(令和6年6月)
腎機能が低下して入院になった。通い慣れたクリニックの先生に「どうしてこんなになるまで我慢したんだよ」と心電図とレントゲンを見て日赤の救急外来に電話をしながら慌ただしく紹介状を書いてくれた。
口からアンモニア臭がして、日夜を問わずこむら返り、間断なく咳が出て、食事が喉を通らず。脈拍が早くなると同時に左足首が急に痛くなり、歩行困難、呼吸困難になっていた。平らな道で脂汗が出て苦しく泪も出た。
2月末に夜中息苦しさから眠れずに椅子に座っていると急に悪寒が走った、息苦しさがさらに増した。苦しくて自分を保てなくなったとき遠ざかる意識の中で私は「頼む」と何かに縋った。いよいよ身体を自律できなくなり、失禁して失神し、座っていたイスから床に落ちた。シャンシャンと鈴の音色が確かに聞こえた。
「頼む頼む頼む…」
あれが今際だったんだろうか。後の心臓エコーで狭心症と知るんだ。
紹介状を持って3月の寒い土曜日に鉛色の空の下を足を引きずりながら歩いた。武蔵境南口の花屋に黄色のミモザがあって店の外で立ち止まって少し泣いた。この道を帰ることはもうないのかなとバス停を横目にスーパーの横の信号を待った。
その時、余裕がない中でもこちらに立ち寄ろうと考えたが脚力がなく歩きやすい道を時間をかけて歩いた。
腎不全と心不全で即入院になった。早速状況の改善が図られた。点滴をつながれ、肺から水が抜けていくとまず息苦しさはなくなった。足もつらなくなった。冷静さを取り戻すと、私は一体何に「頼む」と縋ったのかと病室の天井を見て考えた。
日赤に来るときは杵築大社にお参りをしてきたけど今回はしてこなかったな…あ、そうだ病気のことをお願いしたのはこちらだけだと思い出して、見舞いに来てくれた連れにお参りを頼んだ。かつて母が日参してくれたように。
そして仕事を早じまいして見舞いに来てくれた連れが御守をいただいてきてくれたので首からぶら下げられるようにネックストラップを次回買ってきてもらった。
透析用のシャント手術は局所麻酔、手術中はとにかく痛かった。ガマンしてと言われても血圧下がっていますと看護師さんの声も聴こえたけど失神して落ちそうになっていった。
落ちかけた時に、手術前の朝早く連れが杵築大社にお参りしてくれたと言ってたなと思い出し、その姿を想像して意識を保ちどうにか2時間完走したときは汗で手術台が濡れていた。
病室に戻り御守を首からぶら下げ、強く握った。誰のせいにもしないから透析は待ってほしいとお願いした。そのお願いは叶えていただいたんだ。これ以上望むべくもない。
退院する日に連れと杵築大社にお礼をしにお参りをした。拝む前からピンクの花が目に入った。ももの花だった。
鉛色だった空は青く済んだ。あの日、遠ざかる意識の中で聴こえた鈴の音はこちらの神様が目を覚ませと鳴らしてくれたんだろう、頼むと願ったのもこちらだったに違いない。
今そう感じている。
だからもう自分の事はお願いしない。私の人生はすでにアディショナルタイム、病気を誰のせいにもしないからせめて明日は明るい日だと感じることができればそれでいい。
(最初の投稿)
武蔵野赤十字病院に向かう途中にあり、診察検査前に立ち寄りました。先の女性の方がとても長い間傘もささずに祈りをこめていらっしゃいました。
私が日赤に入院したのは多感な中学2年の頃、腎臓に奇形があると言われて治る見込みがないと告げられ母はこちらに日参したようなことを後に聞くのです。
肝腎要に病を抱えながら信長が本能寺で歴史の表舞台から消えた年まで来ることができたのもこちら様のおかげに違いありません。35年が経ちました。
もちろん多くの人方々の支えと理解、協力あってのことでもありますが。
壊れるのはしょうがない。誰のせいにもしない。あと少しだけ。透析は待ってほしい。
日赤に近づくと先に祈られていた女性の重い足取りにかつての母の姿を重ねつつ。
幸せは祈りに似ている。平穏無事な日々を重ねることが難しい局面にある方々もいらっしゃる。
どうか少しだけでもい日になりますように。
こちらの社にはそんな祈りに足を運ばれる方も多くいらっしゃいます。忙しさの中にしか安らぎはないように、束の間の静寂と祈りたい気持ちに...
