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Gionji Temple — Attraction in Tokyo

Name
Gionji Temple
Description
Nearby attractions
Chofu Shiritsu Sasu Park
Japan, 〒182-0016 Tokyo, Chofu, Sazumachi, 4 Chome−63−1
Jindai temple nature reserve
Japan, 〒182-0013 Tokyo, Chofu, Jindaiji Minamimachi, 1−25
Fuda Park
Japan, 〒182-0021 Tokyo, Chofu, Chofugaoka, 3 Chome−30−1
Site of Jindaiji-Jō Castle
Japan, 〒182-0017 Tokyo, Chofu, Jindaiji Motomachi, 2 Chome−14−4
Kokuryo Shrine
1 Chome-7-1 Kokuryocho, Chofu, Tokyo 182-0022, Japan
Jindai Botanical Park Aquatic Botanical Gardens
Japan, 〒182-0017 Tokyo, Chofu, Jindaiji Motomachi, 2 Chome−37
Fuda Tenjin-sha
Japan, 〒182-0021 Tokyo, Chofu, Chofugaoka, 1 Chome−8−1
野川河川敷
Japan, 〒182-0017 Tokyo, Chofu, Jindaiji Motomachi, 1 Chome−13−11
Kamifuda Park
Japan, 〒182-0021 Tokyo, Chofu, Chofugaoka, 1 Chome−24−1
Chofu Shiritsu Shibasaki Park
Japan, 〒182-0014 Tokyo, Chofu, Shibasaki, 2 Chome−28−2
Nearby restaurants
Hanamizuki
Japan, 〒182-0021 Tokyo, Chofu, Chofugaoka, 3 Chome−56−1
Joraku
Japan, 〒182-0015 Tokyo, Chofu, Yagumodai, 1 Chome−25−12
Kōbeya Restaurant
Japan, 〒182-0021 Tokyo, Chofu, Chofugaoka, 2 Chome−15−1 ビリアベルデ1F
Hamakatsu
Japan, 〒182-0016 Tokyo, Chofu, Sazumachi, 3 Chome−1−8
Kisoji Chofu
2 Chome-7-1 Yagumodai, Chofu, Tokyo 182-0015, Japan
Rengeshokudo Toshu Chofugaokaten
1 Chome-18-1 Chofugaoka, Chofu, Tokyo 182-0021, Japan
Paku-Paku Kumokumadou
Japan, 〒182-0021 Tokyo, Chofu, Chofugaoka, 2 Chome−1−8
Trattoria Concerbuono
Japan, 〒182-0021 Tokyo, Chofu, Chofugaoka, 2 Chome−2−2 原島ハイツ
AGNI(アグニ) 調布 (カレー,レストラン)
Japan, 〒182-0021 Tokyo, Chofu, Chofugaoka, 2 Chome−2−2
Tuna
Japan, 〒182-0017 Tokyo, Chofu, Jindaiji Motomachi, 1 Chome−11−1 深大寺にぎわいの里
Nearby hotels
Kaniyama Camping Ground
Japan, 〒182-0013 Tokyo, Chofu, Jindaiji Minamimachi, 2 Chome−16−1
Toyoko Inn Chofu Keio Line Fuda Station
2 Chome-11-1 Fuda, Chofu, Tokyo 182-0024, Japan
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Gionji Temple things to do, attractions, restaurants, events info and trip planning
Gionji Temple
JapanTokyoGionji Temple

Basic Info

Gionji Temple

Japan, 〒182-0016 Tokyo, Chofu, Sazumachi, 2 Chome−18−1
4.1(46)
Open 24 hours
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spot

Ratings & Description

Info

Cultural
Scenic
Relaxation
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attractions: Chofu Shiritsu Sasu Park, Jindai temple nature reserve, Fuda Park, Site of Jindaiji-Jō Castle, Kokuryo Shrine, Jindai Botanical Park Aquatic Botanical Gardens, Fuda Tenjin-sha, 野川河川敷, Kamifuda Park, Chofu Shiritsu Shibasaki Park, restaurants: Hanamizuki, Joraku, Kōbeya Restaurant, Hamakatsu, Kisoji Chofu, Rengeshokudo Toshu Chofugaokaten, Paku-Paku Kumokumadou, Trattoria Concerbuono, AGNI(アグニ) 調布 (カレー,レストラン), Tuna
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Chofu Shiritsu Sasu Park

