58.57.56.54と来てこちら55南光坊をお参り。 周辺が寺や神社の集まっている場所にあります。 こちらは駐車場無料(54〜58で唯一の無料)。 隣の神社も一緒に参拝。
四国八十八ヶ所霊場会HPより 四国霊場のうち「坊」がつく寺院はこの南光坊だけである。正式には光明寺金剛院南光坊という。今治市の中心街にあるが起源は古く、航海の神、総鎮守・伊予一の宮の大山祇神社と深くかかわる歴史を有する。 推古天皇御代二年甲寅(594)に勅により大三島に造立されて。其の後、越智玉澄公が文武天皇の勅を奉じて、大宝三年(703)風波のため祭祀がおろそかになるのを憂いて当地に勧請し、「日本総鎮守三島の地御前」と称して奉祭した。弘法大師は四国巡錫の時別館参拝し、坊で御法楽をあげられて四国霊場第五十五番札所と定めた のち、伊予全土におよんだ「天正の兵火」により、社殿・伽藍はことごとく焼失したが、南光坊だけが別宮の別当寺として再興された。慶長5年(1600)には藤堂高虎公の祈願所として薬師堂を再建、また江戸時代には藩主・久松公も祈祷所にして信仰し、祭祀料を奉納している。 さらに時代がさがり、明治初年の廃仏毀釈では本地仏として社殿に奉安していた大通智勝如来と脇侍の弥勒菩薩像、観音菩薩像を南光坊薬師堂に遷座し、別宮大山祇神社と明確に分離した。 太平洋戦争最末期の昭和20年8月、空襲により大師堂と金比羅堂を残して罹災した。現在の本堂は昭和56年秋、薬師堂は平成3年春に、山門は同...
Read more四国八十八ヵ所霊場の参拝でお伺いしました。 真言宗醍醐派のお寺で別宮山(べっくさん)光明寺金剛院南光坊といい、霊場第五十五番札所になります。 御本尊は大通知勝如来です。 大通知勝如来は「法華経」化城喩品に出てくる仏で、三千塵点却に世に出て八千却の間「法華経」を説いたという仏様です。 阿閃如来・阿弥陀如来・釈迦如来など十六仏をその時の王子とする、つまり釈迦の師にあたる如来である。 寺の縁起によれば伊予の国司越智玉澄が文武天皇の勅願を受けて、大三島から大山積明神を勧請し別宮大山祇神社を建立した、その時に別当二十四坊のうち八坊をこの地に移したのが始まりとされる。 天正の兵火でほとんどの坊が焼失しているが南光坊だけが別当寺として再興される。 江戸時代には藤堂高虎や松山藩主久松松平家からも尊崇され、藤堂高虎は祈願所として薬師堂を再建している。 神社と別当寺は一体という神仏習合の江戸時代には、別宮が札所であった、明治初年に神仏分離令で分けられ南光坊には檀家がなかったため廃寺になりかけたがなんとか免れた。 分けられた別宮大山祇神社は南光坊に隣接して現在も鎮座している。 山門には四方を守る持国天(東方)・増長天(南方)・広目天(西方)・多聞天(北...
Read more自転車遍路でお邪魔しました。
南光坊は今治市内の中心街に位置していて、通行量の多い国道317号側には重厚な山門がありました。 南光坊の山門は、持国天、増長天、広目天、多聞天の四天王が守っていました。 本堂と大師堂の間に道路が通っていて、駐車場も本堂と大師堂の間にありました。
南光坊とも関わりが深い「別宮大山積神社」が隣接しています。 別宮大山積神社は、瀬戸内海に浮かぶ大三島にある伊予一宮「大山積神社」の別宮として703年(大宝3年)に創建されたそうです。 大三島の「大山積神社」が元々札所だったそうですが、島に渡って参拝するのが不便でした。 鎌倉時代に「別宮大山積神社」が前札所となり、別当寺の役割を果たし納経をつかさどっていたのが現在の南光坊だったそうです。 本尊は大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)で、四国霊場で唯一の本尊です。
南光坊の大師堂は、太平洋戦争の空襲で境内の大部分の堂宇が焼失した際に、「金毘羅堂」とともに戦禍を免れた建物だそうです。 数多の焼夷弾が境内に落とされましたが、大師堂の屋根を滑り落ちました。 堂内にいた避難者全員が無事だ...
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