奥の細道 第12の段「須賀川」 曾良旅日記に拠ると、奥の細道の旅では、相良等窮宅に滞在中出発の前日に訪問したと記される。浄土宗の寺である。 ご当地の女流俳人”市原多代女”(江戸時代末期)が建てた、すか川の句(おくのたうゑうた)碑がある。句の解釈は過去に投稿した「相良等窮屋敷跡」に書いているので参照にされたい。 補足すると「おくのたうゑうた」は琵琶法師”生仏”の作で、「平家物語」詠む前に歌ったと「徒然草」に記載がある。現在でいう、ドラマの主題歌に近いと思われる。 文学的にはこれから奥の細道では源義経一門の話になってくるので”平清盛”、”木曾義仲”及び”源義経”が主人公である「平家物語」を示唆していることは意味深長である。(手前にとって文学のことは興味の無い話であるか…) なお、他門の御寺の評価は遠慮させて頂いております(日本語合っている?)ので、投稿は評価5としています、予めご了承願います。
こちらには、円谷幸吉の墓所がある。最初の東京オリンピックのマラソンの英雄であり、競技中決して振り向かない独特の走り方をする選手であったと聞きます。 幸吉の両足には支えきれないほどの「国民の期待」を背負うことになり、自ら命を絶つという悲劇を生みます。遺書には 「幸吉は両親の元で暮らしとうございました」(うろ覚え、記憶違いがありましたら容赦下さい)と結んでいて、読んだとき、こみ上げるものを抑えられなかったことを記憶しています。 スポーツ自体で収入がないので、維持、発展のために興業化するのは仕方ないけれど、選手を非難、期待、そして道具として扱う前に、選手が最大の能力を発揮するために、レンガを磨いて鏡にするような努力をしていることに気づいてもらいたいことが忌憚のない本心です。
奥の細道の投稿はお休みしていましたが、某国の代表者が競技を利用した科学的根拠のない主張を耳にして、その不条理を惻隠の情に堪えず、かつ、幸吉の無念を慮ると、居ても立っても居られず、手前にできる助力として少しでも観光に訪れる方のお役に立てればと考え、再び筆を取らせていただきました。 競技同様、(お渡ししたものは)申告された正い用途で使用され...
Read more松尾芭蕉の句碑が境内にある
「風流のはじめや奥の田植唄」(芭蕉)
芭蕉は須賀川で旧知の等躬を訪ねている。 等躬から、「白河の関ではどんな句ができましたか」と問われた芭蕉は、疲労と風景の優美さと懐旧の念で頭が一杯になり、全然あきませんでしたと答え、と言って、まったく一句もなしに越えるというのも心残りとして、上記「風...
Read more円谷幸吉さんの墓参りに伺いました。十念寺は円谷英二ミュージアムの向い側、ウルトラマン通りから少し奥に入った所にあります。 隣には10台は置けるくらいの駐車場があります。 静かで落ち着けるお寺です。 円谷さんのお墓を捜すのに少し苦労しました。アハハ...
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