四国別格二十霊場 第六番「臨海山 福寿寺 龍光院(りゅうこういん)」について、歴史・見どころ・アクセスなどを整理します。お遍路や寺巡りの参考にどうぞ。
歴史的な背景 • 龍光院は元和元年(1615年)に、宇和島藩主・ 伊達秀宗 が宇和島へ入封したときに建立されました。宇和島城の鬼門(北東の方角の悪い方位)を守るため、また藩の安泰を願っての祈願所としての役割を担っていた寺です。  • 寛永15年(1638年)には、大覚寺の空性法親王より「臨海山 福寿寺」の寺号を賜りました。  • また、もともと四国八十八ヶ所第40番の奥之院であった「願成寺(遍照山願成寺、“鯨大師”)」やその遥拝所であった馬目木大師(元結掛)などが、明治期などの変遷を経て龍光院に合祀され、奥之院の役割を引き継いでいます。 
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見どころ・特徴 • 境内は宇和島市の市街地近くの高台に位置しており、宇和島城や沖の九島など海や風景を一望できるスポットがあります。眺めが良く、町を見下ろす感じがされます。  • 裏山には「除災招福大観音(観音像)」という一石彫の巨大な観音像があり、地域の災い除け・福を招く信仰の対象となっています。  • 本堂・納経所などお遍路寺としての施設が整っており、御朱印(納経)を受けられます。納経時間は朝7時から夕方5時まで。 
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お遍路との関係 • 龍光院は「四国別格二十霊場」の第6番札所です。別格霊場は四国八十八ヶ所とは別の順位付けの霊場で、歴史的・信仰的に特別なものとされています。  • また、四国八十八ヶ所第40番「観自在寺(かんじざいじ)」の奥の院とされており、願成寺(遍照山)→馬目木大師 →...
Read more2014/09/16 12:30~13:20参拝。 別格6番札所臨海山龍光院(りんかいざんりゅうこういん)の本尊は十一面観世音菩薩で開基は弘法大師と伝えられている。宗派は真言宗高野派。 宇和島市九島鯨谷(現・蛤)にあった願成寺が、寛永八年(1688)に、同市元結掛の大師堂に移された。さらに明治年間に現在の龍光院に統合されたという。(宇和島日記)よって四十番奥の院と呼ばれる。 真念「道指南」によれば、「城下の入口に願成寺、又はもといぎといふ、由緒有てら也。本尊大師の御影、札を打なり」とある。 まず、到着した駐車場前の正面にある石段は111段ある。108段は人間の持つ煩悩の数。残りの3段は三世を表わす。三世とは今を生きる人間にとって、過去(先祖)、現在(自己)、未来(子孫)にあたる。この111段の石段を踏み登り、本堂に至って大慈大悲の本尊と対面し、祈りを籠め揺るぎない生命力をいただくのである。(石段の説明文より) 宇和島市最古の文学碑として市の史跡に指定されている「椎本芳室の宝篋塔」。これは大阪の談林派俳諧の宗匠椎本芳室(1664~1747)の長寿と功績を讃え、四言六句の詩を刻した寿蔵(生前建立の墓)で、延享3年(1746)に建立された。 芭蕉の句碑。 「父母の志き里に戀し雉子の聲」 この句碑は弘化2年(1845)年に建立された。芭蕉が高野山で詠んだ句である。なお蕉門の俳人服部立芳「芭蕉翁伝」によれば、芭蕉の母は伊予宇和島の出身であるという。 「芭蕉忌や母...
Read more綺麗なお寺です。 石に乗ると観音さんが見えるんですが、一瞬場所がわかりませんでした。
【御詠歌】みめぐみの 杖をたよりに 有為の山 越えてくもらぬ 月を見るかな 【御真言】オンマカ キャロニキャ ソワカ 本 尊 十一面観世音菩薩 開 山 栄瑜上人 宗 派 高野山真言宗 略縁起 当山は、大師四国の各地で御修行の砌、当地に立ち寄られ僻地故に都の文化の恩恵の影薄を憂い給い、四国八十八カ所霊場の開創を発願され、大同年間にその御願成就せられたのを記念し、此処に堂宇を建立されたお寺と伝う。 京都大覚寺二品親王四国幸の砌、当山に御駐興遊ばれ、風光明媚と賞せられ臨海山福壽寺の号を賜る。元和元年初代藩主伊達秀宗公御入部の砌、当山を宇和島城(十万石)の鬼門の鎮として、藩と領民の安泰と繁栄を守護する伊達家祈願寺と定められる。これを享けて平成二年、山頂に白亜の除災招福大観音像中国より勧請し、万民の平和と利福を期し建立されている。一石彫りとしては西日本随一の大きさである。 境内には芭蕉の句碑がある。 「父母の志き里に恋し稚児の葦」芭蕉 「芭蕉忌...
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