”アスカの神"ことクシタマホノアカリ・テルヒコ神。 天君ニニキネ・キヨヒト神のお兄さん。 ”箱根の神"オシホミミ皇子と”鈴鹿の神”タクハタチチ姫のご長男。初代アスカ皇君。2代目アスカ(カグヤマ)皇君はニギハヤヒ・クニテル神。 それまで大和・春日県を治めてきた”ココトムスビ”・”春日殿”こと市千魂命・ヰチチ神。 ”カトリ尊”フツヌシ神の妹さんで妻アサカ姫とのあいだにアマノコヤネ・カスガマロ・ワカヒコ神をもうけたそう。 アマテル神より賜った春日県。 しかしながら治めるは高齢の為少々困難になってきた旨、中央にうかがうヰチチ神。 父オシホミミ神とヒタカミにいた兄テルヒコ神。 祖父アマテル神と妹背にいた弟キヨヒト神。全土インフラ整備を控えていたため、それならばと中央会議を経てテルヒコ神推挙。オシホミミ神より三種の神宝、アマテル神より十種宝を授かり、テルヒコ神は、大規模な大和下りを行う。 九十九里浜より出航したテルヒコ神一行。浪速に上陸。山後川を遡り、イカルガ峰に。最終目的地、鳥の白庭に到着。 天磐船神話はこの大移動が元なのかもしれません。 イカルガ宮を治め始めるテルヒコ神。この地、相性良くなかったのか数ヶ月経てなお落ち着かず、シラニハ山(生駒山)にカラスを見、ほら、やはり隈野だ、と思い込み、クシヒコ神(初代事代主)、春日神の反対も押し切り、1年も経たないままアスカへ宮を遷すことに。よほどテルヒコ神はこの地が肌に合わなかったのかな。 フトタマ神、カグヤマツミ神が左右臣を務め、めでたく初代アスカ皇君に。 土木工事で全国を開拓、整備する弟キヨヒト神に倣い、蓬莱山(橘山)を写した人工山を橿原に造る。香具山と名付けアスカ宮からカグヤマ宮とした。 スガタ姫、ハツセ姫、アメミチ姫と奥さんを迎えるも子宝には恵まれなかったそう。アメミチ姫の兄、カゴヤマ・タクリ神の子、タクラマロ・タカクラシタ神を養子に迎えるもハツセ姫に嫉妬され、追い出されることに。 このアメミチ姫とカゴヤマ・タクリ神のお母さんが宗像三姫のタギツヒメ・タキコ神ですから、お向かいに宗像神社が鎮座されるのも得心するところ。 代嗣がいないテルヒコ神亡き後、アマテル神の命で、逸浅間御子三神の長男、ホノアカリ・ムメヒト神の子、ニギハヤヒ・クニテル神をアスカ皇君に任命。テルヒコ神の十種の尊宝を譲り受け、アスカ(カグヤマ宮)...
Read more墳丘長207メートルは全国で27番目の大きさ。前方部が細長く、全体が柄鏡(えかがみ)形を呈する柄鏡式古墳である。古墳時代初期の内でも比較的新しいものであり、箸墓古墳に後続する時期に造営された巨大な前方後円墳である。後円部の頂に高さ2メートル弱、一辺9.75×12.5メートルの貼石のある矩形壇があり、また方形に巡る有孔の壺形土器(二重口縁壺形土器)が壇の裾周りに巡らされているのを別にすると、墳丘に埴輪を使用した痕跡がない。段築面には葺石が施されている。また、陪墳群がみられない。この古墳の後円部の空濠の外に宗像神社があり、筑前国宗像郡の宗像神社と同神である。北部九州系の神社が大和にあるのは珍しいらしい。
古墳全体は柵で囲われているが、南側を走る国道165号線から少し水路に沿って降りると扉がありそこから入ることができる。古墳内部はほぼ草木で覆われていてまともに歩くことができなかった。行くなら冬場だろう。前に広いスペースがあるのだから駐車場やトイレも含めて観光用の整備をお願いしたい。2009年の発掘調査の一般公開の時に行ったがその時の写真は...
Read more車の場合近くに駐車できそうな場所はなさそうなので、駅近くの🅿️に停めて歩くのがベストかと思います JRまたは近鉄桜井駅からは徒歩15分ほどで入り口に着きます、標識があるので分かりやすいです 墳頂へは、柵に沿って左へまわり登り口を見つけます、狭い山道を数分歩くときれいに整備された墳頂に出ます。後円部墳頂にあるという竪穴式石室は残念ながら今は見ることはできません。 ご近所の方に話しをうかかうと、「むかしはふつうに見られたんやけどなあ、意地悪して埋めてしもうてなあ。。」とのこと 保存のためなのでしょうが、石室内の写真を見ると...
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