村上医家史料館 概要説明
村上医家史料館は、江戸時代後期から明治時代にかけて中津藩で活躍した医師、村上家の歴史と業績を伝える資料館です。
沿革: 1826年 (文政9年): 7代目当主である玄水によって建てられました(築約200年)。 1982年 (昭和57年): 村上記念病院史料館として開館しました。 1996年 (平成8年): 中津市歴史民俗資料館の分館となりました。 2017年 (平成29年): 中津市歴史博物館の分館となりました。
村上家の概要:
7代目 玄水: ・1826年に建物を建てました。 ・中津藩10万石の五代目藩主、秋月藩杉全家より養子に入りました。 ・初代校長 倉成龍渚 (くらなり りゅうしょ): ・町医者として診療していました。 ・家伝薬「磨積圓」を製薬していました。 ・「田舎新聞」を発行していました。 ・藩校「進修館」の初代校長を務めました(1957年(昭和32年)まで存続)。
祐谷弘孝 (かみや ひろよし): ・教育者として覚学普及のため、辞書を編纂しました。 ・日本初の和蘭辞書『了蘭詰訳撰』(らんごやくせん)(1810年)を編纂しました。 ・『和蘭字彙』(1822年)、『バスタールド辞書』(1886年(明治19年))の編纂にも携わりました。 ・大分中学(現在の大分上野丘高校)の初代校長(1885年(明治18年))を務めました。 ・大分師範学校(現在の大分大学教育学部)の校長も務めました。
大江春塘 (おおえ しゅんとう): ・玖珠郡長として深耶馬渓道路建設に尽力しました。 ・3代目玄水、9代目田長 (奥平昌高): ・中津市歴史博物館分館として名前が記されています。
四男 村上功児 (こうじ): ・井筒屋社長、郷商会頭、西日本鉄道社長(西鉄ライオンズ生みの親)を務めました。 ・村上記念童心館を設立しました。
妻 村上家八代 春海の長女イッ...
Read more古めかしい薬に使用するグラス瓶とかがあって、興味津々でした。展示物は、充分に豊富で詳しく書いてありますけど、それ以上に薬に使用した瓶類に興味を持ってしまいました。 村上医学資料館は、村上家は1640年寛永17年に初代村上宗伯(むらかみそうはく)が、中津城下に諸町に開業して以来、現在まで続く医家です。江戸時代は藩の典医(てんい)でありました。 7代目の村上玄水は、1819年文政2年に藩の許可を受けて人体解剖を行い、(解臓記)(解剖図説)を著した事で知られます。 また、9代目の村上田長は、1876年明治9年増田宗太郎等とともに、田舎新聞を創刊しました。1885年には大分中学初代校長に就任しました。翌年86年玖珠郡長就任と、医学ばかりではなく、政治や教育の分野に於いても、多大な功績を残しました。 村上医家資料館は、この村上家の医学にかかわるものを中心に、数千点に及ぶ資料を収蔵・公開。中には、中津藩主奥平昌高(おくだいらまさたか)が家臣に命じてつくらせた蘭日辞書(中津バスタード辞書)や前野良沢書の村上玄水の(解臓記・かいぞうき)等があります。 あと、ここの村上医家資料館には、耶馬渓の道路の事も関連しています。 直ぐに見て回れば、大した事のないように思えますが、福澤諭吉記念館の次に...
Read moreonly Japanese but the curator use google translator to get things through. We were the only guests and fascinating walk through 400 years of medicine in 14 generations...
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