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Yuzuki Castle Ruins — Attraction in Matsuyama

Name
Yuzuki Castle Ruins
Description
Yuzuki Castle was a former Japanese castle located in the city of Matsuyama, Ehime Prefecture, Japan. During the Muromachi period, it was the stronghold of the Kōno clan, who ruled Iyo Province under the Muromachi shogunate. The ruins of the castle were area designated a National Historic Site.
Nearby attractions
Dogo Park
1 Dogokoen, Matsuyama, Ehime 790-0857, Japan
The Shiki Museum
1-30 Dogokoen, Matsuyama, Ehime 790-0857, Japan
Botchan Karakuri Clock
6-7 Dogoyunomachi, Matsuyama, Ehime 790-0842, Japan
Isaniwa Shrine
173 Sakuradanicho, Matsuyama, Ehime 790-0838, Japan
BOTCHAN TRAIN
7 Dogomachi, Matsuyama, Ehime 790-0842, Japan
Dogo Onsen Sky Walkway & Footbath
4-30 Dogoyunomachi, Matsuyama, Ehime 790-0842, Japan
Dōgo Onsen Annex Asuka-no-Yu
19-22 Dogoyunomachi, Matsuyama, Ehime 790-0842, Japan
Yu Shrine
4-4-10 Dogoyunomachi, Matsuyama, Ehime 790-0842, Japan
Dogo Onsen Tsubakinoyu
19-22 Dogoyunomachi, Matsuyama, Ehime 790-0842, Japan
Enman Temple
4-49 Dogoyuzukicho, Matsuyama, Ehime 790-0837, Japan
Nearby restaurants
Il Positano
Japan, 〒790-0842 Ehime, Matsuyama, Dogoyunomachi, 1−26 オーベルジュ道後内
IYO SHOKUDO OTORA
3-15 Dogoyunomachi, Matsuyama, Ehime 790-0842, Japan
Ramen Nori
1-38 Dogoyunomachi, Matsuyama, Ehime 790-0842, Japan
Shirasagi Coffee
12-1 Dogoyunomachi, Matsuyama, Ehime 790-0842, Japan
Dōgo Tsubaki Club
2-7 Dogoyunomachi, Matsuyama, Ehime 790-0842, Japan
Chaharu
4-4 Dogoyuzukicho, Matsuyama, Ehime 790-0837, Japan
Taimeshi Restaurant Akiyoshi
Japan, 〒790-0842 Ehime, Matsuyama, Dogoyunomachi, 12−34 2F
Dogo Inari Sushi Yunoya
3-10 Dogoyunomachi, Matsuyama, Ehime 790-0842, Japan
味倉
Japan, 〒790-0842 Ehime, Matsuyama, Dogoyunomachi, 12−32 大沢ビル
BIZ:MM(ビズム)
Japan, 〒790-0843 Ehime, Matsuyama, Dogomachi, 1 Chome−5−32 セラビル 2F
Nearby hotels
Funaya
1-33 Dogoyunomachi, Matsuyama, Ehime 790-0842, Japan
Nigitatsu Conference Hotel
118-2 Dogohimezuka, Matsuyama, Ehime 790-0858, Japan
Auberge Dogo
Japan, 〒790-0842 Ehime, Matsuyama, Dogoyunomachi, 1−26 オーベルジュ道後内
Umenoya
2 Chome-8-9 Kamiichi, Matsuyama, Ehime 790-0853, Japan
KKR Dogo Yuduki
1 Chome-7-37 Iwasakimachi, Matsuyama, Ehime 790-0854, Japan
Ooedo Onsen Monogatari Dogo Onsen
112番地1 Dogohimezuka, Matsuyama, Ehime 790-0858, Japan
Cinnamon
4-50 Dogoyunomachi, Matsuyama, Ehime 790-0842, Japan
Hotel Nakayama
4-53 Dogoyunomachi, Matsuyama, Ehime 790-0842, Japan
Hotel Patio Dogo
20-12 Dogoyunomachi, Matsuyama, Ehime 790-0842, Japan
Yamatoya Honten
20-8 Dogoyunomachi, Matsuyama, Ehime 790-0842, Japan
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Keywords
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Yuzuki Castle Ruins
JapanEhime PrefectureMatsuyamaYuzuki Castle Ruins

