浄慶寺秋葉大権現由来
当山の鎮守、三尺坊秋葉大権現は遠州犬居村(現在の浜松市天竜区春野町)、大登山秋葉寺に祀られていた尊像と同じく、行基菩薩の作と伝えられており、慶長年間よりこの地を知行していた旗本三井家によって勧請されたもので、その本地本尊は十一面観世音菩薩である。三井家の祖先、三井吉盛は元々武田氏の家臣山縣昌景に仕えていたが、武田氏滅亡後徳川氏の麾下となり、天正十二年(1584)、小牧長久手の役に出陣し力戦の果て討死した。その子吉正は父の武功を留め、追福作善のため、元和元年(1615)、領地であった上麻生村に一寺を創建し、吉盛の法名(譲誉道本居士・寿光院殿清誉浄慶大居士)から浄慶寺と名付けたと伝えられる。
旗本三井家は当初、都筑郡の他に遠州城東郡にも知行地があったが、宝曆十三年(1763)、遠州の領地が相良藩主田沼意次の所領となったことから同国志太郡に采地を移された。その際、元領地、城東郡比木村にあった秋葉大権現を浄慶寺の境内に遷座し、領地の村に火防厄難消除、五穀豊穣諸民安穏をもたらす神として祀ったもので、古くから信仰をあつめ、永きにわたり〈お日待ち講〉として毎年大祭が営まれてきた。なお、三井吉正の母(正栄院・お牟須の方)は夫(吉盛)の死後、天正十五年に家康の側室として大奥に上がったが、その際幼い吉正も同じく大奥に召し置かれた。成長の後、家康公の側に近侍し、天正十八年(1590)、家康が関東入府の折、増上寺十二世、存心上人(観智国師) と師檀の契約を結んだ際、御供をしていた吉正に、汝もこの寺を代々の菩提寺となすべきよし、との仰せを賜ったといわれ、寛永二年(1625)に逝去の際には増上寺に葬られた。
(法名見樹院殿勇嘉道徹居士) 麻生山...
Read more近くのラーメン屋に来たので、ぶらりと散歩がてら訪問です。
入口には「日本昔ばなし」調の寺の案内図。
中にはやはり「日本昔ばなし」調の沢山の阿羅漢像。 (今の世相を反映する、コロナワクチン接種している像や、アマビエの絵?を抱えた像なども有りました)
おかしろいといえば…おかしろい。 シリアス派の方々はどう評価するかは分かりませんがね。
でもね、このお寺 徳川将軍家(家康の生母・於大の方)の菩提寺である東京文京区小石川の「傳通院」から、代々尼僧が派遣されているらしく…徳川家菩提寺と縁が深い様ですがね。
創建は元和元年(1615年)江戸時代初期。ですが…
草創は麻生の在地領主(在地豪族)である三井氏の三井左衛門慰が、戦国時代の天正10年(1584)「小牧・長久手の戦い」にて徳川方で戦没した父の菩提を弔う為に開創したと伝わるそうです。 (戦国時代はこの麻生区辺りは北条氏の支配下では?と思い調べたところ、1584年はギリギリ徳川の支配下範囲の様です。丁度北条氏との国境あたり。武田氏は既に滅亡しています)
お寺の敷地内には「秋葉大権現」という神社も有ります。 のんびりした良いお寺でしたよ、自分にとっては。
別名は「あじさい寺」であじさいの時期は賑わう様です。 駐車...
Read moreOne of my favorite temples ever! Has a beautiful garden full of small statues of monks, some of them engaged in modern activities like using cell-phones...
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