国特別史跡 2023年9月中旬、松坂城周辺探訪の際に行きました。 松坂城隠居丸にあり、「本居宣長記念館」の展示の一つのため見学は有料です。 中は一階は見学できますが、書斎があった二階は不可で屋外から眺めることはできます。 なぜ現地ではなくこちらにあるかというともともと商業地の魚町にあったのですが、1893年の「明治の松阪大火」で町の中心部が火の海になったことにより保存するには移築した方がよいとの判断になったからだそうです。 また入口の説明板には ————————————————————— 特別史跡「鈴屋」 この「鈴屋」は、江戸時代中頃の国学者本居宣長が、その少年時代より没するまでの、生の大半をすごした家です。 木綿などを商った宣長の祖先によって、職人町に隠居屋敷として建てられたこの家は、宣長の頃には魚町に移されていました。したがって当時の松阪の商家とは、いささか構造が異なり、坪庭を中の間の前に配した独特の造りとなっています。 この家に宣長が母と兄弟と共に移り住んだのは、父のなくなった翌年十二歳の時で、二十八歳からは、通りに面した「店の間」で医業をひらき、夜は奥中の間などで古典講釈や歌会をしたと伝えられています。 「古事記伝」の執筆も半ばをすぎた天明三年五十三歳の折、先生は二階の物置を改築し、四畳半の茶室書斎とします。三十六個の小鈴を赤い緒で連ねた柱掛鈴をかけ「朝夕に取出づる書」の一字ずつをとった十二の本箱を置いたこの部屋は、やがて「鈴屋」とよばれ、その名称は宣長の学問と共に全国に喧伝されたのです。 その床には、師賀茂真淵の忌日になると、「県居大人之霊位」(真淵先生の御魂)と自分で書いた軸をかけ、厳しかった亡き師をしのんだと伝えらています。 この家のあった魚町は、参宮街道に近い、当時の松阪の商業の中心で、向いには豪商「長谷川邸」(現存)もありました。宣長の没後も子孫はこの家に住んでおられましたが、明治四十二年当主本居清造翁の英断をもって、保存と公開のため松阪城跡の現在地に移築され、若干の復原をおこない現在に至っています。 ————————————————————— とあり 派手さはないものの、家族で暮らすには適度な広...
Read more日本の国史学者だった本居宣長さんが1680年頃に建築された木造住宅のご自宅ですが通称鈴乃屋といわれています。
1680年・・・といいますと340年前。築後340年の家がこの目でみられますというのがそれだけで一見の価値があります。近所の魚町から移築されて今はお城の上にあるのです。
「皆の者!控え控え~! ここに追わす建物をどなたと心得おる? 築340年の純和風木造建築にあらせられる。皆の者!頭が高い!控えおろう!」
と100年使っていたらヒビだらけのコンクリ―ト住宅も錆がくる鉄骨住宅もまっさおの木造住宅です(笑)。まあ・・奈良の法隆寺なんか1000年だそうですがね。
僕は音楽好きなのでいいますが、340年というと・・あのドイツのベートーベンよりも、それからバッハよりも、もっとずうっと前でカノンを作ったパッフェルベルが生きていた頃ですからずいぶん昔の時代で、世代でいえばもう十数世代前のお父さんお母さんの時代です。そんな前の建物がこの松坂市のお城の上に建っていますので伊勢参りで来られたかたは一度立ち寄られていいのではないでしょうか。
なんだか狭い茶室のような空間がありましたが・・・パソコンもない、車もない、電気もない時代に、詳しく歴史を研究された方がここで仕事をされていたのかと思うと・・・すごいですね。たった一冊の彼が書いた古事記についての書物がその後の日本そのものを大きく動かしてしまうほどの影響があったわけですからね。
この日本を日本たらしめているのはたった二人しかいない国史について語った作家でしょう。最初に古事記原文を書いた皇室にいた大昔の人、そして二人目はその古事記を世に紹介し、きちんと説明したこの本居さんの二人だけだといってよいので...
Read more国指定史跡の松坂城址内にある国指定特別史跡で、国学者の本居宣長が研究に没頭した旧居の跡となります。高名ではあっても町医者で市井の学者でしかない宣長が城内に居を構えていたわけもなく、この場所に建物が移築されたのは明治四二年です。 宣長の実家は江戸店持ちの豪商だったのですが、宣長の父が亡くなり、義兄が店を継いだころから家運が傾き始めます。母に連れられて祖父の隠居所に移り住んだ宣長は、京都に留学していた一時期をのぞき、生涯をそこで暮らします。商才に欠ける宣長は京都で医術を修めると共に、王朝の文化にふれてあこがれを強めます。義兄の死後、宣長は家を継いだものの店はたたみ、昼を町医者として生業をたてて、夜は古典と古語の研究に没頭します。宣長が五三歳の時に二階の物置を改造して書斎としました。秘密基地とか好きそうな感じで親近感がわきます。鈴の蒐集家であった宣長は、執筆の合間に鈴を鳴らしてその音を楽しみ、書斎を鈴屋とよんで悦に入っていたそうです。意外と茶目っ気がありそうで、やはり親近感がわきます。 建物そのものは生活感の染みついた普通の古民家です。予備知識なしに、ここで日本の思想史の新たな潮流が確立されたと認識するのは、無理と言うよりは無茶です。しかしながら実際にそうであるわけで、史跡を訪れる楽しみを実感できます。 一点、ものすごく残念なのは、数々の著作を生み出す現場であった鈴屋を見学できないことです。いろいろと制約があるのはわかるものの、期間限定&追加料金であっても、機会を...
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