Basic Info

Yuzuki Castle Ruins

1 Dogokoen, Matsuyama, Ehime 790-0857, Japan
3.9(322)
Open 24 hours
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Ratings & Description

Info

Yuzuki Castle was a former Japanese castle located in the city of Matsuyama, Ehime Prefecture, Japan. During the Muromachi period, it was the stronghold of the Kōno clan, who ruled Iyo Province under the Muromachi shogunate. The ruins of the castle were area designated a National Historic Site.

attractions: Dogo Park, The Shiki Museum, Botchan Karakuri Clock, Isaniwa Shrine, BOTCHAN TRAIN, Dogo Onsen Sky Walkway & Footbath, Dōgo Onsen Annex Asuka-no-Yu, Yu Shrine, Dogo Onsen Tsubakinoyu, Enman Temple, restaurants: Il Positano, IYO SHOKUDO OTORA, Ramen Nori, Shirasagi Coffee, Dōgo Tsubaki Club, Chaharu, Taimeshi Restaurant Akiyoshi, Dogo Inari Sushi Yunoya, 味倉, BIZ:MM(ビズム)
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Reviews

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Dogo Park

The Shiki Museum

Botchan Karakuri Clock

Isaniwa Shrine

BOTCHAN TRAIN

Dogo Onsen Sky Walkway & Footbath

Dōgo Onsen Annex Asuka-no-Yu

Yu Shrine

Dogo Onsen Tsubakinoyu

Enman Temple

Dogo Park

Dogo Park

4.1

(880)

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The Shiki Museum

The Shiki Museum

4.1

(327)

Open 24 hours
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Botchan Karakuri Clock

Botchan Karakuri Clock

4.1

(893)

Closed
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Isaniwa Shrine

Isaniwa Shrine

4.2

(964)

Open 24 hours
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Things to do nearby

Private Japanese Tea Ceremony at Castle Garden
Private Japanese Tea Ceremony at Castle Garden
Mon, Dec 8 • 12:30 PM
790-0008, Ehime, Matsuyama, Japan
View details

Nearby restaurants of Yuzuki Castle Ruins

Il Positano

IYO SHOKUDO OTORA

Ramen Nori

Shirasagi Coffee

Dōgo Tsubaki Club

Chaharu

Taimeshi Restaurant Akiyoshi

Dogo Inari Sushi Yunoya

味倉

BIZ:MM(ビズム)

Il Positano

Il Positano

3.7

(243)

$$

Closed
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IYO SHOKUDO OTORA

IYO SHOKUDO OTORA

3.9

(183)

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Ramen Nori

Ramen Nori

4.1

(199)

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Shirasagi Coffee

Shirasagi Coffee

4.1

(225)