Jindai temple nature reserve

Fuda Park

Site of Jindaiji-Jō Castle

Kokuryo Shrine

Jindai Botanical Park Aquatic Botanical Gardens

Fuda Tenjin-sha

野川河川敷

Kamifuda Park

Chofu Shiritsu Shibasaki Park

Chofu Shiritsu Sasu Park

Chofu Shiritsu Sasu Park

3.7

(38)

Open until 12:00 AM
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Jindai temple nature reserve

Jindai temple nature reserve

4.0

(71)

Open 24 hours
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Fuda Park

Fuda Park

3.6

(42)

Open until 12:00 AM
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Site of Jindaiji-Jō Castle

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3.8

(127)

Open 24 hours
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Explore Tokyo’s Car Scene in a Nissan Skyline
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150-0002, Tokyo Prefecture, Shibuya, Japan
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Bike Shinjukus Gems - a Tokyo locals tour
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Sun, Dec 7 • 9:30 AM
160-0023, Tokyo Prefecture, Shinjuku City, Japan
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Practice Judo with a former UfC fighter
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Sat, Dec 6 • 4:00 PM
227-0055, Kanagawa Prefecture, Yokohama, Japan
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Hanamizuki

Joraku

Kōbeya Restaurant

Hamakatsu

Kisoji Chofu

Rengeshokudo Toshu Chofugaokaten

Paku-Paku Kumokumadou

Trattoria Concerbuono

AGNI(アグニ) 調布 (カレー,レストラン)

Tuna

Hanamizuki

Hanamizuki

4.2

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Joraku

Joraku

3.9

(36)

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Kōbeya Restaurant

Kōbeya Restaurant

3.9

(432)

