京浜急行線の梅屋敷駅から徒歩5分くらいで着く、梅屋敷の名前の由来になった屋敷跡です。 江戸時代に薬売りの初代が売薬で儲けた収入をもとに2代目が店舗跡を今でいうホテルやカフェに改装した感じでしょうか。 由来を見る限り、将軍になる前の徳川家慶が鷹狩りの休みどころにしたほどですが、特に身分が高い人でなくても江戸時代は開かれていたように見受けられます。 それにしても、徳川将軍家は様々な場所を鷹狩り場にしたものです。徳川吉宗は新小岩や江古田、御三家は三鷹を狩場にしていました。
時代が下り明治時代になると天皇にも気に入られ、9度の行幸があったとか。 訪れてみると…少し季節を逃したか、梅や藤をはじめとした木々は緑の葉をつけ、あやめも花が散って単子葉植物特有の細長い葉っぱがわさわさ生えているくらいでした。 松とかは雅やかでいいのですが、どうも京浜第一の拡張でこの公園は縮小されたようであり、京急も際まで通っているので、様々な交通機関にちびちびと削られているのでしょうかね…。 今一つ過去の面影が思い描けず、本来の広さとかどんな屋敷があったのか、往時を偲べるプレートなどがあると良かったのでは、と思いました。 また、中央の池はおそらく枯山水の類ではなく、底が湿っているので水を張っているのが本来の姿だと思うのですが…この暑さで水が流れていないのは今一つ公園としての魅力に欠けると思うのです。
そのせいか、公園にいるのはご老人ばかりでした。 犬を連れた人たちが仲良くお話に花を咲かせていました。 あんまり子供向けの場所ではないのかもしれませんね…。
一応、風情のある場所です。ハトやスズメをはじめ鳥たちも多く、行く季節によっては華やかな場所だと思いますが…今一つ惜しいと思わされたり、明治天皇が好まれたり木戸孝允や伊藤博文が来ていた頃のように貴人・要人にだけ開かれていた時代も終わり、今は誰でも訪れられるので、もう少し江戸時代の分け隔てなく人々が訪れた頃の側面を強調してもいいのではないか、と思いました。
[梅屋敷の由来] 梅屋敷は、山本忠左衛門が和中散(道中の常備薬)売薬所を開いた敷地3000坪に、その子久三郎が文政の頃(1818~1829年)に、梅の木百本をはじめとしてかきつばたなどの花々を植え、東海道の休み茶屋を開いたことに始まると言われています。 当時は後の12代将軍徳川家慶が鷹狩りの休み所とした程の屋敷で、その雅趣ある風情は多くの文人、行楽客、東海道の旅人を集め、とくに梅の開花期には非常な賑わいを見せたようでした。
[明治天皇と梅屋敷] 梅屋敷は、明治元年(1868年)から明治30年(1897年)の間に天皇の9度の行幸がありました。
天皇はことのほか梅屋敷の風致を好まれ、明治6年(1873年)3月6日のご観梅の時には小梅一株をみずから御手植えなされ、この梅は仙粧梅と称されて後に人々に愛されたと言われています。その後昭和8年(1933年)に史蹟として保存指定を受け、昭和13年(1938年)に東京市へ寄付、さらに昭和28年(1953年)に大田区に譲渡さ...
Read moreA small park next to the railway and busy streets. It is still a nice place to go to relax and see the plum blossom...
Read more名前通り、梅の名所です。 京急梅屋敷駅から歩いて5分ほどのところにあり、アクセス良。 隅々まで歩いても30分くらいで回れる広さで、公園ですので無料です。作りも樹木もきれいに手入れされています。ベンチも複数あり、一休みできます。 梅の木が50本くらい植えられていますが、種類が豊富で見た目では花の色が白、クリームからピンク、紅まで様々、花弁も一重咲きから八重咲きだったり、小ぶりだったり丸々としてたり、梅とひとくくりにしても多様さを楽しめます。 2月中頃に伺いましたが、五分咲きくらいでした。 松や紅葉もあり、苔もむしていて庭園のような雰囲気も楽しめるかもしれません。 まわりが住宅街、線路沿い、道路沿いなので背景や騒音で生活感がでてしまう点が残念です。 トイレがありますが、古いので...
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