Yuzuki Castle Ruins
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2024年7月初訪問。 某歴史シュミレーションゲームではおなじみのお城。なので戦国マニア兼某歴史シュミレーションゲームファンの私にとっては松山城より湯築城のほうが親近感あります。だって松山城は戦国時代がほぼ終わってからの築城で某歴史シュミレーションゲームでは「大坂の陣」あたりの戦国時代末期のシナリオくらいでしか出てきませんもんね。その点、湯築城はバリバリ戦国時代だった頃のお城ですから「信長元服」「尾張統一」「桶狭間合戦」「信長包囲網」などなどありとあらゆるシナリオで登場します。 そんな湯築城は、現在、道後公園という名の公園になっており、市電でいうと道後公園前停留所が最寄りですが、道後温泉駅からも徒歩5分かかるかかかならいかくらいの近距離にあります。 なので湯築城の「湯」は道後温泉のことかもしれませんね。また、かつては「湯付城」とも書かれていたらしく、元々は「道後温泉に付属する城(道後温泉にある城)という意味だったのかもしれませんね。 さて、湯築城は、この辺の地域を少なくとも平安末期から安土桃山時代まで約400年は支配していた河野さんという地方豪族の本拠地。1335年に河野家第27代当主の河野通盛さんが作ったそうです。27代目ってすごい! ところどころで当代の当主が時代の趨勢を見誤ったり、御家騒動があったり、近隣の他勢力との抗争があったりして、この湯築城も一時は敵対勢力に奪われたりもして、決して順風満帆ではなかった河野家の伊予支配ですが、それでも数百年に渡り当地で生きながらえてきた河野家はスゴイです。しかし1585年、羽柴秀吉さんの命を受けて侵攻してきた毛利元就さんの三男の小早川隆景さんに降伏したことで河野家は伊予国から追われ、滅亡してしまいます。そして2年後の1587年には湯築城も廃城となり、1602年、加藤嘉明さんの松山城築城により当地の中心は松山城へと移ることとなります。 お城の現在の正面入口といえる市電側は、現役時代は搦手門(お城の裏口)があった場所。「湯築城」と書かれた大きなのぼりが2つ立てられていて、城跡という雰囲気を盛り上げています。 堀や土塁や屋敷跡がきれいに復元されており、現役当時のイメージがしやすい環境となっています。 城の規模としては大きくなく、二重の堀や土塁があっても堅牢という感じはあまりしません。中世の地方豪族の居城という範ちゅうを出ないスケールだなぁと感じます。そりゃあこの程度の大きさの城では地方の小勢力同士の抗争には対応出来ても中央から羽柴軍みたいな大軍勢に来られたらひとたまりもなかっただろうな、と思います。だって二の丸や三の丸的なものもあるようなないような感じですから。 いわゆる本丸跡と思しき城跡で最も高いところには展望台があります。ふもとからそんなに時間はかかりません。なんせ小さな城跡ですから。展望台からは松山市街が一望でき、後輩の松山城もよく見えます。なぜ河野さんは松山城のある勝山に元々城を作らなかったのかな?などという疑問が湧いてきます。あちらの方が攻めにくい城を作れそうです。 屋敷跡にある湯築城資料館も訪れました。 松山城と違って、湯築城跡を訪れる人なんて城マニアか戦国マニアしかいないでしょうから展示内容はもっとマニアックにしても良いのでは?と思いました。 それにしても松山に来て思うのは地元の皆さんの河野さんへの興味のなさ。 松山の皆さんは基本的に加藤嘉明さん推しなんですね。確かに加藤さんは四国最大の城郭と呼ばれる松山城を作った偉人ではありますが、在松山の期間はたった20数年ほど。かたや湯築城の河野さんは数百年もの間、この地に根付いてきたのに知名度は今ひとつ。「継続は力なり」とは言いますが、歴史に関してはそうとも限らないんだなぁと。 河野さんは数百年もの間、この地に根付いてきたと言えども、やったことといえば細川だ西園寺だ土佐一条だ、まあ頑張っても大友だ毛利だという程度の地域紛争への介入だけ。かたや加藤さんは伊予に来て、関ヶ原で勝ち馬に乗ってからは領地加増で松山築城、松山という地名も作り、城下町も作りと見事な伊予サクセスストーリー。やっぱり加藤さんのほうがインパクトありますからね。歴史はインパクトが好きなので河野さんの出る幕はないということで… 考えてみれば岐阜なんかもそうですよね。 長年美濃守護として君臨していた土岐さんやMr.下剋上 斎藤道三さんを抑え、岐阜の皆さんは10年ほど岐阜城を本拠にしただけの織田信長さん推しですからね…岐阜駅前の金の信長像がそれを物語っています…
ぴこままこぴぴこままこぴ
20
松山の中世史が勉強できて面白かった。資料館に絶対に寄るべし❗ 12世紀後半の源平合戦壇之浦の戦いで活躍した河野氏の居城。1585年豊臣秀吉の命を受けた小早川氏による城包囲を受けて降伏するまで伊予地方の大名を400年近く続ける。 といえば、松山市民にとってもっとも親しみのあるお殿様かと思いきや、やはり松山城~松平様のほうが有名とのこと。笑 が、近年の発掘により河野氏の事績が明らかになり見直しも進んでいる。 お城は二重の水堀、家臣団の武家屋敷、掘り掘削跡、展望台、湯釜などありなかなか楽しめた。 湯築城は、古い文献では湯付城と書いてあるものもあり、古くから「湯が出るお城」だったのかもしれない。 道後温泉は目と鼻の先だ。 この河野氏、(来島)村上水軍(来島、能島、大島三派の一つ)を従え、壇之浦では源氏方として大活躍、源頼朝、北条とともに宴席を囲み、鎌倉幕府重臣並みの待遇を受けた。家紋の三本引は、お膳の中に三本引を表している。 その後承久の変では天皇方につき敗れたが、息子は幕府方につき、以降の河野一族繁栄をもたらした。 元寇の際は、福岡に築いた土塁の前に1人(一族)出て河野一族だけが勇敢に立ち向かったとも言われている。 もう少し日が当たっても良いかもしれない。