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Hamakatsu

Hamakatsu

3.5

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潜狸潜狸
柴崎には館跡が多い。 そんなことに気づいたのは、Googleマップで何気なく陣屋跡を検索していたからでした。 目についたのは、柴崎稲荷神社の柴崎陣屋、狛江入道館跡、そして温井氏館跡のある祇園寺でした。 関東ローム層で乾燥しやすい土壌の武蔵野にあって、付近を野川が流れているのがよかったのでしょうか。 恥ずかしながら、温井氏が何者かは存じ上げなかったのですが、深大寺を建立した満功(まんく)上人の一族だったのですね。 先に温井氏の居館跡のレビューで書きましたように、実はここは温井氏の居館跡ではなく、温井氏に関してはお墓があるだけです。 今では温井氏居館跡は民家になっているそうですが、さすがにプライバシーにかかわるので、そこまではお伺いしませんでした。 境内は綺麗に掃き清められ、主だったところは白い砂利と石畳があり、泥や雑草にまみれることはまずありません。 閻魔堂に並ぶ大小の閻魔大王の像に身震いし、板垣退助御手植えの松の前のカラフルな石のオブジェに見入ったり。 板垣退助植樹の松は、秩父事件の犠牲者を弔う集会の記念だそうで、歴史漫画で隠された自由民権運動の暗部として描かれた秩父事件も板垣退助は受け止めていたのだな、という事が分かり、なんとなくほっとしました。 どうも教科書や歴史漫画だと板垣退助は政府に買収され、その後存在感を失っていったのですが、自分の産み出した物の悲劇をきちんと追悼できる人間だったのだ、と分かったのは収穫でした。 しかし、この寺の由緒は素晴らしい。天平年間に自由恋愛の結果生まれた僧侶を開祖として、悟玄上人の自由民権運動など、先進的な考えでいらっしゃる。 現在の政府は、明治政府の延長線上にあります。 そのため、江戸時代の宗門改め帳や葬式仏教など仏教を揶揄する言葉が世にはびこっておりますが、本願寺は明治維新において僧兵を新政府軍に合流させ、廃仏毀釈をしようとした明治政府に敢然と抗議しています。 戦後我々日本人は無宗教であると口にしますが、しかし地鎮祭は行われ、首相の靖国参拝は許容されます。なぜ、靖国は神社でなければいけないのか。 政教分離といわれる世の中ですが、実際に我々は宗教とはつながりがあり、しかしながらそれは日本古来の神仏習合を明治政府が捻じ曲げた結果のいびつな宗教なのです。 なぜ、仏教は無視されるのか。 そして近代において仏教者が果たしてきた功績や社会運動は何なのか。 それをもっと知りたいと思います。 また、悟玄上人の民権活動と僧侶の活動、そして近所の農村の啓蒙活動などは、彼は成功した宮沢賢治とも言えなくもないでしょうか。 我々は歴史上悲運のヒーローについて嘆くことは多いですが、成功しながらも歴史に埋もれた人物についても、また忘れてはならないと思います。 最後に、Googleマップに板垣退助の松と温井氏のお墓を載せようとしたのですが、どうも地図にはなく、航空写真でも隠れて無理っぽいです…。 両方とも文化的にとても大切だと思うし、無人神社の手水屋とか参集所とか登録しても意味ないと思うのになあ、とここで愚痴っときます。 [縁結びゆかりのお寺 祇園寺縁起ものがたり 天平年間(729~749)創建] 昔、この地に郷長右近と、その妻の虎女の間にひとりの美しい娘がおりました。娘が年頃を迎えたころ、福満という青年が現れ、二人は相思相愛の仲になりました。 しかし両親はどこから来たかもわからぬ青年と一緒にさせるわけにはいかないと、娘を池の中の小島へ閉じ込めてしまいました。 困った福満が、水神・深沙大王に祈ったところ、池から大きな霊亀が現れ、福満を背中に乗せて娘の居る小島へ渡してくれました。 この奇跡に、娘の両親は二人の結婚を許し、二人の間には玉のような男の子を授かりました。この子は、満功(まんく)と名付けられ、成長すると両親の教えにより深く仏教に帰依し、唐にわたり仏教を学びました。その後、この地に戻り、祇園寺を建立しました。 [祇園寺のあらまし] 当山は、『虎狛山日光院祇園寺』と称し、西暦700年代半ばの奈良時代前期、天平年間に深大寺と同じ満功上人によって開創された寺院である。当初は、法相宗であったが、平安期に入って天台宗に改宗され、現在に至っている。 その1300年近い歴史の中、種々興亡により当寺の歴史を示す資料は散逸してしまっている。 それでも近世になると、武蔵名所図会、新編武蔵風土記稿、江戸名所図会などに、しばしば祇園寺の名が、記載されるようになる。 明治41年(1908年)1月12日に中西悟玄師が来住し、その年の9月12日に自由民権運動殉難者慰霊大法会を催し、板垣退助伯はじめ自由党の領袖一千人余りが、甲州街道に馬車を連ね参集し、慰霊祭の後、大演説会を開いた。その時の記念に赤松の苗木2本が、板垣伯の手により植えられ、現在も「自由の松」と称えられ天高くそびえている。 悟玄師は、祇園寺入寺前は自由党党員として世界各地を駆け巡り、当寺住職となってからも、週刊多摩新聞の発刊、青年会活動の組織化、三多摩地区農家への養豚、養鶏の奨励など、幅広い活動を行ったが、大正3年(1914年)3月16日惜しくも病没した。 関東91薬師霊場 第10番札所 関東108地蔵尊 第101番札所 調布七福神 福禄寿奉安
