれています。五軒問屋とは江戸時代、大坂・伏見町で長崎からの輸入反物を扱う特権を持った商人たちのことだと思われます。 反物や生糸など繊維関係の商品を扱う商人たちが、機織りの神様を祀る神社へ石灯籠などを奉納したのでは、と勝手に想像しています。
訪れたのは5月ですが、参道の階段途中にテイカカズラが咲き芳しい香りが漂っていました。
境内に上がると社殿、拝殿、能舞台、山門などがありました。瓦にはひょうたんの絵柄も見られ、豊臣秀頼によって再建されたエピソードに関係するのでは、と、またまた想像力が働く楽...
Read moreざっくり言うと、応神天皇の時代にそれまで国内に衣服裁縫の技術が乏しかった時代に優れた縫工女がいるとされた呉(三国志の呉)から何人か連れてこようという話になって呉を目指すのだけれども道が分からない。そこで高麗王にお願いして道案内をつけてもらい、無事到着。この時の道案内二人「久禮波・久禮志」の名前から「呉波(くれは)」がきているんだとか。
で、来てもらった4人のうち3人がこの摂津国に入って、うち2人がそれぞれ伊居太神社と呉服神社で裁縫技術の伝達に尽力。最後の1人の詳細は不明とのこと。
そんなこんなでその功績を称えて、この伊居太神社では応神天皇・仁徳天皇と並んで穴織大明神をお祀りし、呉服神社では仁徳天皇と呉服大明神...
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