入間郡式内社5座の1座の出雲伊波比神社の論社。 埼玉県内で唯一流鏑馬が毎年奉納される。
資料によると、 社伝によれば、当社は、景行天皇の四三年に、日本武尊が東夷征伐からの帰途、この地に立ち寄った際、天皇から賜った比々羅木鉾を神体として、侍臣武日命を祭主に命じ、開拓祖神である大名牟遅神を奉斎したことに始まるとされる。この時の鉾は、今も本殿内に奉安されており、東北鎮護という意味から穂先は東北に向けられている。 成務天皇の代には、出雲臣武蔵国造兄多毛比命が殊に当社を崇敬し、祖神である天穂日命を合祀した。武蔵国造家は、出雲臣という姓からも察せられるように出雲と関係が深く、また、大名牟遅神は出雲大社に奉祀されている大国主神であることから、ここにおいて「出雲の神を斎う」という意味を持つ「出雲伊波比」の社号がついたものである。下って天平勝宝七年(755)には官社に預かり、『延喜式』において武蔵国入間郡五座の中に列している。 このように由緒ある社ではあったが、大永七年(1527)に火災のため烏有に帰してしまい、翌年には毛呂参河守顕繁を大旦那として再建された。現在の社殿はこの時のもので、室町時代の古建築であることから、昭和一二年に重要文化財に指定された。 とあります。
御祭神は大名牟遅神...
Read more私はこの地域の者では無く、300キロ離れた所に住んでいます。
今から十数年前、毛呂駅近くに用事で来て、時間が余ったため、たまたまこの神社を見つけお参りしました。 自分はこの手の場所に幼少から霊感が強く、階段を上がり本殿近くに行った時、一時的に金縛り状態に成るくらい神霊を感じました。
その時どうしても神に頼らざるをえない状況にあったため、偶然出会ったこの神にひたすら祈りました。
もう夕方で2時間程お参りしてましたが、ネコ以外誰にも会いませんでした。 帰ろう、として鳥居から出た所で、「今年はダメだよ、来年の今は笑えるから」という言葉が不思議と頭に入りました。
今だから言えますが本当にその様に成りました。
それから年に二度必ずお参りに来ています。 今でも鳥居をくぐり、本殿前に立つと体から何かが出て行き、軽く成るのが分かります。
これまで何百もの神社、仏閣に行きましたが、これ程のパワーを感じた所は有りません。
個人的には本殿の位置、周囲からの様相からして古墳の上に建てられた神社では、と思っております。 違...
Read moreこの辺では珍しく格式の高い神社です。 それもそのはず、 後冷泉天皇御宇康平六年(西暦1063年)、源義家が陸奥を征定し都へ凱旋する際に、臥龍山に上り出雲伊波比神社を参拝した折に、自身の守り神として兜の天辺に鎮め祀っていた石清水八幡宮の八幡皇大御神の御魂を大己貴神の相殿に奉斎しました。これが臥龍山の八幡宮のはじまりです。・・・だそうです。(神社のHPから) 高い杉木立やクスノキにに囲まれた由緒正しき鎮守の杜です。 階段の下が35℃ぐらいでしたから、木陰では30℃ぐらいに感じるほどに涼しい場所です。 社務所までは車で行けますが駐車場は下の公民館に止めたほうが広いです。お年寄りや足腰弱い方を社務所まで送迎したほうが良い です。 境内で「日露戦争凱旋記念樹」のクスノキの大木がありました。 「日露戦争従軍記念碑」はよく見かけますが、記念樹の大木を見たときは感激でした。地区の皆さんは多くの方々が日露戦争で大陸に出征されたので、よほど喜ばれたのでしょう。 令和の時代に日本が戦争に戦争になら...
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