mikimiki
調布七福神のうち福禄寿を祀るお寺。最寄駅 (京王線 布田駅) から離れているため、アクセスがちょっと不便。参拝者用の駐車場が、門に向かって左側に6台分くらいあり。 国領神社からだと国道20号線を渡り、八雲台小学校の横の 祇園寺通り をまっすぐ歩いて15分程度。深大寺からだと深大寺小学校の方へ出て、三鷹通り と 佐須街道 を歩いて15分程度。 729年から749年 (天平年間) に、深大寺と同じ満功 (まんくう) 上人によって開山された長い歴史をもつお寺。満功上人の生誕の地とも伝わるそうですが、種々の興亡があり、住職不在の時代も長く、廃寺寸前に追い込まれた時もあり、歴史を示す資料は殆ど散逸してしまいました。 境内はそこそこ広いものの、伽藍は近年建てられたものばかりで、門を入ると正面に本堂、右側に閻魔堂、左側に薬師堂 (佐須薬師) があります。本堂に向かって右側に庫裡があり、ご住職がいらっしゃれば、直書きで御朱印がいただけます。書置きの御朱印であれば、ご住職が不在でもいただけるとのこと。 庫裡と閻魔堂の間に、先代住職の書による 一生稽古 と書かれた石碑があり、その左側やや後ろに (伝) 板垣退助 手植えの赤松 が高くそびえています。 日本野鳥の会 の創設者である中西悟堂 (ごどう) の、伯父で養父の中西悟玄 (ごげん) が、1908年 (明治41年) に住職になりました。中西悟玄は、板垣退助が率いる自由党の党員で、自由民権運動の犠牲者を弔う追悼集会を祇園寺で開催し、これに板垣退助が出席したのを記念して、2本の赤松の苗木を、板垣退助が植えたらしい。 また、中西悟堂も祇園寺や深大寺で10代の一時期を過ごしたそうで、その縁からか 祇園寺 フィールドワーク 探鳥会 が開催されているようです。 本堂に向かって左側に、祇園寺縁起にもとづく亀の甲羅のような石などが置かれており、歌碑には、中西悟堂の詠んだ「思ふこと みな砕けゆく だゆらを 恃みつつ組む 調息の坐か」とあり、白虎像は山号 (虎狛山) に因んだもの、鷹の像は中西悟堂が鳥獣保護法の制定に貢献したことによるもの。 境内には烏骨鶏や鶏が、放し飼いされていました。
な、なおとな、なおと
参拝者用に駐車場(5、6台)があるのが有難い。 正面の門から本堂に向かうと左手に薬師堂、右手に閻魔堂がある。薬師堂内には薬師様や不動明王が祀られていて、閻魔堂には閻魔大王と奪衣婆様、十王様が祀られている。 正面の本堂には御本尊である阿弥陀如来が祀られている筈だが、入口に南極星の化身と言われている福禄寿がいらっしゃってその姿が見えない。元旦から7日までは七福神巡りが開催されたからのようです。 2025/01/04
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柴崎には館跡が多い。 そんなことに気づいたのは、Googleマップで何気なく陣屋跡を検索していたからでした。 目についたのは、柴崎稲荷神社の柴崎陣屋、狛江入道館跡、そして温井氏館跡のある祇園寺でした。 関東ローム層で乾燥しやすい土壌の武蔵野にあって、付近を野川が流れているのがよかったのでしょうか。 恥ずかしながら、温井氏が何者かは存じ上げなかったのですが、深大寺を建立した満功(まんく)上人の一族だったのですね。 先に温井氏の居館跡のレビューで書きましたように、実はここは温井氏の居館跡ではなく、温井氏に関してはお墓があるだけです。 今では温井氏居館跡は民家になっているそうですが、さすがにプライバシーにかかわるので、そこまではお伺いしませんでした。 境内は綺麗に掃き清められ、主だったところは白い砂利と石畳があり、泥や雑草にまみれることはまずありません。 閻魔堂に並ぶ大小の閻魔大王の像に身震いし、板垣退助御手植えの松の前のカラフルな石のオブジェに見入ったり。 板垣退助植樹の松は、秩父事件の犠牲者を弔う集会の記念だそうで、歴史漫画で隠された自由民権運動の暗部として描かれた秩父事件も板垣退助は受け止めていたのだな、という事が分かり、なんとなくほっとしました。 どうも教科書や歴史漫画だと板垣退助は政府に買収され、その後存在感を失っていったのですが、自分の産み出した物の悲劇をきちんと追悼できる人間だったのだ、と分かったのは収穫でした。 しかし、この寺の由緒は素晴らしい。天平年間に自由恋愛の結果生まれた僧侶を開祖として、悟玄上人の自由民権運動など、先進的な考えでいらっしゃる。 現在の政府は、明治政府の延長線上にあります。 そのため、江戸時代の宗門改め帳や葬式仏教など仏教を揶揄する言葉が世にはびこっておりますが、本願寺は明治維新において僧兵を新政府軍に合流させ、廃仏毀釈をしようとした明治政府に敢然と抗議しています。 戦後我々日本人は無宗教であると口にしますが、しかし地鎮祭は行われ、首相の靖国参拝は許容されます。なぜ、靖国は神社でなければいけないのか。 政教分離といわれる世の中ですが、実際に我々は宗教とはつながりがあり、しかしながらそれは日本古来の神仏習合を明治政府が捻じ曲げた結果のいびつな宗教なのです。 なぜ、仏教は無視されるのか。 そして近代において仏教者が果たしてきた功績や社会運動は何なのか。 それをもっと知りたいと思います。 また、悟玄上人の民権活動と僧侶の活動、そして近所の農村の啓蒙活動などは、彼は成功した宮沢賢治とも言えなくもないでしょうか。 