八十嶋祭に名を列ねる垂水神社 史料に見られるのは 平安時代 文徳天皇即位時850年〜鎌倉時代 後堀河天皇即位時1224年まで 計22回行われたとされる即位儀礼の一つ 往古 難波津(現:大阪城辺り)周辺に形成されていた島々 難波八十島を国土の大八洲にに見立て 国土の発展や朝廷の安泰を祈る祭祀 生島神・足島神(生國魂神社)を主神とし住吉神(住吉大社)大依羅神(大依羅神社)海神(不詳)垂水神(垂水神社)住道神(中臣須牟地神社)などを祭神とする 起源を辿れば河内王朝まで遡るといわれ それらを含めて固定されたものでなく 当初 難波津周辺の島々で行われていたものが もと難波津にあった生國魂神社で斎行されるようになり 後は住吉大社周辺となり 時代とともに その内容も変化していったと私は思っています
ご由緒にありますように 旱魃に苦しむ孝徳天皇の御代 難波長柄豊碕宮(前期難波宮:日本初の首都)へ水を供され 朝廷からの信頼を厚くし「垂水公」の姓を賜り創建への運びとなり その後も祈雨のみならず それに纏わる数多の貢献により「延喜式神名帳」では名神大社とされる事から やはり 「垂水の瀧」の御神威が いかに偉大であるかが窺われます(主祭神の豊城入彦命様 真にもってごめんなさい🙏😅) 実際 拝殿及び三社の参拝を済ませ 西の階段を降りたところ 世界が一変 陰陽の如く ひんやりと張り詰めた空気感に身を正し「これが森羅万象 自然神の力なのか」と思いつつも何かが迫って来る? と言うか圧が凄い………「えっ!」 案の定 垂水の御瀧様には拒絶されてしまった 清掃中とはいえバリケードで固く阻まれ なす術がない「あなた様の御心に従います🙏」 私が生臭い人間だと見透かされていたようです😅💦 入れたとて ここは土足厳禁のようで履き替え用のスリッパが置かれてあり かつては文字通り瀧となって湧き出ていた一番神聖な場所のようです 眷属でしょうか 「津くよみの池」の錦鯉様にも ご挨拶させて頂きました🙏
千里ニュータウンなどの宅地造成 昭和の万博により姿を変えた丘陵 緑豊かだった面影を鎮守の森に見る事が出来ました 近年もマンション開発の危機に瀕したと聞きます 大変な ご苦労だと思いますが...
Read more垂水神社(たるみじんじゃ)。大阪府吹田市垂水町。
式内社(名神大)、旧郷社。 単位神社。
主祭神:豊城入彦命(とよきいりひこのみこと) - 第10代崇神天皇皇子。 相殿神:大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)。
資料によると、 垂水神社の社名の「垂水」とは、「崖から流れ落ちる水」を意味する。千里丘陵南端に位置する境内は地形的に丘陵からの湧水が生じる場所で、当地を鎮座地とする垂水神は古くから水の神として信仰された。『新撰姓氏録』には「垂水岡」の水にまつわる当社の由緒が記されるほか、国史等には朝廷から当社へ幾度も祈雨祈願の奉幣がなされた旨が記されている。近世の『摂津名所図会』・『摂津志』にも当地の湧水に関する記述があり、特に『摂津名所図会』では霊泉として信仰された様子が記されている。
また垂水地域では、古代氏族として垂水氏(たるみうじ、垂水公)が居住し、垂水神社の祭祀にも関与したことが知られる。この垂水氏について、『新撰姓氏録』右京皇別 垂水公条では賀表乃真稚命(豊城入彦命四世孫)の後裔とし、その分注には阿利真公(ありまのきみ、豊城入彦命六世孫)の時に「垂水公」の姓を賜るとともに垂水神社の祭祀を管掌したとする。現在の垂水神社で人格神とされる豊城入彦命は、この垂水氏の遠祖にあたる。一説として、この垂水氏が関与する以前より当社は水の神を祀る素朴な祠として鎮座していたが、垂水氏の関与により人格神に豊城入彦命があてられたとも推測されている。なお『新撰姓氏録』では、左京皇別に同じく豊城入彦命を祖とする垂水史の記載も見える。
創建は不詳。『新撰姓氏録』右京皇別...
Read more住宅街の海にぽっかりと浮かぶ緑の小島のような鎮守の森に鎮座される神社です。観光ガイドで紹介されるような神社ではないですか、地域の住民から厚い信仰を集めています。御祭神は豊城入彦命で、十代崇神天皇の皇子にあたる方です。正面の鳥居をくぐると手水場があり、石段を登った所に拝殿があります。
非常に歴史のある神社で、万葉集にも詠まれており境内に歌碑があります。古代には非常に高い社格を持ち、式内名神大社に列せられてます。
式内社とは、平安時代に定められた延喜式という律令を保管する形で、国家のしきたりや作法を取りまとめたもの。その中に、当時国家として祭祀をすべき神社を記した延喜式神名帳があり、2861社が記載されています。こちらに記載のある神社を式内社と呼び、その中でも特に霊験のあらたかな神社が名神大社と区別され、その数は全国でたった226社です。垂水神社はその内の一社です。(ちなみに全国の神社の数は8万8000社以上あるそうです)
垂水とは滝を表す古語で、その名の通り境内に垂水の滝が流れています。7世紀に大旱魃が起こった際に、唯一枯れなかったこの滝から、難波宮まで水を送ったと伝えられています。
鎮守の森は禁足地で、夏でも涼やかな空気が流れています。最寄り駅からは10~15分ほど歩きます。春と秋の大祭には屋台が並び、非常に賑やかですが、普段は都会の喧騒から離れた凛とした雰囲気に包まれ、おごそかな雰囲気...
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