江戸幕府が1865年に建設を始めた横須賀製鉄所(造船所)を総指揮したフランス人技術者レオンス・ヴェルニーを記念する施設です。同じく彼の名前を冠した公園内に有ります。 1853年のペリー来航後の激動の中で、小栗上野介忠順(日本の近代化の功労者と称され、外国奉行、勘定奉行などを務めた)が中心となって、国防のために海軍力を整備しようとして先進国に技術協力を求めたものの、米英などとはそれぞれの事情で話しが進みませんでしたが、カイコの病害で製糸産業が壊滅したフランスが日本にカイコを求めたことが一つの縁となって、フランスが工業化の技術協力をすることになりました。 そして1865年に日本に着任したのが、既に中国で造船所建設の実績があるエコール・ポリテクニク出身の超エリート技術者ヴェルニー(27歳)です。 3年後には戊辰戦争で幕府軍は掃討され、小栗上野介忠順は混乱の中で処刑されましたが、建設は明治維新の激動の中で新政府に引き継がれて1871年に完成しました。 日本の近代化とカイコの関係は、まさしくバイロンの言葉通り、”事実は小説よりも奇なり”です。1970年頃に病害でフランスのカキ養殖業が大打撃を受けたときに、三陸のカキを移植して復活しました。東北大震災で三陸のカキ養殖業が壊滅したときは、今度はフランスが様々に援助・応援をしてくれています。”歴史は繰り返す”を実感します。 1866年に輸入したスチームハンマーがどっしりと展示されていますが、何と1997年まで130年以上、最後は米海軍横須賀基地内で現役で稼働したそうです。同じくヴェルニーが指揮して建造したドライドック(1871年完成)は、150年を過ぎた現在もヴェルニー公園の対岸の米軍施設内で現役で稼働中です。 尚、世界遺産の富岡製糸場の建屋はヴェルニーと同時期に横須賀製鉄所の建設に来たフランス人技術者バスチャンの設計です。品質が悪く輸出が伸び悩んでいた日本製生糸でしたが、日本の糸や風土に合わせて設計された当時世界最大級・最先端の工場は、高品質の生糸の生産・輸出を可能にして、日本の国富の蓄積と近代化に大きな貢献をしました。 観音崎灯台(日本の最初の洋式灯台)などもヴェルニーの指揮下で建造されました。 あまり知られていない歴史ですが、日本の近代工業はここから始まったと言っても過言ではありません。製鉄所には学校もあり、多くの技術者を育てました。 立派な記念館と美しい公園は、日本の近代化への貢献に対する感謝と敬意が感じられます。...
Read moreUnexpected little gem of a museum. This is free to explore and offers an interesting look at the early industrial origins of the Yokusuka dockyard with large preserved machinery, interactive exhibits and an exquisite model of the Battleship Mutsu to complement the giant gun barrel outside...
Read moreAn interesting museum, although not too much signage and information is available in English language. It's a nice walk along the pier, by the rose gardens up to the museum. You can go this way on your way to the...
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