フ-フ-
70
とてもよく整備された城跡である。 立派な建造物や石垣が残っているわけでは ないが郭がしっかりと残っている。 お濠やら土塁が整備されており綺麗。 説明板やら案内図も随所に設置されており スムースに登城できた。 湯築城資料館はかなりこじんまりとした資料館 ではあるが内容は秀逸。 訪問時にはまず立ち寄るがよい。 武家屋敷1、2と再現されておりわかりやすい。 一乗谷朝倉氏遺跡並に整備されており驚いた。 ほかに、池なども遺構に基づき再現されている。 主郭部には現在展望台が建っておりそこから の眺めはかなり良い。 城跡であることの証左でございましょう。 全体的にゆっくり周っても60分あれば ほとんど見渡せる規模。 展望台に行く道程で段があるがそのほかの箇所 は大抵フラットで周りやすい。 全体的に城跡公園としてよく整備されており 心地良い空間であった。 散歩、散策がてら気軽に訪問できる城跡である ことに異論を挟む余地はないと断言できる。
くまさまくまさま
50
湯築城跡:ゆずきじょう(日本100名城) 愛媛県松山市道後公園内 1335年伊予国守護、河野道盛築城 以降、小早川隆景→福島正則が城主となる 1587年福島正則が国分山城に居城を移した為廃城となる 2枚目、湯築城資料館。湯築城や河野氏の歴史紹介や、発掘調査の遺物が展示されています な、なんと無料です! 3枚目、資料館にある猫の足跡付き皿 世界に1つだけの皿〜♪ 4枚目、石造湯釜。道後温泉の湧出口に設置する物で明治時代(1894年)まで使われていたそうです 5.6枚目、武家屋敷、河野氏時代の家臣や上級武士が住む住宅を再現 7.8枚目、展望台からの景色 7枚目よ〜〜〜く見ると、松山城があります。 お城が好きな方はご存知と思いますが、ヒントはロープウェイです
MAGIMAGI
10
日本100名城の1つですが、松山城(伊予国)があまりにも有名で、以前は道後温泉本館まで行ったのですが素通りしてしまい後悔しました。 今回は九州城廻りの後、大洲城跡と湯築城跡を廻りくるま旅は続きます。 駐車場は道後公園の西側にあります。搦手門(からめてもん)から入り右側の湯築城資料館に入館しました。無料の資料館ですが、大画面の説明用動画が見れますので先に見てから城跡内を散策すると便利です。 公園内に武家屋敷の復元や内堀土塁、遮蔽土塁、土塁内部の構造がわかる土塁展示室などがあります。 あいにくの雨で展望台(山頂部比高31m)までは行きませんでしたが、公園を反時計廻りに歩き約1時間の観光でした。
袖師丸かいり袖師丸かいり
70
14世紀前半に伊予国守護・河野氏によって築かれた平山城で、国指定史跡。「日本100名城」にも選出されています。自然の丘陵部を主郭に用い、内堀と外堀の二重の堀と土塁を周囲に巡らせた縄張りは壮観です。平野部にある城でこれだけ原形をとどめているのは希少です。天正13年(1585)小早川隆景に攻められて落城し、河野氏一族は離散し、まもなく廃城になりました。現在、城跡は道後公園になっていて、資料館もあります。交通機関を使う場合は、松山駅から路面電車に乗り20分で道後公園前に着きます。駅前が旧搦手門で、つまり現在の城跡公園のメインの入場口です。
伊勢守伊勢守
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Basic Info
Address
1 Dogokoen, Matsuyama, Ehime 790-0857, Japan
Map
Phone
+81 89-941-1480
Call
Website
city.matsuyama.ehime.jp
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Reviews
Overview
3.9
(317 reviews)
Ratings & Description
cultural
outdoor
family friendly
Description
Yuzuki Castle was a former Japanese castle located in the city of Matsuyama, Ehime Prefecture, Japan. During the Muromachi period, it was the stronghold of the Kōno clan, who ruled Iyo Province under the Muromachi shogunate. The ruins of the castle were area designated a National Historic Site.
attractions: Dogo Onsen Main Building, Dōgo Onsen Annex Asuka-no-Yu, Ishiteji Temple, Isaniwa Shrine, Botchan Karakuri Clock, Funaya, Dogo Park, Yamatoya Honten, Dogo-Kan, Dogo Onsen Tsubakinoyu, restaurants: Chaharu, Daikokuya Dogoten, Dogo Uotake, Starbucks Coffee - Dogo Onsen Station Building, Dogo no Machiya, Dogo Beer Hall, 元祖 宇和島鯛めし 丸水(がんすい) 道後店, KINBEI, ラーメン NORI, Shirasagi Coffee