我々は歴史上悲運のヒーローについて嘆くことは多いですが、成功しながらも歴史に埋もれた人物についても、また忘れてはならないと思います。 最後に、Googleマップに板垣退助の松と温井氏のお墓を載せようとしたのですが、どうも地図にはなく、航空写真でも隠れて無理っぽいです…。 両方とも文化的にとても大切だと思うし、無人神社の手水屋とか参集所とか登録しても意味ないと思うのになあ、とここで愚痴っときます。 [縁結びゆかりのお寺 祇園寺縁起ものがたり 天平年間(729~749)創建] 昔、この地に郷長右近と、その妻の虎女の間にひとりの美しい娘がおりました。娘が年頃を迎えたころ、福満という青年が現れ、二人は相思相愛の仲になりました。 しかし両親はどこから来たかもわからぬ青年と一緒にさせるわけにはいかないと、娘を池の中の小島へ閉じ込めてしまいました。 困った福満が、水神・深沙大王に祈ったところ、池から大きな霊亀が現れ、福満を背中に乗せて娘の居る小島へ渡してくれました。 この奇跡に、娘の両親は二人の結婚を許し、二人の間には玉のような男の子を授かりました。この子は、満功(まんく)と名付けられ、成長すると両親の教えにより深く仏教に帰依し、唐にわたり仏教を学びました。その後、この地に戻り、祇園寺を建立しました。 [祇園寺のあらまし] 当山は、『虎狛山日光院祇園寺』と称し、西暦700年代半ばの奈良時代前期、天平年間に深大寺と同じ満功上人によって開創された寺院である。当初は、法相宗であったが、平安期に入って天台宗に改宗され、現在に至っている。 その1300年近い歴史の中、種々興亡により当寺の歴史を示す資料は散逸してしまっている。 それでも近世になると、武蔵名所図会、新編武蔵風土記稿、江戸名所図会などに、しばしば祇園寺の名が、記載されるようになる。 明治41年(1908年)1月12日に中西悟玄師が来住し、その年の9月12日に自由民権運動殉難者慰霊大法会を催し、板垣退助伯はじめ自由党の領袖一千人余りが、甲州街道に馬車を連ね参集し、慰霊祭の後、大演説会を開いた。その時の記念に赤松の苗木2本が、板垣伯の手により植えられ、現在も「自由の松」と称えられ天高くそびえている。 悟玄師は、祇園寺入寺前は自由党党員として世界各地を駆け巡り、当寺住職となってからも、週刊多摩新聞の発刊、青年会活動の組織化、三多摩地区農家への養豚、養鶏の奨励など、幅広い活動を行ったが、大正3年(1914年)3月16日惜しくも病没した。 関東91薬師霊場 第10番札所 関東108地蔵尊 第101番札所 調布七福神 福禄寿奉安
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調布七福神のうち福禄寿を祀るお寺。最寄駅 (京王線 布田駅) から離れているため、アクセスがちょっと不便。参拝者用の駐車場が、門に向かって左側に6台分くらいあり。 国領神社からだと国道20号線を渡り、八雲台小学校の横の 祇園寺通り をまっすぐ歩いて15分程度。深大寺からだと深大寺小学校の方へ出て、三鷹通り と 佐須街道 を歩いて15分程度。 729年から749年 (天平年間) に、深大寺と同じ満功 (まんくう) 上人によって開山された長い歴史をもつお寺。満功上人の生誕の地とも伝わるそうですが、種々の興亡があり、住職不在の時代も長く、廃寺寸前に追い込まれた時もあり、歴史を示す資料は殆ど散逸してしまいました。 境内はそこそこ広いものの、伽藍は近年建てられたものばかりで、門を入ると正面に本堂、右側に閻魔堂、左側に薬師堂 (佐須薬師) があります。本堂に向かって右側に庫裡があり、ご住職がいらっしゃれば、直書きで御朱印がいただけます。書置きの御朱印であれば、ご住職が不在でもいただけるとのこと。 庫裡と閻魔堂の間に、先代住職の書による 一生稽古 と書かれた石碑があり、その左側やや後ろに (伝) 板垣退助 手植えの赤松 が高くそびえています。 日本野鳥の会 の創設者である中西悟堂 (ごどう) の、伯父で養父の中西悟玄 (ごげん) が、1908年 (明治41年) に住職になりました。中西悟玄は、板垣退助が率いる自由党の党員で、自由民権運動の犠牲者を弔う追悼集会を祇園寺で開催し、これに板垣退助が出席したのを記念して、2本の赤松の苗木を、板垣退助が植えたらしい。 また、中西悟堂も祇園寺や深大寺で10代の一時期を過ごしたそうで、その縁からか 祇園寺 フィールドワーク 探鳥会 が開催されているようです。 本堂に向かって左側に、祇園寺縁起にもとづく亀の甲羅のような石などが置かれており、歌碑には、中西悟堂の詠んだ「思ふこと みな砕けゆく だゆらを 恃みつつ組む 調息の坐か」とあり、白虎像は山号 (虎狛山) に因んだもの、鷹の像は中西悟堂が鳥獣保護法の制定に貢献したことによるもの。 境内には烏骨鶏や鶏が、放し飼いされていました。
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参拝者用に駐車場(5、6台)があるのが有難い。 正面の門から本堂に向かうと左手に薬師堂、右手に閻魔堂がある。薬師堂内には薬師様や不動明王が祀られていて、閻魔堂には閻魔大王と奪衣婆様、十王様が祀られている。 正面の本堂には御本尊である阿弥陀如来が祀られている筈だが、入口に南極星の化身と言われている福禄寿がいらっしゃってその姿が見えない。元旦から7日までは七福神巡りが開催されたからのようです。 2025/01/04
な、なおと