Read more【出雲は幽閉の地なのか…】 #神社ファンクリエーション
東京都武蔵境に鎮座する杵築大社。 出雲の地、松江藩初代の松江直政が将軍家の鷹狩場に出雲大社と稲荷神社を勧請したと言われています。
杵築大社とは今の出雲大社のことを言います。 出雲大社と呼ばれたのは明治以降です。と言うことは出雲大社も移り変わってきたということですよね。
伊勢神宮も今の地に落ち着くのに40ヶ所以上も移動したと言われています。 元伊勢と言われる籠神社(このじんじゃ)は有名ですね。
出雲も同様です。 移動してきたのです。 京都の亀岡に元出雲と言われる出雲大神宮が鎮座しています。 出雲はもともとは京都にあり、その後に現在の島根県の出雲に移ったとも言われています。 出雲が先にどちらにあったのか?という話は別に出雲の民が京都に住み、その後に現在の出雲地方に移っていったということは事実と考えられるでしょう。
そうすると何故?移らなければならなかったのか?という疑問が湧きませんか? あなたが仮に地元の大地主だったとしましょう!何が理由で家を、家族を、一族を移す必要があるのでしょうか? ・ ・ ・
例えば戦いに敗れてしまい。土地も権力も奪われてしまったとしたら移らなければならない理由になりませんかね。 古代の出雲の人達は時の権力者から見た場合に自分達の利益を害する立場だったのです。 戦なのか?権力争いなのか?は別として敗れた出雲の一族は京都の出雲から出て行かなければならなかったのでしょう。
なにせ、出雲の地は雲が出る地…蜘蛛が出る地であるからです。 時の権力者から見た場合は蜘蛛だったのです。
さて、移りった先の出雲でも良い状況にはならなかったのです。 せっかく作った国も最終的には奪われてしまいますからね。 大国主命の国譲りの物語です。
京都から追い出され、出雲の国も奪われて、さぞや憎々しいでしょう。 それを封じ込めるために出雲大社があるのではないでしょうか? 現に出雲大社で大国主命を正面からは拝めない祀り方になっていますからね。
出雲大社の違った一面も面白くないですか? そして、現地に行かないと見えない事がたくさんあります。 是非、武蔵境の杵築神社にも島根県の出雲大社にもお越し頂ければと思います(^^) #...
Read more🐱にゃんにゃん由緒:だいこくにゃんとえびすにゃんの神社 ご祭神はにゃ、大国主命にゃん(だいこくにゃん)と事代主命にゃん(えびすにゃん)! だいこくにゃんは、にゃんと国づくりの達人で、縁結びの名にゃんこ✨ えびすにゃんは、商売繁盛と漁業の守護にゃんこ!にゃんともありがたい神様にゃ〜
🐾にゃん史:出雲から武蔵野へ、神々のお引っ越しにゃ 今から約350年前、松江藩の殿様・松平にゃおまさ様が、出雲から神様を武蔵野にお招きしたにゃ。 徳川にゃん家とも仲良しで、天下泰平を願って建てられたにゃんこ神社にゃ。 「杵築(きづき)」って名前は、神様たちが集まって宮を築いたことから来てるにゃ〜。にゃるほど神話的にゃ!
🐾改名のにゃぞ:杵(きね)って字がちょっとにゃんとも… 明治のころ、政府にゃんが神社の名前を整理したにゃ。 「杵」って字が「さからう」って意味もあるから、ちょっと縁起がよろしくにゃいってことで「出雲大社」に改名されたにゃん。
✨にゃんこ的魅力:ご利益てんこ盛りにゃ! だいこくにゃんとえびすにゃんの「二福神信仰」で、縁も福もにゃんこも結ばれるにゃ〜💞 境内には、八坂にゃんこ神社、富士浅間にゃん、金比羅にゃん、弁天にゃん…にゃんこ神様が勢ぞろい! 【ミニ富士山】は、にゃんこが登ってもご利益あるにゃんこ山⛰️ 【千本イチョウ】は、雷にゃんに打たれても復活した奇跡の樹にゃん🌳✨
🎉にゃんこ祭りも盛りだくさん! 夏越大赦祭で厄をにゃんにゃん払い、 例大祭で神様ににゃんこ感謝、 節分...
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