La personne enterrée ici est un cousin plus âgé du prince Shotoku, mais il n'a pas succédé au trône après son père. Il a vécu dans cette région vallonnée, un peu loin d'Asuka, comme son port d'attache et n'est pas apparu au centre de l'histoire. Cependant, sa petite-fille et son fils ont finalement donné naissance aux futurs empereur Tenchi et empereur Tenmu, qui ont créé une histoire mouvementée du 7ème siècle qui a été transmise aux générations futures. De plus, le mont Ikoma était clairement visible d'ici dans la même direction nord-ouest que...
Read more丘陵の奥部にある直径約60メートルの大型円墳で、墳丘は三段築成で造られ、二段目に横穴式石室が開口している。玄室(げんしつ)の長さ6.7メートル、幅3.3メートル、高さ4.5メートル、羨道(せんどう)の長さ10.4メートル、幅1.8メートルで、全長17.1メートルを測る大型石室である。玄室内には奥壁に沿って横向きに刳抜(くりぬき)式の家形石棺が安置され、その手前には組み合わせ式の家形石棺が置かれていたと考えられている。
石棺は、ともに大部分が破壊されていたが副葬品は意外に多く残されていた。装身具類は金環(きんかん)、金銅製山梔玉(くちなしだま)、ガラス小玉、粟玉(あわだま)が、馬具は木心鉄地金銅張の壺鐙(つぼあぶみ)や、縁金具のある障泥(あおり)、心葉形の鏡板(かがみいた)と杏葉(ぎょうよう)等が二組分出土してる。武器は、銀装の大刀と400本近い鉄鏃(てつぞく)があり、羨道に集中していた容器類のなかには、木心の金銅張容器と総数58点の須恵器があった。
古墳時代後期末葉の古墳で、舒明天皇の父である押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ)の成相墓(ならい...
Read more押坂彦人大兄皇子の陵墓と目されていますが、宮内庁が陵墓に指定していないため石室への立ち入りが可能です 石室は巨石で組まれ天井が高く圧巻です かなり壊されていますが 石室の最奥にくり抜き式家形石棺が見学できます 石棺のフタはかなり削られていますが 六つの縄掛け突起があります 現存していませんが、もう一つ組み合わせ式の石棺が追葬されていたとのことです
春と秋に一般公開があり、地元のガイドさんの説明を受けながら石室内を見学できます とても丁寧に説明していただき 立派なパンフレットももらえてありがたかったです 一般公開は予約不要です
一般公開以外、普段は施錠されていすが、事前に広陵町のホームページから見学申込みをすると鍵を開けてもらえるようです
押坂彦人大兄皇子は敏達天皇の皇子で、 自身は即位していませんが 子が舒明天皇、孫が斉明天皇、天智天皇と 現在の皇室につながる方です 桜井の赤坂天王山1号墳と石室の組み方が似ており、同じ集団が作った古墳と考えられています 赤坂天王山はおじに当たる崇峻天皇の...
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