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ぴこままこぴぴこままこぴ
2024年7月初訪問。 某歴史シュミレーションゲームではおなじみのお城。なので戦国マニア兼某歴史シュミレーションゲームファンの私にとっては松山城より湯築城のほうが親近感あります。だって松山城は戦国時代がほぼ終わってからの築城で某歴史シュミレーションゲームでは「大坂の陣」あたりの戦国時代末期のシナリオくらいでしか出てきませんもんね。その点、湯築城はバリバリ戦国時代だった頃のお城ですから「信長元服」「尾張統一」「桶狭間合戦」「信長包囲網」などなどありとあらゆるシナリオで登場します。 そんな湯築城は、現在、道後公園という名の公園になっており、市電でいうと道後公園前停留所が最寄りですが、道後温泉駅からも徒歩5分かかるかかかならいかくらいの近距離にあります。 なので湯築城の「湯」は道後温泉のことかもしれませんね。また、かつては「湯付城」とも書かれていたらしく、元々は「道後温泉に付属する城(道後温泉にある城)という意味だったのかもしれませんね。 さて、湯築城は、この辺の地域を少なくとも平安末期から安土桃山時代まで約400年は支配していた河野さんという地方豪族の本拠地。1335年に河野家第27代当主の河野通盛さんが作ったそうです。27代目ってすごい! ところどころで当代の当主が時代の趨勢を見誤ったり、御家騒動があったり、近隣の他勢力との抗争があったりして、この湯築城も一時は敵対勢力に奪われたりもして、決して順風満帆ではなかった河野家の伊予支配ですが、それでも数百年に渡り当地で生きながらえてきた河野家はスゴイです。しかし1585年、羽柴秀吉さんの命を受けて侵攻してきた毛利元就さんの三男の小早川隆景さんに降伏したことで河野家は伊予国から追われ、滅亡してしまいます。そして2年後の1587年には湯築城も廃城となり、1602年、加藤嘉明さんの松山城築城により当地の中心は松山城へと移ることとなります。 お城の現在の正面入口といえる市電側は、現役時代は搦手門(お城の裏口)があった場所。「湯築城」と書かれた大きなのぼりが2つ立てられていて、城跡という雰囲気を盛り上げています。 堀や土塁や屋敷跡がきれいに復元されており、現役当時のイメージがしやすい環境となっています。 城の規模としては大きくなく、二重の堀や土塁があっても堅牢という感じはあまりしません。中世の地方豪族の居城という範ちゅうを出ないスケールだなぁと感じます。そりゃあこの程度の大きさの城では地方の小勢力同士の抗争には対応出来ても中央から羽柴軍みたいな大軍勢に来られたらひとたまりもなかっただろうな、と思います。だって二の丸や三の丸的なものもあるようなないような感じですから。 いわゆる本丸跡と思しき城跡で最も高いところには展望台があります。ふもとからそんなに時間はかかりません。なんせ小さな城跡ですから。展望台からは松山市街が一望でき、後輩の松山城もよく見えます。なぜ河野さんは松山城のある勝山に元々城を作らなかったのかな?などという疑問が湧いてきます。あちらの方が攻めにくい城を作れそうです。 屋敷跡にある湯築城資料館も訪れました。 松山城と違って、湯築城跡を訪れる人なんて城マニアか戦国マニアしかいないでしょうから展示内容はもっとマニアックにしても良いのでは?と思いました。 それにしても松山に来て思うのは地元の皆さんの河野さんへの興味のなさ。 松山の皆さんは基本的に加藤嘉明さん推しなんですね。確かに加藤さんは四国最大の城郭と呼ばれる松山城を作った偉人ではありますが、在松山の期間はたった20数年ほど。かたや湯築城の河野さんは数百年もの間、この地に根付いてきたのに知名度は今ひとつ。「継続は力なり」とは言いますが、歴史に関してはそうとも限らないんだなぁと。 河野さんは数百年もの間、この地に根付いてきたと言えども、やったことといえば細川だ西園寺だ土佐一条だ、まあ頑張っても大友だ毛利だという程度の地域紛争への介入だけ。かたや加藤さんは伊予に来て、関ヶ原で勝ち馬に乗ってからは領地加増で松山築城、松山という地名も作り、城下町も作りと見事な伊予サクセスストーリー。やっぱり加藤さんのほうがインパクトありますからね。歴史はインパクトが好きなので河野さんの出る幕はないということで… 考えてみれば岐阜なんかもそうですよね。 長年美濃守護として君臨していた土岐さんやMr.下剋上 斎藤道三さんを抑え、岐阜の皆さんは10年ほど岐阜城を本拠にしただけの織田信長さん推しですからね…岐阜駅前の金の信長像がそれを物語っています…
