当社の史跡・秋葉山常夜燈探索で訪れました。松の内は終了しましたが参拝させていただき境内を巡らせていただくと本殿脇に当社の説明板由緒記があり『祭神は国内五九社大明神、大木食命(おおぎくいのみこと)=大木保津命(おおぎほづのみこと)社格は村社(明治九年=1876)縣社(大正一一年=1922)七級社(昭和二七年=1952)(略/加)摂末社は村上社・若宮神社・鍬神社・七社明神・稲荷社・秋葉神社・津嶋神社・招魂社、由緒は歴史で習った(略)我が国が大化の改新後~大宝律令成立の間に国家体制と地方行政組織を整え豊川流域にあった穂国(東三河)と矢作川流域の三河国(西三河)を三河国の一国都し国府が当社東に置かれ都からの国氏は六~四年の赴任期間に同国内神名帳の諸神社を巡拝するのが恒例で、やがて平安時代弘仁年間( 810〜824)神名帳五十九社(宝飯郡=略現豊川市以外七郡の正五位下以上)を当社に祭国司巡拝の代わりとし、宝飯郡の神社は従来通り巡拝した。その後(永和四年=1378)足利義満時代に池鯉鮒宮(現在の知立神社)五八社大明神に建立奉ると再建時にあり、大化の改新以前は地方豪族の支配が強く私地・私民から公地公民制、中央政権制度への変換期で国司の赴任制度から軍司の終身制度とし、物部氏系譜の大木食命=(大木保津命)を合祀するなど政治的配慮がうかがえる。』と再理解を深める説明がありましたが、鳥居脇の三河國総社・三河国府(国庁)跡説明板では摂末社について稲荷社、秋葉神社、津島神社、招魂社は何となく判ったのですが、他も含め境内での配置説明などもあると非常に助かります。他に菊花御門の棟大瓦や二〇〇〇年記念桜・明治百年記念樹石碑・高市黒人...
Read more祭神は、国内五十九社大明神、大木食命(おおぎくいのみこと)です。三河国の59もの神々がここに鎮座しているということになります。『由緒記』には「都から赴任する国司はまず、『三河国内神名帳』にある諸神社を巡拝し、その六年または、四年の任期の間、毎月一日にかけても、諸神社を巡拝」すること慣例があった、ということですが、車のない時代に三河国内を歩いてまわったとしたら…、つまり合理化したということです。
隣接して、三河国府(国庁)跡があります。多くの国府付近には、国庁のほかに国分寺、国分尼寺、総社が設置されているようです。
そんなすごい神社ですが、人々はそれぞれの地元にそれぞれの神を祀る、神々はそれぞれの地元の人たちを見守る…となると、神々も忙しいので、月に一度しかここには来ないのかもなあ…と、考えながら、氏神はなんという神様だったかなあ...
Read more2022年7月、全国総社巡りの一環で参詣しました。 神社に常駐されている方はおられません。 御朱印を可能ならば授かりたいと思い、掲示されていた(写真参照)御三方様へ何度か電話させて頂き1つ繋がりましたが、先頭の宮司様でなければ御朱印の対応はできないとのことでした。 結局宮司様とは連絡がつかず御朱印は断念せざるを得ませんでした。 人口が多い東海地方の総社でこのようなお宮があるとは少々意外でしたが、神社の維持大変なことですから致し方ないことです。 御朱印が目的の方は予めアポイントを取られた方が宜しいかと思います。 神社の周囲はここがかつて三河国府であったのが嘘のよ...
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