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Reviews of Gionji Temple

4.1
(46)
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5.0
4y

柴崎には館跡が多い。 そんなことに気づいたのは、Googleマップで何気なく陣屋跡を検索していたからでした。 目についたのは、柴崎稲荷神社の柴崎陣屋、狛江入道館跡、そして温井氏館跡のある祇園寺でした。 関東ローム層で乾燥しやすい土壌の武蔵野にあって、付近を野川が流れているのがよかったのでしょうか。

恥ずかしながら、温井氏が何者かは存じ上げなかったのですが、深大寺を建立した満功(まんく)上人の一族だったのですね。

先に温井氏の居館跡のレビューで書きましたように、実はここは温井氏の居館跡ではなく、温井氏に関してはお墓があるだけです。 今では温井氏居館跡は民家になっているそうですが、さすがにプライバシーにかかわるので、そこまではお伺いしませんでした。

境内は綺麗に掃き清められ、主だったところは白い砂利と石畳があり、泥や雑草にまみれることはまずありません。

閻魔堂に並ぶ大小の閻魔大王の像に身震いし、板垣退助御手植えの松の前のカラフルな石のオブジェに見入ったり。 板垣退助植樹の松は、秩父事件の犠牲者を弔う集会の記念だそうで、歴史漫画で隠された自由民権運動の暗部として描かれた秩父事件も板垣退助は受け止めていたのだな、という事が分かり、なんとなくほっとしました。 どうも教科書や歴史漫画だと板垣退助は政府に買収され、その後存在感を失っていったのですが、自分の産み出した物の悲劇をきちんと追悼できる人間だったのだ、と分かったのは収穫でした。