辻喜次辻喜次
2025/5/18 城跡探訪 『湯築城跡』 松山市の中心街の一番町から〔伊予鉄松山市駅線道後温泉行き〕に乗り4駅目の道後公園で降ります。時間的に10分ぐらいなのであっという間でした。 駅を降りると目の前に公園入り口があります。お城の構造的にここは搦手になると案内されていました。入り口横には無料の駐車場も完備されていたので、車で攻城する方も問題なしです。 見学ルートも表示されており迷わず城内を回ることができるようになっていました。 また360°CGが体験できるように要所要所にQRコードが表示してあります。 土塁と水堀のバランスがとても良く、見応えがあります。 中心の丘陵は一部分が険しい岩盤が剥き出しになっており、その堅固さを想像させます。 本壇にある展望台からは、松山城天守や平野部遠くの海まで見渡すことができました。 所要時間は1時間あれば十分に堪能できると思います。 入り口付近にある「湯築城資料館」は開館時間9時〜17時だったので、今回は見学することができなかったのが少し心残りになりました。 松山城とセットで攻城するのをお勧めします。 ー案内板よりー 湯築城跡は、室町時代伊予国守護であった河野氏の城跡で、当時伊予国の政治の中心地でした。 かざはや 河野氏は、風早郡河野郷(松山市北部)を本拠とした豪族で、12世紀末の源平合戦で源氏方として活躍し、鎌倉時代には伊予国で最も有力な武士になりました。河野氏が湯築城に本拠を移したのは、14世紀前半河野通盛の時といわれています。当時の道後は、道後温泉に古くから天皇が来湯するなど人々の往来が多く、伊予国内では経済的、文化的な要地でした。その後、河野氏の歴代当主が伊予国守護に任命されるようになると、この地は政治的な中心としても栄えるようになりました。河野氏は水軍としても知られ、海賊衆として有名な来島村上氏もその配下でした。 湯築城は、はじめはいざという時に丘陵を城として利用するだけでしたが、16世紀半ばに河野通直が、外堀を掘り、その土で土塁を築いて、現在のような大規模な城となりました。戦国時代に平地の岡を二重の堀と土塁で囲った城は、全国でも大変珍しいものでした。 1585年に全国統一を目指す豊臣秀吉に攻められ、河野氏は降伏し、湯築城はまもなく廃城になったといわれています。江戸時代は松山藩が管理し、一般の人が立ち入ることは制限されていました。明治時代に入り、1888年に「道後公園」という名で広く一般に開放されるようになりました。道後温泉本館(国重要文化財)建設を進めた道後湯之町伊佐庭矢町長によって公園として軽備され、にぎわうようになりました。 1988年から12年間発掘調査がおこなわれ、25万点にも及ぶ土器等が出土し、戦国時代の遺構が良好な状態で残っていることが確認され、歴史上重要な遺跡として、2002年に国の史跡に指定されました。 湯築城の規模は、外堀を含め、南北約350m、東西約300mで、広さは約8.5ha あります。中心は標高差31メートルの小高い丘陵で、「本壇」「杉の壇」と呼ばれる平坦地があり、最も高い本壇からは、松山城や遠く伊子灘を見ることができます。発掘調査により、城の南東側は上級武士の生活の場、南西側は城主に仕える武士が暮らす場所だったことがわかっています。 また、湯築城の西には城下町が広がっていました。北には石手寺、義安寺、宝厳寺、湯神社など河野氏とゆかりの深い寺社がありました。戦国時代に日本を訪れたイエズス会の教師ルイス・フロイスは、「道後の市」と呼ばれ大変栄えていた様子を『日本史』の中に記しています。 〈名称〉   湯築城(ゆづきじょう) 〈所在地〉  愛媛県松山市道後町 〈分類〉   梯郭式平山城 〈築城主〉  河野通盛 〈築城年〉  建武年間(1334〜1338) 〈主な城主〉 河野氏、福島氏、小早川氏 〈遺構〉   曲輪、土塁、横堀(空堀)
フ-フ-
松山の中世史が勉強できて面白かった。資料館に絶対に寄るべし❗ 12世紀後半の源平合戦壇之浦の戦いで活躍した河野氏の居城。1585年豊臣秀吉の命を受けた小早川氏による城包囲を受けて降伏するまで伊予地方の大名を400年近く続ける。 といえば、松山市民にとってもっとも親しみのあるお殿様かと思いきや、やはり松山城~松平様のほうが有名とのこと。笑 が、近年の発掘により河野氏の事績が明らかになり見直しも進んでいる。 お城は二重の水堀、家臣団の武家屋敷、掘り掘削跡、展望台、湯釜などありなかなか楽しめた。 湯築城は、古い文献では湯付城と書いてあるものもあり、古くから「湯が出るお城」だったのかもしれない。 道後温泉は目と鼻の先だ。 この河野氏、(来島)村上水軍(来島、能島、大島三派の一つ)を従え、壇之浦では源氏方として大活躍、源頼朝、北条とともに宴席を囲み、鎌倉幕府重臣並みの待遇を受けた。家紋の三本引は、お膳の中に三本引を表している。 その後承久の変では天皇方につき敗れたが、息子は幕府方につき、以降の河野一族繁栄をもたらした。 元寇の際は、福岡に築いた土塁の前に1人(一族)出て河野一族だけが勇敢に立ち向かったとも言われている。 もう少し日が当たっても良いかもしれない。
