2020年11月 「坂本ふるさとサンポ」で久しぶりに訪れました。大河ドラマ「麒麟がくる」に合わせて開催中の「びわ湖大津・光秀大博覧会」をちら~と見、「不滅の法灯」を見、展示品を見ました。 以前は嫌というほど、「撮影禁止」の張り紙が、そこかしこにありましたが、張り紙は無くなり、プラスチックの掲示板に変わっており、お庭については、「撮影禁止」の張り紙が無くなっていました。 滋賀院門跡を通ったり、拝観する度、「修復がなされておらず、勅使門の屋根も、中の襖もひどい状態・・・・うーん。」と思います。観光客誘致に力を入れるのであれば、展示品だけでなく、建物(入れ物)も何とかしないと、訪れた観光客は、「勅使門の屋根はボロボロだし、襖は破れているし、、、。」 「そんなに、予算を掛けていない施設なのだなぁ。」...
Read more見どころたくさん 2023年11月上旬、坂本エリア探訪の際に行きました。 説明板によると —————————————————————- 滋賀院門跡 元和元年(1615)慈眼大師天海(1536~1642)が後陽成上皇より法勝寺(京都北白川に在り六勝寺の一つで歴代天皇ご授戒の寺として四簡戒場の一つでもあった)を下賜されこの地に移築されたもので明暦元年(1655)後水尾天皇より滋賀院の号と寺領一千石を賜り江戸時代の末までは天台座主であった法親王が代々住まっておられた寺である。 外観は堂々たる穴太来積みの石垣に白壁がつづいており滋賀院御殿といわれる名に恥じない威容を見せている。 御殿については明治11年(1878)11月の火災のためすべて灰となったが現在の建物は山上より三塔それぞれ最高の建築を移築し明治13年5月復旧したものである。 ————————————————————— とあり 屋内の展示として「不滅の法灯」「殿上輿」や「小堀遠州」作の国の史跡に指定されている庭園など予習していなかった自身には見どころたくさん...
Read more「気は長く、勤めは堅く、色うすく、食細くして、心広かれ」という慈眼大師天海の言葉が境内に書いてありました。万人に通じる素晴らしい言葉だと感心しました。徳川家康、秀忠、家光の三代に仕え、黒衣の宰相と呼ばれた天海に対しては勝手にダーティーなイメージを持ってしまっていましたが、徳川幕府というのは総じて清廉かつ有能な人材登用を行っていたに違いないと最近は思うようになってきました。 天海は織田信長に焼き討ちされた比叡山の復興にも尽力し、この滋賀院も天海が後水尾上皇より賜ったものです。 天海の頃の建物は残念ながら明治11年に全焼してしまっていますが、小堀遠州作の庭園や多くの寺宝などの見所は京都のお寺と比べても遜色はありません。滋賀院に至るまでの坂本の石垣の町並みも魅力がいっぱいです。京都からすぐに来れますが、驚くほど空いているので、京都の人の多さに疲れた...
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