しかし、この寺の由緒は素晴らしい。天平年間に自由恋愛の結果生まれた僧侶を開祖として、悟玄上人の自由民権運動など、先進的な考えでいらっしゃる。 現在の政府は、明治政府の延長線上にあります。 そのため、江戸時代の宗門改め帳や葬式仏教など仏教を揶揄する言葉が世にはびこっておりますが、本願寺は明治維新において僧兵を新政府軍に合流させ、廃仏毀釈をしようとした明治政府に敢然と抗議しています。 戦後我々日本人は無宗教であると口にしますが、しかし地鎮祭は行われ、首相の靖国参拝は許容されます。なぜ、靖国は神社でなければいけないのか。 政教分離といわれる世の中ですが、実際に我々は宗教とはつながりがあり、しかしながらそれは日本古来の神仏習合を明治政府が捻じ曲げた結果のいびつな宗教なのです。 なぜ、仏教は無視されるのか。 そして近代において仏教者が果たしてきた功績や社会運動は何なのか。 それをもっと知りたいと思います。

また、悟玄上人の民権活動と僧侶の活動、そして近所の農村の啓蒙活動などは、彼は成功した宮沢賢治とも言えなくもないでしょうか。 我々は歴史上悲運のヒーローについて嘆くことは多いですが、成功しながらも歴史に埋もれた人物についても、また忘れてはならないと思います。

最後に、Googleマップに板垣退助の松と温井氏のお墓を載せようとしたのですが、どうも地図にはなく、航空写真でも隠れて無理っぽいです…。 両方とも文化的にとても大切だと思うし、無人神社の手水屋とか参集所とか登録しても意味ないと思うのになあ、とここで愚痴っときます。

[縁結びゆかりのお寺 祇園寺縁起ものがたり 天平年間(729~749)創建] 昔、この地に郷長右近と、その妻の虎女の間にひとりの美しい娘がおりました。娘が年頃を迎えたころ、福満という青年が現れ、二人は相思相愛の仲になりました。 しかし両親はどこから来たかもわからぬ青年と一緒にさせるわけにはいかないと、娘を池の中の小島へ閉じ込めてしまいました。 困った福満が、水神・深沙大王に祈ったところ、池から大きな霊亀が現れ、福満を背中に乗せて娘の居る小島へ渡してくれました。 この奇跡に、娘の両親は二人の結婚を許し、二人の間には玉のような男の子を授かりました。この子は、満功(まんく)と名付けられ、成長すると両親の教えにより深く仏教に帰依し、唐にわたり仏教を学びました。その後、この地に戻り、祇園寺を建立しました。

[祇園寺のあらまし] 当山は、『虎狛山日光院祇園寺』と称し、西暦700年代半ばの奈良時代前期、天平年間に深大寺と同じ満功上人によって開創された寺院である。当初は、法相宗であったが、平安期に入って天台宗に改宗され、現在に至っている。 その1300年近い歴史の中、種々興亡により当寺の歴史を示す資料は散逸してしまっている。 それでも近世になると、武蔵名所図会、新編武蔵風土記稿、江戸名所図会などに、しばしば祇園寺の名が、記載されるようになる。 明治41年(1908年)1月12日に中西悟玄師が来住し、その年の9月12日に自由民権運動殉難者慰霊大法会を催し、板垣退助伯はじめ自由党の領袖一千人余りが、甲州街道に馬車を連ね参集し、慰霊祭の後、大演説会を開いた。その時の記念に赤松の苗木2本が、板垣伯の手により植えられ、現在も「自由の松」と称えられ天高くそびえている。 悟玄師は、祇園寺入寺前は自由党党員として世界各地を駆け巡り、当寺住職となってからも、週刊多摩新聞の発刊、青年会活動の組織化、三多摩地区農家への養豚、養鶏の奨励など、幅広い活動を行ったが、大正3年(1914年)3月16日惜しくも病没した。

関東91薬師霊場 第10番札所 関東108地蔵尊 第101番札所...