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2024年7月初訪問。 某歴史シュミレーションゲームではおなじみのお城。なので戦国マニア兼某歴史シュミレーションゲームファンの私にとっては松山城より湯築城のほうが親近感あります。だって松山城は戦国時代がほぼ終わってからの築城で某歴史シュミレーションゲームでは「大坂の陣」あたりの戦国時代末期のシナリオくらいでしか出てきませんもんね。その点、湯築城はバリバリ戦国時代だった頃のお城ですから「信長元服」「尾張統一」「桶狭間合戦」「信長包囲網」などなどありとあらゆるシナリオで登場します。 そんな湯築城は、現在、道後公園という名の公園になっており、市電でいうと道後公園前停留所が最寄りですが、道後温泉駅からも徒歩5分かかるかかかならいかくらいの近距離にあります。 なので湯築城の「湯」は道後温泉のことかもしれませんね。また、かつては「湯付城」とも書かれていたらしく、元々は「道後温泉に付属する城(道後温泉にある城)という意味だったのかもしれませんね。 さて、湯築城は、この辺の地域を少なくとも平安末期から安土桃山時代まで約400年は支配していた河野さんという地方豪族の本拠地。1335年に河野家第27代当主の河野通盛さんが作ったそうです。27代目ってすごい! ところどころで当代の当主が時代の趨勢を見誤ったり、御家騒動があったり、近隣の他勢力との抗争があったりして、この湯築城も一時は敵対勢力に奪われたりもして、決して順風満帆ではなかった河野家の伊予支配ですが、それでも数百年に渡り当地で生きながらえてきた河野家はスゴイです。しかし1585年、羽柴秀吉さんの命を受けて侵攻してきた毛利元就さんの三男の小早川隆景さんに降伏したことで河野家は伊予国から追われ、滅亡してしまいます。そして2年後の1587年には湯築城も廃城となり、1602年、加藤嘉明さんの松山城築城により当地の中心は松山城へと移ることとなります。 お城の現在の正面入口といえる市電側は、現役時代は搦手門(お城の裏口)があった場所。「湯築城」と書かれた大きなのぼりが2つ立てられていて、城跡という雰囲気を盛り上げています。 堀や土塁や屋敷跡がきれいに復元されており、現役当時のイメージがしやすい環境となっています。 城の規模としては大きくなく、二重の堀や土塁があっても堅牢という感じはあまりしません。中世の地方豪族の居城という範ちゅうを出ないスケールだなぁと感じます。そりゃあこの程度の大きさの城では地方の小勢力同士の抗争には対応出来ても中央から羽柴軍みたいな大軍勢に来られたらひとたまりもなかっただろうな、と思います。だって二の丸や三の丸的なものもあるようなないような感じですから。 いわゆる本丸跡と思しき城跡で最も高いところには展望台があります。ふもとからそんなに時間はかかりません。なんせ小さな城跡ですから。展望台からは松山市街が一望でき、後輩の松山城もよく見えます。なぜ河野さんは松山城のある勝山に元々城を作らなかったのかな?などという疑問が湧いてきます。あちらの方が攻めにくい城を作れそうです。 屋敷跡にある湯築城資料館も訪れました。 松山城と違って、湯築城跡を訪れる人なんて城マニアか戦国マニアしかいないでしょうから展示内容はもっとマニアックにしても良いのでは?と思いました。 それにしても松山に来て思うのは地元の皆さんの河野さんへの興味のなさ。 松山の皆さんは基本的に加藤嘉明さん推しなんですね。確かに加藤さんは四国最大の城郭と呼ばれる松山城を作った偉人ではありますが、在松山の期間はたった20数年ほど。かたや湯築城の河野さんは数百年もの間、この地に根付いてきたのに知名度は今ひとつ。「継続は力なり」とは言いますが、歴史に関してはそうとも限らないんだなぁと。 河野さんは数百年もの間、この地に根付いてきたと言えども、やったことといえば細川だ西園寺だ土佐一条だ、まあ頑張っても大友だ毛利だという程度の地域紛争への介入だけ。かたや加藤さんは伊予に来て、関ヶ原で勝ち馬に乗ってからは領地加増で松山築城、松山という地名も作り、城下町も作りと見事な伊予サクセスストーリー。やっぱり加藤さんのほうがインパクトありますからね。歴史はインパクトが好きなので河野さんの出る幕はないということで… 考えてみれば岐阜なんかもそうですよね。 長年美濃守護として君臨していた土岐さんやMr.下剋上 斎藤道三さんを抑え、岐阜の皆さんは10年ほど岐阜城を本拠にしただけの織田信長さん推しですからね…岐阜駅前の金の信長像がそれを物語っています…
