大分県佐伯市城下東町にある養賢寺は、県立佐伯鶴城高校のすぐ近くにある。修行のための寺であるため、一般客の拝観は不可ということになっている。
境内へは立ち入れないが、山門は開け放たれており、本堂・庫裡などを外から見ることができる。
養賢寺は、慶長10年 (1605) 佐伯藩 初代藩主 毛利高政が、佐伯城 (さいきじょう / 別名:鶴屋城) の創築、および城下町の建設を行った時と同時期に、毛利家の菩提寺として創建され、約400年の歴史がある。
開山第一祖 として 京都妙心寺 から大観慈光禅師 を招いた。
養賢寺は、白壁に風格のある本堂 (昭和4年 / 1929年建築) が特徴で、約 8,000平方メートルの境内には昭和のはじめに再建された銅瓦葺の本堂などがある。
本堂の裏の一段高い所には、藩祖 高政の霊廟をはじめ、毛利家歴代藩主たちの五輪塔が立ち並ぶ毛利家の墓所になっているという。
江戸初期の 豊後佐伯藩 初代藩主である 毛利高政は、播磨 明石郡で 3000石を領し、豊臣秀吉に仕えていた。
天正10年 (1582) 、秀吉の備中高松城攻めに際し、毛利方への人質となり、これを機に毛利に改姓した。
文禄4年 (1595) 、豊後 日田に2万石を与えられ、再度の朝鮮の役に出兵した。 関ケ原の戦 の翌 慶長6年 (1601) 4月には豊後 佐伯に入封し、佐伯城の新規築城や城下町の普請を行った。
養賢寺は一般客の境内への立入りはできないが、バスターミナルのある大手前 (大手門跡) から、山際通りを通って養賢寺へと至る 約700メートルの道のりは、佐伯の城下町の趣を残す通りとして、「歴史と文学の道」になっており、日本の道100選にも選ばれている。
歴史と文学の道 沿いには、豊後佐伯城で現存する唯一の遺構である「櫓門 (やぐらもん)」などの歴史スポットや、国木田独歩が下宿した屋敷に関連資料を集めた「国木田独歩館」や、明治期のジャーナリスト...
Read more臨済宗妙心寺派の禅寺です。佐伯藩主、毛利家の菩提寺として建立された寺院で、佐伯城跡の直下に位置して居ます。 本堂裏側の奥には、歴代藩主毛利家の墓があります。 境内には住み込みで修行に勤しむ為の僧堂があり、かつては多くの修行者が居たようで、今でもその面影を遺しています。 数十年前に起こった火災では、隣接する佐伯鶴城高校の生徒らの機転により300有余年の歴史がある毛利高政像と本尊の如来像は無事に担ぎ出され...
Read more修行寺なので地元の檀家以外は立ち入り禁止です。 寺の裏には佐伯藩主毛利氏の墓地があり、以前に台風で巨木が倒れたり西側の高台が土砂崩れを起こし、コンクリートの土手が作られてます。 墓地の前は石段があり雨の日は注意が必要です。 入り口には車椅子でも入れるスロープがあり石畳も余裕をもって歩ける幅でした。 静かで落ち着いた雰囲気の場所だと思います。知り合いに檀家の人がいたので運...
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