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御朱印巡りで訪問しましたが、住職不在で書き置き御朱印でなら、と恐らくは奥様だと思いますが御対応いただきました。 拝受した書き置き御朱印は佐須薬師の揮毫があり、判印には「関東九十一薬師霊場第拾番札所」とハッキリ明記されてました。

こちらのお寺は「関東91薬師霊場」と「関東108地蔵霊場」に 札番として名を連ねていましたが、どちらの霊場も今は自然消滅状態で機能していません。 霊場会も無いし取りまとめて総括する代表寺院も無し、会合も無いし霊場専用御朱印帳も第四弾のうちの第一弾で打ち切り製造中止など尻切れトンボで、霊場巡りガイドブックに至っては平成2年に発行されたっきり改訂すらされておらずそのまま。 企画立案主導を全部担っていた出版社が勝手に立ち上げ、寺院に役目を押し付け、勝手に放り投げた案件だったらしいですね。 それでも各寺院の方々は義理堅く霊場札所としての義務を果たされて市井の人から見ると立派に霊場として機能していましたが各寺院も代替わりし引き継ぐべき霊場としての実態が無い故か引継ぎされず霊場としては消滅し、微かな残照があるだけです。 寺院によっては札所の明記がある石塔が境内に立って居たり 山門の木札に寺名と共に併記されてたり、逆に名残一つなかったりまちまちですが・・こちら祇園寺は御朱印の判印に名残がありました。

この文面を取っ掛かりに霊場について伺ってみた所、紙が日焼けしつつあるが一応先代住職の浄書した霊場用差替え用紙の御朱印があると、現物を数点、見せて頂きました。クリアファイルに入れられている量ですので、ほんと、残りわずか数点と言った様子です。関東91薬師だけでなく関東108地蔵の方もありました。 取り扱いがあれば頂くようにしているので希望すると快く印を押して日付も加筆して拝受くださいました。 差し替え方式の霊場御朱印ですが、そもそも差替えるための御朱印帳が出回ってないし今更なので差替えなく拝受頂きました。 その際、それぞれの霊場用に発行された霊場めぐりの冊子(約1cm厚)を各1冊づつご厚意で頂く事ができました。日焼けしてるけど在庫は若干あるとの事。 発行元の仏教文化振興会は現存しません。情報も霊場巡りの書籍関連の記録くらいしか出てきません。

御住職不在だったので、奥様に御対応頂いて上記の流れになったわけですが、御住職がいらっしゃる場合に霊場関係に関して同じ対応をして下さるとは限りません...

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調布七福神のうち福禄寿を祀るお寺。最寄駅 (京王線 布田駅) から離れているため、アクセスがちょっと不便。参拝者用の駐車場が、門に向かって左側に6台分くらいあり。

国領神社からだと国道20号線を渡り、八雲台小学校の横の 祇園寺通り をまっすぐ歩いて15分程度。深大寺からだと深大寺小学校の方へ出て、三鷹通り と 佐須街道 を歩いて15分程度。

729年から749年 (天平年間) に、深大寺と同じ満功 (まんくう) 上人によって開山された長い歴史をもつお寺。満功上人の生誕の地とも伝わるそうですが、種々の興亡があり、住職不在の時代も長く、廃寺寸前に追い込まれた時もあり、歴史を示す資料は殆ど散逸してしまいました。

境内はそこそこ広いものの、伽藍は近年建てられたものばかりで、門を入ると正面に本堂、右側に閻魔堂、左側に薬師堂 (佐須薬師) があります。本堂に向かって右側に庫裡があり、ご住職がいらっしゃれば、直書きで御朱印がいただけます。書置きの御朱印であれば、ご住職が不在でもいただけるとのこと。

庫裡と閻魔堂の間に、先代住職の書による 一生稽古 と書かれた石碑があり、その左側やや後ろに (伝) 板垣退助 手植えの赤松 が高くそびえています。

日本野鳥の会 の創設者である中西悟堂 (ごどう) の、伯父で養父の中西悟玄 (ごげん) が、1908年 (明治41年) に住職になりました。中西悟玄は、板垣退助が率いる自由党の党員で、自由民権運動の犠牲者を弔う追悼集会を祇園寺で開催し、これに板垣退助が出席したのを記念して、2本の赤松の苗木を、板垣退助が植えたらしい。

また、中西悟堂も祇園寺や深大寺で10代の一時期を過ごしたそうで、その縁からか 祇園寺 フィールドワーク 探鳥会 が開催されているようです。

本堂に向かって左側に、祇園寺縁起にもとづく亀の甲羅のような石などが置かれており、歌碑には、中西悟堂の詠んだ「思ふこと みな砕けゆく だゆらを 恃みつつ組む 調息の坐か」とあり、白虎像は山号 (虎狛山)...

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