☆は高めかと思いましたが、クチコミを評価の低い順にして確認してからの訪問をおすすめします。 駐車場でまず敷地の外に出ないようにと注意事項を言われます。 参拝客ではないのに無断駐車する人がいるのでしょうが あまり気分の良いものではないです。 狛うさぎの写真を撮りたいだけなのに 敷地の外からあおって撮りたいのに まるで外に出ようとしている人みたいで 係の人に見られていると誤解されそうで気になります。
彫刻やこまうさぎが可愛いと聞いてきましたが あまり清掃や手入れが行き届いた感じもせず、ただただ古びている印象です。
御朱印があったので頂こうとしましたが、わざわざこちらが書いて頂きやすいよう 開いて渡した御朱印帳を閉じて表紙を確認し、 「うちは院(お寺)の御朱印帳には書いてません」 と突き返されました。 そういう寺社があると噂では聞いていましたが、もう何年も何十か所と頂いてきて 本当にこんな対応をするところが実在するんだと驚きました。
元々日本は神仏習合で、神社と寺を分けるのは歴史の浅い行為ですし 歴史があり格が高い寺社こそこんな対応はしないですね。 そういう所は縁が無いということなので頂かなくても良いなと思い こちらも「では結構です」と引き下がりましたが 他の方のクチコミを見ているとわざわざ御朱印帳の他の頁をチェックして 寺院の物があると突っ返したりしているようで不愉快です。 かと思えばお寺の御朱印帳に書いてもらったという方もいて、対応が統一されていないのはいただけません。 厳格にルールを設けているのなら、 端からそうした案内をすれば良いと思います。
神社の御朱印帳でなく調神社の御朱印帳にしか書かないと言われたという方もいらっしゃいましたが、 それなら御朱印帳に御朱印を書いてセットで販売すれば良いのに。 神社庁に属している神社なのに、伊勢神宮の御朱印帳でも断るんですかね? 別紙に書く対応もしていないそうです。
御朱印帳に逆さまに書かれた、しかも書き直しは再度料金を取られたというクチコミもありましたが 私の前にいたご夫婦は御朱印を御朱印帳に書いてもらえたものの 「日付が間違ってる!」と仰っていましたしさもありなんです。 常々適当な対応をしているのですね。
料金についても大抵のところで200~300円、またはお気持ち、と言われるのに 「500円以上でお気持ちで」と最低額を指定しているところもすごいなと思いました。
それと前宮司さんの銅像があって、こういうこともあまり他では見ないので違和感がありました。 せめてやるにしてもどれだけすごい宮司さんでどうして建てたのかの案内くらいあったら良いですね。 この宮司さんなのか現宮司さんなのかわかりませんが、参拝客を選ぶ方針の神社さんです。
徒歩で来て、人と会話せずただ参拝だけするなら良い印象になるのかもしれません。
手水に柄杓がなく、コロナ対策なのかもしれませんがなんの案内もありませんでした。 それに龍は火など吐くものですし違和感ないですが、うさぎのおちょぼ口からじょぼじょぼ水が出ているの、自分は可...
Read moreShrine near Urawa Station. It's a little interesting for having no Torii and having bunnies around the shrine instead of the usual lion dogs.
Be warned, this shrine is well known for refusing to give you a goshuin if your goshuin-cho is from a temple or contains temple stamps. Prepare a brand new goshuin-cho if you are interested in...
Read more埼玉県さいたま市浦和区岸町に鎮座する延喜式内社・調神社の直書き御朱印を頂きに参拝しました。
社記(寛文8年(1668年)の『調宮縁起』)によれば、第9代開化天皇の乙酉年3月に奉幣の社として創建されたとのこと。
また第10代崇神天皇の時には伊勢神宮斎主の倭姫命が参向し、清らかな岡である当地を選び、伊勢神宮に献上する調物(貢ぎ物・御調物)を納める倉を建て、武総野(武蔵、上総・下総・安房、上野・下野)すなわち関東一円の初穂米・調の集積所と定めたそうです。 不確かな伝承としてではありますが、調神社の七不思議のうちに「鳥居が無いこと」があり、その中で倭姫命の命により調物の運搬の妨げとなる鳥居・神門を取り払ったことによると伝えており、この事が調神社の前身が御倉であったことを表すと考えられています。 そして伝承中で奉幣があったと伝える宝亀2年(771年)には武蔵国の所属が東山道から東海道に変更されていることから、この街道変更により調物が通らなくなって役割を終えた御倉が神聖視され、神社として奉斎されるようになったのが実際の創建になると推測されています。 因みに東京都調布市は、古代、布(織物)を調として納める地であったところから「調布」という地名になったとのことなので、実例は他にも結構あったりはします。
その他にも、槻(つき)の木が多く生えていた地であるという説や渡来系民族の調氏との関係なども指摘されています。
そして時は下り中世。 「調」と「月」の読みが一緒ということで、貢物由来だった社名から月待信仰にスライドして信仰されるようになりました。 現在、こちらの神社の狛犬が犬ではなく兎…つまり狛兎なのはこれが由来。
そして足利尊氏の命で社殿復興、秀吉の小田原征伐による兵火、明治の神仏分離等を経て現在に至ります。
境内の外れには、日蓮上人が馬を繋いだという駒繋ぎの欅があります。
御朱印は社務所で授与頂けますが一つ注意。 こちらの御朱印はお寺の御朱印が書かれている御朱印帳には書いていただけません。その旨、お断りが貼られています。 なので神社とお寺の御朱印を一緒に頂いている御朱印帳、お寺が頒布されている御朱印帳はNGとなりますのでご注意を。
最寄り駅は浦和駅で、旧中山道を少し蕨方面へ歩いた所...
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