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2025/5/18 城跡探訪 『湯築城跡』 松山市の中心街の一番町から〔伊予鉄松山市駅線道後温泉行き〕に乗り4駅目の道後公園で降ります。時間的に10分ぐらいなのであっという間でした。 駅を降りると目の前に公園入り口があります。お城の構造的にここは搦手になると案内されていました。入り口横には無料の駐車場も完備されていたので、車で攻城する方も問題なしです。 見学ルートも表示されており迷わず城内を回ることができるようになっていました。 また360°CGが体験できるように要所要所にQRコードが表示してあります。 土塁と水堀のバランスがとても良く、見応えがあります。 中心の丘陵は一部分が険しい岩盤が剥き出しになっており、その堅固さを想像させます。 本壇にある展望台からは、松山城天守や平野部遠くの海まで見渡すことができました。 所要時間は1時間あれば十分に堪能できると思います。 入り口付近にある「湯築城資料館」は開館時間9時〜17時だったので、今回は見学することができなかったのが少し心残りになりました。 松山城とセットで攻城するのをお勧めします。 ー案内板よりー 湯築城跡は、室町時代伊予国守護であった河野氏の城跡で、当時伊予国の政治の中心地でした。 かざはや 河野氏は、風早郡河野郷(松山市北部)を本拠とした豪族で、12世紀末の源平合戦で源氏方として活躍し、鎌倉時代には伊予国で最も有力な武士になりました。河野氏が湯築城に本拠を移したのは、14世紀前半河野通盛の時といわれています。当時の道後は、道後温泉に古くから天皇が来湯するなど人々の往来が多く、伊予国内では経済的、文化的な要地でした。その後、河野氏の歴代当主が伊予国守護に任命されるようになると、この地は政治的な中心としても栄えるようになりました。河野氏は水軍としても知られ、海賊衆として有名な来島村上氏もその配下でした。 湯築城は、はじめはいざという時に丘陵を城として利用するだけでしたが、16世紀半ばに河野通直が、外堀を掘り、その土で土塁を築いて、現在のような大規模な城となりました。戦国時代に平地の岡を二重の堀と土塁で囲った城は、全国でも大変珍しいものでした。 1585年に全国統一を目指す豊臣秀吉に攻められ、河野氏は降伏し、湯築城はまもなく廃城になったといわれています。江戸時代は松山藩が管理し、一般の人が立ち入ることは制限されていました。明治時代に入り、1888年に「道後公園」という名で広く一般に開放されるようになりました。道後温泉本館(国重要文化財)建設を進めた道後湯之町伊佐庭矢町長によって公園として軽備され、にぎわうようになりました。 1988年から12年間発掘調査がおこなわれ、25万点にも及ぶ土器等が出土し、戦国時代の遺構が良好な状態で残っていることが確認され、歴史上重要な遺跡として、2002年に国の史跡に指定されました。 湯築城の規模は、外堀を含め、南北約350m、東西約300mで、広さは約8.5ha あります。中心は標高差31メートルの小高い丘陵で、「本壇」「杉の壇」と呼ばれる平坦地があり、最も高い本壇からは、松山城や遠く伊子灘を見ることができます。発掘調査により、城の南東側は上級武士の生活の場、南西側は城主に仕える武士が暮らす場所だったことがわかっています。 また、湯築城の西には城下町が広がっていました。北には石手寺、義安寺、宝厳寺、湯神社など河野氏とゆかりの深い寺社がありました。戦国時代に日本を訪れたイエズス会の教師ルイス・フロイスは、「道後の市」と呼ばれ大変栄えていた様子を『日本史』の中に記しています。 〈名称〉   湯築城(ゆづきじょう) 〈所在地〉  愛媛県松山市道後町 〈分類〉   梯郭式平山城 〈築城主〉  河野通盛 〈築城年〉  建武年間(1334〜1338) 〈主な城主〉 河野氏、福島氏、小早川氏 〈遺構〉   曲輪、土塁、横堀(空堀)
辻喜次

