創建は奈良時代、平城京遷都の前年でした。元明天皇の御代和銅2年(709年)9月藤原伊勢人の勧請によるものだそうで、当地方最古のお宮だそうです。 品川(旧三ツ木村)の鎮守として、氏子の崇敬篤く昔から栄えてきたとのことでした。
社殿は昭和20年5月の空襲で焼けてしまいましたが、西品川氏子6地区の崇敬奉賛の熱意により再建されたそうです。
和銅というと、秩父から銅が発見されたことから改元された元号で、関東武士が歴史の表舞台に出る前の時代であります。この頃から関東で人々の営みがあり、貴船神社の勧請という中央の文化や信仰が浸透していたことが実感できますね。 なお、尊卑文脈という文書に残る藤原伊勢人(ふじわらのいせんど)は、天平宝字3年(759年)の生まれなので、同姓同名の別人か、由緒書きの藤原伊勢人は伊勢から来た藤原一族の一人という意味かもしれません。藤原氏の祖である中臣鎌足が藤原の性を賜る大化の改新からまだ64年、細かく調べれば誰かは分かるかもしれませんが、今の研究テーマではないので、調べられるとしたら当分先になりそうです。
まだ三世一身の法もできる前で、藤原伊勢人は土着した貴族というよりは中央から派遣された役人だったかもしれませんね。
看板以上の情報がなく、宮司さんに由緒書きなどはないか伺いましたが、ないとのことでした。 戦災や時代の荒波で失われたのか、部外秘なのかはわかりませんが…。 近くに品川氏の居館跡もあり、看板に遷座や移転なども書かれていないので、品川氏からも一定の保護を受けていたと考えるのが妥当でしょうか。 境内末社には満潮宮がありますので、品川氏が海運に関わっていたことを考えると、やはりかつての品川は海とは切り離せない物なんだなあと思いました。
なんにせよ、初夏なのに雹も降る雷雨の中、17:00過ぎの参拝客にもご丁寧に対応いただき...
Read more東京都品川区西品川に鎮座する品川貴船神社の書き置き御朱印を頂きに参拝しました。 現在(2022年4月)のところ、書き置きのものしか頒布されておりません。
御由緒としては、709年(和銅2年)年9月9日、藤原伊勢人の勧請により現在地に創建されたかなりの古社。 荏原神社と創建の由緒が同一で同社の元宮といわれています。 荏原神社は京都の丹生川上神社の御分霊をお祀りした神社で、ご祭神は高お神(龍神)。そして貴船神社自体の名の通り水に関係が深い。 社頭を通る道は古代東海道の一部と言われており、往古直ぐ側まで海が入り込んでいた事を考えれば、この地にこの貴船神社があるのは必然と言えるかもしれない。 まぁこの古代東海道は、池上通り(池上通りは古代東海道を踏襲している道)からそのまま現在のJR東日本の車両基地内を抜けていたという説もあるのでよく分からないところではあるんですけどね。
遷座後も旧三ツ木村の鎮守・産土神として当地でも祀られ崇敬され、貴布裲大明神と号していたが、江戸時代後期の1803(享和3)年に貴船神社と改められた。
のち太平洋戦争の空襲に社殿が焼け落ちたりしたが、再建され現在に至ります。
境内表参道入口の向って左手に大きな布袋尊像がありますが、それはkm(国際自動車)グループ中興の祖である故・波多野元二氏が本社社屋に安置していたもので、社屋移転の際に氏神である当社に移したものとこのこと。
最寄り駅は社名通り品川駅...
Read more東京都に鎮座する貴船神社!やはり京都の鞍馬山と似たような関係性を作っているのが分かりました(^^♪ #神社ファンクリエーション
創建は飛鳥時代709年と古事記の編纂よりも前に建てられ神社! その歴史の古さにワクワクしてきます♬
ご祭神は… 高龗大神(たかおかみのおおかみ) 素盞嗚尊(すさのおのみこと)
京都の貴布禰総本宮と同様に高龗大神が祀られています。 高龗大神は水神さまであり、玉依姫であり、瀬織津姫でもあると言われていますので女性の神様です。
しかし、本殿には素盞嗚尊がいらっしゃる様です。 本殿の千木も男千木、鰹木は7本と奇数です。 それに家紋は祇園守なので牛頭天王に由来します。 牛頭天王は素盞嗚尊ですからね。
オンライン神社参拝ツアーでは高龗大神と瀬織津姫の本質、悲しい役割をもった女性達の話をさせて頂きました。 鎮座していらっしゃる神さまが歩んできた事実をしっかりと理解して参拝することで安らかに鎮座してもらえると思っています。
さて、品川貴船神社と同じ時期に創建され貴布彌大明神と呼ばれた神社が荏原神社です。 こちらの本殿の千木は女千木なので高龗大神がいらっしゃいるようですね。
京都の貴船神社と鞍馬山の様に女性神と男性神は別れさせられている。 まるで織姫と彦星の様に…
貴船神社にお越しの際には遠い遠い過去のロマンを感じてみるのも一興です。 #...
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