北条政子(尼将軍)が頼朝の冥福を祈る為、草創した寺と伝わる🙇🙏 なので⭐4個👍 歴史に残る有名人が草創したと為れば、興味津々である😃 北条と言えば臨済宗のお寺のイメージがあるのですが、このお寺曹洞宗である。夫々(それぞれ)成立や経過には歴史があるのですが、 ①「草創時は臨済宗のお寺で後に曹洞宗に変わった」 ②「始めから曹洞宗のお寺だった」どちらも鎌倉仏教のお寺だけど、臨済宗は武家に曹洞宗は民衆に支持されたことからこのお寺の歴史が気になる。 別途調べてみたい。 こう思わせた「鎌倉殿の13人」に感謝🙇🙏
その後調べたのでここに記録します。
鎌倉幕府を開いた源頼朝の御台所(みだいどころ)だった北条政子が鎌倉時代の承元4年(1210年)、頼朝の供養のため建立。 現在でも政子を開基とし、「妙観院殿如実大禅定尼」の位牌が本堂に大切に奉られ、北見秀明住持職により供養されている。 政子が世を去った後、排寺同然の状態となったものの、その後修復。しかし火災で宝物を焼失し、また排寺となるなどの苦難を経た後、江戸時代の慶長14年(1609年)に川上村(現・東戸塚)の徳翁寺和尚5世厳隆(慶長19年・1614年寂)により、曹洞宗の龍谷山雲林寺として再興された。 特扇寺の末寺ということですね。 御本尊は阿弥陀如来座像。柳の木で作られていると伝えられており、同寺周辺は「柳作」と言われ町内会の名称に使われてている。 とのこと。
初めに①②と意見を述べたが②ではないことが判明した。
北条政子は桓武平氏の末裔で坂東武者である。頼朝の冥福を祈る為に草創する事に違和感は無いが、所謂(いわゆる)開基であることは、紛れもないことだろう。 然し(しかし)開山和尚が判らない。堂宇の火災で宝物が焼失したことから開山和尚のことをしたためた宝物が残らず不明なのであろう①の資料が無いが、状況考察をすれば①と判断しても良いだろう。 「妙観院殿如実大禅定尼」に合掌礼拝🙇🙏...
Read more2022年10月21日 この寺を知ったのは、上矢部の「本覚院不動尊」の供養を「雲林寺」が行っている、と資料に記述されていたから。それまでは近くを通っても、回り道してまでは来ないところだ。 寺の名は「曹洞宗 龍谷山 雲林寺」。 創建は不詳ながら、北条政子が頼朝の冥福を祈念するために草創したともいわれる。(それにしても北条政子は、横浜市内だけ見ても、様々なところに現れたとの伝説が有るものだ) その後「竹下小次郎」(=三浦一族の1人、室町時代初期に三浦郡 現 横須賀市 の矢部と戸塚の矢部を治め街山八幡社を再興し、室町時代永享9年1437年没) が開基、徳翁寺 (在 戸塚区川上町) 五世厳隆 (安土桃山時代慶長19年=1610年寂) が中興して山号を竜谷山としたとされる。境内には、山の墓地に行く途中に竹下小次郎と家臣の碑が小さく佇んでいる。碑は「竹ノ下」となっており、訳有って当地の名前に変えたらしい。 境内には巨大な灯籠と観音像が有るほか、現代的な鮫の彫刻や、以外にも「恐竜」の像が有る。「竜 /...
Read more曹洞宗。戸塚宿七福神の恵比寿担当 ということで境内に石像があった。 その他に兎やT-Rex(推定)などの 石像があり、ユニークだった。 また、寄贈された竜巻のように鮫が 連なってい...
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