It is called 'Hieta-Jinja'. Just saying because since this place is close to the Kamata Station, I initially thought that it was Kamata-Jinja without looking closely at the Kanji. An interesting place with detailed guides on how to ‘Omairi’ and use the holy water. There are three smaller shrines inside it, and they seem to be some kind of national treasures too. I think it is usually unmanned but the place is clean and very...
Read more東京都大田区蒲田に鎮座する延喜式内論社・薭田神社の書き置き御朱印を参拝し授与頂きました。
社伝によれば、飛鳥時代の709年(和銅2)に行基菩薩が天照大神・八幡・春日の御神体を製作し奉斎した後、1282年(弘安5)に日蓮宗宗祖の日蓮聖人が、後に池上本門寺となる池上宗仲邸に滞在している時に訪れた村民の要請を受け三神像を開眼したそうです。 しかしこの三柱の神像が祀られてきたのは事実とは別に、社伝自体は創作とのこと。
当地は、垂仁天皇の御代に集落ができるとともに霊地又は斎場とされ、既になんらかの神が祀られる場として成立していたとみられている。 この薭田神社と見られる神社が史実に登場するのは、平安時代に編纂された歴史書「日本三代実録」で、「貞観六年八月十四日戊辰、詔して武蔵国従五位下蒲田神を以て官社に列す」とあり、これが薭田神社とみられている。 この後、延喜式神名帳において武蔵国荏原郡並小二座のうち一社が薭田神社(もうひとつは大森海岸駅が最寄りの、御朱印で有名な磐井神社)であると記載されている。 しかし、この「薭田」というのは誤写もしくは当て字であり、前述の日本三代実録や、この頃既に地名の蒲田が成立していたことを示す史料等から「蒲田神社」が正しい社号だったというのが各研究での通説であるとのこと。
延喜式神名帳に記された荏原郡薭田神社については、その所在が不明確となっており、後に別当であった榮林寺の僧が当地の歴史等から推測し当社を薭田神社として神祇管領に申請、受理され社号が成立したそうです。 なのでこの薭田神社の論社となっている神社は他にも御田八幡神社、鵜ノ木八幡神社、久が原東部八幡神社、六郷神社等あります。
御朱印は本務社である京急蒲田駅すぐの蒲田八幡神社で授与頂けますが、そもそも蒲田八幡神社はこちらの春日の像一体を、平安時代か鎌倉時代初期、または慶長年間に分かちお祀りしたのが始りなので、現在は本務社と兼務社が逆転しているような形になってます。
ちなみに蒲田八幡神社では本務社は直書き、兼務社は書き置きでのご対応となっていました。
最寄り駅は京急本線...
Read more荏原郡式内社2座の1座の薭田神社の論社。
資料によると、 和銅2年(709)、僧行基がこの地に足を留め、天照大神、応神天皇、春日大神三柱の御神体を刻みて納め奉ると伝えられています、斎場としての歴史はさらにさかのぼり、第11代垂仁天皇の御宇神地神戸をお定めになって天神地祇を崇敬し給いし霊地とも伝えられ、この地に集落ができるとともに成立した蒲田創草の古社であります。
御宇神地神戸とは、「神地・神戸(かむどころ・かむべ)」は、日本書紀によると第10代崇神天皇7年に定められた神領地です。朝廷が神社に寄進した所領と、神社に属してその経済を支えた民を指します。
元々は「蒲田神社」であったが、「蒲」の古字が「草冠に補」であり、その字で書いていく内に、いつしか「薭」に書き間違えられ、読みも「ひえたじんじゃ」になったという。
近来は、応神天皇をまつる八幡社で、隣接の栄林寺が別当寺であったが、明治初年の神仏分離により独立し、近くの小祠をいくるか境内に合祀した。 とあります。
御祭神は、天照大...
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