I gave this place a low rating because it does not present holistic history and accuracy (I wish I can give a negative 10 ratings).
The introductory video at this places gives a summary on what led to World War 2 and therefore the Battle of Okinawa. This is where the video not only fails to provide a relevant & holistic history but also reinforce the perceptions that Japanese look down to other Asian races (Chinese) and only pays deference to say the USA and Russia (because they perceived as losing the wars to those 2 countries).
The video refers to the Japanese invasion of Manchuria China in 1931 simply as an “incident” and just mentions Japan’s war with China as “war” and NEVER mentions one word of the fact that it was Japan that attacked and invaded China multiple times since 1931 until 1937 when China finally united the country to resist Japan. The war finally ended in 1945 but with millions of Chinese killed and many parts of China destroyed.
Of course due to Japan’s deference to the USA (even today) the video does mention “Japan attacked USA” in 1941. Japan initiated the attacks on both USA and China (and also other Asian countries) but only admits that Japan attacked the USA whereas its invasion of China simply as “war” and conveniently left out who started the war using BS claims.
Unfortunately Japan as a country has never truly learned its historic mistakes and took...
Read moreAn understated but moving memorial to people doing their best in a horrifying event directed from afar. In the cool, calm peace of the tunnels now, it is hard to imagine the stench, noise, fear, and exhaustion of the soldiers sheltering there in 1945. The museum and photos on the top level and at the tunnel entrance reveal the story of the battles and more so, the devastating impacts on the Okinawan people. It's worth spending the time to take that in before walking through the tunnels. The presentations are a bit repetitious, I'd guess to provide an outline of events even if visitors look at only one of the interpretative displays. It's worth spending a couple of hours if time is available to appreciate this...
Read more石垣から戻り、前々から行こうと思っていた旧海軍司令部壕へ行ってみました。 昔本で読んだ大田實指令の「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電文の地です。 大田指令は千葉の人。遠い南方の島で人生を終える寂しさはいかほどであったでしょうか。 司令部壕は普通に街中の高台にありました。高台周辺は公園となっています。 駐車場の周りには沖縄形式のあのでっかいお墓、亀甲墓(かめこうはか)が幾つも・・。 壕入り口は売店を過ぎて奥にあるビジターセンターの地下にあります。有料でした。正直、あまりに明るい雰囲気に壕なんてあるの?と不審に思いましたが案内の立て札があったので辿り着けました。 ビジターセンターに入るとすぐにパネルの展示があります。 ほとんど全てが非戦闘員である当時の県民の受けた被害を示すもので、兵士の写真はなかったように思います。 県民の写真ばかりが海軍司令部壕にある意味は旧日本軍の巻き添えになった被害者ということかな、とはじめは単純に考えてしまいました。 しかし、大田指令の電文を思えばこれは県民がいかに御国の為に戦い、耐え忍んだかということが先づあって、その上でこれだけの被害があったのだということ、大田指令が「県民二対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と伝えた理由・その想いを感じる助けとしてあのパネルはそこにあったのではないかと思います。 地下に降りて展示室へ。 ここでは司令部についての展示もなされています。 続いてチケットを購入し壕入り口へ。 階段を下り順路を回ります。 壕内は通路階段は整備されていてあんまり陰気な感じはしませんでした。 湿気がありました。蒸し暑さは感じませんがセンターの空調によるものだと思います。 最初に信号室に入りました。 ここであの大田指令の電文が送信されたのでしょうか。 何にもありません。恐らく落書きなどがされていたのでしょう改修されているようです。よく見ると英語で日本人名が刻まれた跡がありました。残念なことです。。 続いて作戦室を見ましたが意外と狭かったです。8畳くらいでしょうか。 こんな所で重要な作戦を練っていたとは。 当時は重く鬱々とした空気が漂っていたのでしょうか、、現在は単なる空間になっていました。 次に幕僚室。ここで司令部幕僚将兵が自決しています。 壁にはたくさんの弾痕のような跡が残っていましたが、これは自決の際に炸裂した手榴弾の破片の跡であり当時のまま残されているとのこと。 凄惨な状況が繰り広げられていたであろうその部屋も、今は何事もなかったように静かで薄暗い空間があるだけとなっています。 次に司令官室を見ました。 木製の長方形の机に椅子が3、ひとつは壊れた背もたれを針金で巻きつけて補修してあります。この部屋で大田指令はあの電文を作成し、そしてこの部屋で自決しています。 机の上には花瓶に菊の花が供えられていました。センターの方が備えてくれているのでしょう。 白壁にある大田指令の愛唱歌とされる「大君の・・」の唱はもうほとんど読めなくなっていました。 壁に残る醜米覆殲の文字はなんとなく心細い字に見えました。 次は暗号室です。 ここで暗号文が作成され、あの大田指令の電文もここで暗号に変えられていたのでしょう。結局暗号は米軍に傍受・解読されてしまうわけですが。 軍の機密にも触れる、暗号作成解読を任務とする兵士がここにいたのでしょうが、自らは敵を殺す立場になかった彼らが自らを殺す=自決しなければならなかったことはあまりにも悲惨な皮肉でした。。 医務室とされる場所は通路の脇に大きめに掘った部屋でした。飛行機搭乗員の像が立てられていてその周りに小銭がたくさん供えてありました。 ここも思いの他狭いです。当時の状況が想像できないほど無茶な空間でした。 次に下士官室と兵員室を見ました。 兵員室では兵士がぎゅうぎゅう詰めに入って休息を取り、立ったまま眠っていたとのこと。そんな状況で戦っていても状況把握など普通の判断は難しくなっていたのではないだでしょうか。恐ろしいことです。 順路出口付近に当時の出撃用の出口があります。兵士は出口から出撃し生きて戻ってくることはなかったようです。 出口ではあっても入口ではなかったのですね。。 私が当時の兵士としてこの道に立っていたら・・確実な死の予感の中で私だったらここから出ることができたでしょうか。。
順路出口、帰り道のスロープを登ります。この出口のスロープは自決した将兵達が上ることのなかった道。 帰ることができる、それはなんと有難い事でしょうか。 外に出るといつもと変わらない日常を送る町並みが見えました。
公園となった高台で遊ぶ子供たちの無邪気な声が 地下に眠る英霊を安らかにし...
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