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松山の中世史が勉強できて面白かった。資料館に絶対に寄るべし❗ 12世紀後半の源平合戦壇之浦の戦いで活躍した河野氏の居城。1585年豊臣秀吉の命を受けた小早川氏による城包囲を受けて降伏するまで伊予地方の大名を400年近く続ける。 といえば、松山市民にとってもっとも親しみのあるお殿様かと思いきや、やはり松山城~松平様のほうが有名とのこと。笑 が、近年の発掘により河野氏の事績が明らかになり見直しも進んでいる。 お城は二重の水堀、家臣団の武家屋敷、掘り掘削跡、展望台、湯釜などありなかなか楽しめた。 湯築城は、古い文献では湯付城と書いてあるものもあり、古くから「湯が出るお城」だったのかもしれない。 道後温泉は目と鼻の先だ。 この河野氏、(来島)村上水軍(来島、能島、大島三派の一つ)を従え、壇之浦では源氏方として大活躍、源頼朝、北条とともに宴席を囲み、鎌倉幕府重臣並みの待遇を受けた。家紋の三本引は、お膳の中に三本引を表している。 その後承久の変では天皇方につき敗れたが、息子は幕府方につき、以降の河野一族繁栄をもたらした。 元寇の際は、福岡に築いた土塁の前に1人(一族)出て河野一族だけが勇敢に立ち向かったとも言われている。 もう少し日が当たっても良いかもしれない。
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2024年7月初訪問。

