During my recent visit to Nara, Japan, I had the privilege of exploring the magnificent Saidai-ji Temple. Built under the personal order of the Empress for the purpose of promoting national peace, this temple left a lasting impression on me with its grandeur and tranquil atmosphere.
Saidai-ji Temple, also known as the Great Western Temple, holds a significant place in Japanese history. As I entered the temple grounds, I was immediately captivated by the exquisite architecture and peaceful surroundings. The temple's vast expanse, meticulous gardens, and meticulously maintained structures are a testament to the craftsmanship and dedication of the artisans who built it.
One of the highlights of my visit was the main hall, which houses a stunning statue of Yakushi Nyorai, the Buddha of Healing. The size and exquisite detail of the statue left me awe-struck, invoking a sense of tranquility and spirituality. The interior of the main hall is equally impressive, with its beautifully adorned walls and peaceful ambiance.
The temple grounds also feature a stunning pagoda, adding to the overall aesthetic charm of the place. As I explored the various buildings and gardens, the sense of serenity engulfed me, allowing me to escape the hustle and bustle of...
Read more西大寺(さいだいじ)は、奈良県奈良市西大寺芝町にある真言律宗の総本山。奈良時代に孝謙上皇(重祚して称徳天皇)の発願により、僧・常騰を開山(初代住職)として建立された。南都七大寺の1つとして奈良時代には壮大な伽藍を誇ったが、平安時代に一時衰退し、鎌倉時代に叡尊によって復興された。山号は勝宝山。現在の本尊は釈迦如来である。
宝亀11年(780年)の『西大寺資財流記帳』によれば、創建の経緯は以下のとおりである。天平宝字8年(764年)9月、孝謙上皇は恵美押勝の乱平定を祈願して金銅四天王像の造立を発願した。なお、孝謙上皇は同年10月重祚して称徳天皇となった。翌天平神護元年(765年)、前述の四天王像が造立され、西大寺が創建された。この四天王像4体は西大寺四王堂に今も安置されるが、各像が足元に踏みつける邪鬼だけが創建当時のもので、像本体は後世の作に代わっている。 西大寺の創建当時は僧・道鏡が中央政界で大きな力を持っており、西大寺の建立にあたっても道鏡の思想的影響が大きかったものと推定されている。護国のために四天王像を安置するのは『金光明最勝王経』に基づくものである。 「西大寺」の寺名はいうまでもなく、大仏で有名な「東大寺」に対するもので、奈良時代には薬師金堂、弥勒金堂、四王堂、十一面堂、東西の五重塔などが立ち並ぶ壮大な伽藍を持ち、南都七大寺の1つに数えられる大寺院であった。前述の『資財流記帳』の記載や、元禄11年(1698年)作成の伽藍絵図から復元される伽藍配置は以下のようなものである。寺域の中心には薬師金堂が建ち、その背後、通常の寺院では講堂のある位置には弥勒金堂が建っていた。これら中心伽藍の東には小塔院、その北に食堂院(じきどういん)、中心伽藍の西には正倉院、その北に政所院(まんどころいん)があった。中心伽藍の前方(南)には東西2基の五重塔が建ち、これらの東に四王院、西に十一面堂院があり、四王院の南に東南角院(すみいん)、十一面堂院の南に西南角院があった。塔は八角形で計画されたが、途中で四角形に改められた。 『資財流記帳』によれば、これらの諸堂には密教系の像を含む多数の仏像が安置され、多くの鏡で荘厳されていた。薬師金堂には、薬師三尊像を中心に計21体の仏像が安置され、中には密教系の孔雀明王像も含まれていた。弥勒金堂には計77体もの仏像が安置され、弥勒仏の兜率天浄土を表現していた[2]。 しかし、寺は平安時代に入って衰退し、火災や台風で多くの堂塔が失われ、興福寺の支配下に入っていた。 西大寺の中興の祖となったのは鎌倉時代の僧・叡尊(興正菩薩、建仁元年(1201年) -...
Read more近鉄大和西大寺南口からすぐ近く。 800円で四王堂、本堂、愛染堂を拝観できます。 良くも悪くも拝観者は少なくゆったりと見て回れます。 真言律宗総本山なので決して小さいお寺ではありませんが、小一時間で見て回ることができます。 奈良朝に聖武天皇の娘である孝謙天皇により創建ですが、基本的に鎌倉時代に叡尊という僧侶が復興して今に至る感じで、仏像もその頃のものがほとんどです。 四王堂は京の法勝寺に置かれていた十一面観音だそうで、なんとも大きな迫力ある像です。その足元には四天王が置かれており、踏みつけている邪鬼は孝謙天皇当時のものだそうです。 本堂はなかなか奈良では見られない彫刻付きの建築で、内部は格天井に仕上げており、豪華ではありませんが、細部まで美しく総本山としての格を感じます。 本尊の釈迦如来は衣のひだが特徴的でした。 左の文殊菩薩は優しい印象を受けました。 右の弥勒菩薩は金がよく残っており、どっしりと構えられておられます。 奥にある室町期の地蔵菩薩の衣の金の模様の細かさには目を奪われました。 愛染堂は秘仏の愛染明王が祀られており、その前に身代わりの愛染明王像が安置されています。秘仏公開時に二つとも拝見させていただきましたがほぼ違いは分かりません。小さいですが迫力あります。 左手には国宝の叡尊坐像が祀られております。80歳の頃の肖像だそうですが、背筋がピンとして、厳しいお顔をしており、とても齢80のおじいちゃんとは思えません。見ているだけで叡尊の威徳が感じられます。 境内には幼稚園が併設しており、時々賑やかになりますが、それはそれで良い雰囲気であり、よく整備された境内、お堂に入った時の線香の香り、優れた仏像に迎えていただき、心地よく参拝させていただきました。 格はあるが、敷居は低く、有名ではないがレベルの高い仏像を拝むことができる素晴らしいお寺でした。 西大寺駅からの案内板が見当たらないのと、 門の前が駐車場なので、南口ロータリーから門まで一直線で行けたら...
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