某歴史シュミレーションゲームではおなじみのお城。なので戦国マニア兼某歴史シュミレーションゲームファンの私にとっては松山城より湯築城のほうが親近感あります。だって松山城は戦国時代がほぼ終わってからの築城で某歴史シュミレーションゲームでは「大坂の陣」あたりの戦国時代末期のシナリオくらいでしか出てきませんもんね。その点、湯築城はバリバリ戦国時代だった頃のお城ですから「信長元服」「尾張統一」「桶狭間合戦」「信長包囲網」などなどありとあらゆるシナリオで登場します。

そんな湯築城は、現在、道後公園という名の公園になっており、市電でいうと道後公園前停留所が最寄りですが、道後温泉駅からも徒歩5分かかるかかかならいかくらいの近距離にあります。

なので湯築城の「湯」は道後温泉のことかもしれませんね。また、かつては「湯付城」とも書かれていたらしく、元々は「道後温泉に付属する城(道後温泉にある城)という意味だったのかもしれませんね。

さて、湯築城は、この辺の地域を少なくとも平安末期から安土桃山時代まで約400年は支配していた河野さんという地方豪族の本拠地。1335年に河野家第27代当主の河野通盛さんが作ったそうです。27代目ってすごい!

ところどころで当代の当主が時代の趨勢を見誤ったり、御家騒動があったり、近隣の他勢力との抗争があったりして、この湯築城も一時は敵対勢力に奪われたりもして、決して順風満帆ではなかった河野家の伊予支配ですが、それでも数百年に渡り当地で生きながらえてきた河野家はスゴイです。しかし1585年、羽柴秀吉さんの命を受けて侵攻してきた毛利元就さんの三男の小早川隆景さんに降伏したことで河野家は伊予国から追われ、滅亡してしまいます。そして2年後の1587年には湯築城も廃城となり、1602年、加藤嘉明さんの松山城築城により当地の中心は松山城へと移ることとなります。

お城の現在の正面入口といえる市電側は、現役時代は搦手門(お城の裏口)があった場所。「湯築城」と書かれた大きなのぼりが2つ立てられていて、城跡という雰囲気を盛り上げています。

堀や土塁や屋敷跡がきれいに復元されており、現役当時のイメージがしやすい環境となっています。

城の規模としては大きくなく、二重の堀や土塁があっても堅牢という感じはあまりしません。中世の地方豪族の居城という範ちゅうを出ないスケールだなぁと感じます。そりゃあこの程度の大きさの城では地方の小勢力同士の抗争には対応出来ても中央から羽柴軍みたいな大軍勢に来られたらひとたまりもなかっただろうな、と思います。だって二の丸や三の丸的なものもあるようなないような感じですから。

いわゆる本丸跡と思しき城跡で最も高いところには展望台があります。ふもとからそんなに時間はかかりません。なんせ小さな城跡ですから。展望台からは松山市街が一望でき、後輩の松山城もよく見えます。なぜ河野さんは松山城のある勝山に元々城を作らなかったのかな?などという疑問が湧いてきます。あちらの方が攻めにくい城を作れそうです。

屋敷跡にある湯築城資料館も訪れました。 松山城と違って、湯築城跡を訪れる人なんて城マニアか戦国マニアしかいないでしょうから展示内容はもっとマニアックにしても良いのでは?と思いました。

それにしても松山に来て思うのは地元の皆さんの河野さんへの興味のなさ。

松山の皆さんは基本的に加藤嘉明さん推しなんですね。確かに加藤さんは四国最大の城郭と呼ばれる松山城を作った偉人ではありますが、在松山の期間はたった20数年ほど。かたや湯築城の河野さんは数百年もの間、この地に根付いてきたのに知名度は今ひとつ。「継続は力なり」とは言いますが、歴史に関してはそうとも限らないんだなぁと。

河野さんは数百年もの間、この地に根付いてきたと言えども、やったことといえば細川だ西園寺だ土佐一条だ、まあ頑張っても大友だ毛利だという程度の地域紛争への介入だけ。かたや加藤さんは伊予に来て、関ヶ原で勝ち馬に乗ってからは領地加増で松山築城、松山という地名も作り、城下町も作りと見事な伊予サクセスストーリー。やっぱり加藤さんのほうがインパクトありますからね。歴史はインパクトが好きなので河野さんの出る幕はないということで…

考えてみれば岐阜なんかもそうですよね。 長年美濃守護として君臨していた土岐さんやMr.下剋上...

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24w

2025/5/18...

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4y

Very pleasant and well-maintained public park area. There are several separate areas for people to gather so it is not over-crowded or causing problems with social distancing. There are plenty of cherry trees, but also wide open areas for...

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