ここにある梵鐘も太平洋戦争末期に兵器製造に供せられたとある。ここ上飯田にこんなにたくさんの石碑があったとは知らなかった。入口にある昭和7年(1932年)建立の 村社 飯田神社 とある白い碑の裏に 上海事変凱旋記念 海軍航空兵上等兵勲八等三堀栄作 とあるようで、もともと農家の多かったであろうこの地域も戦争に巻き込まれていたことがわかる。
その横に風雨を凌げるようして立つ地蔵。台座の左右面には
延享甲子天六月卄四日(1744年) 相州鎌倉郡上飯田村
とある。正面は読み取りづらいが、寄進者の名等が記されているようだ。狛犬らしきがやけに痩せて見えるのは風化が原因なのだろうか。
その隣の雨避けの中には7体の地藏が収められている。中央の地蔵以外全ての台座に寄進者の名が刻まれているが、中央だけは
己 明? 観音講中 丑 十一月吉(日)
と建立年月が記載されている。どうやら干支を左右に分けて記載している。 干支が 己丑 で、元号が 明 から始まることから、ここには 明和六(1769年) とあったと思われる。 また、この中央の地蔵だけが首を傾げているのも面白い。
四角の台座に半球の台座を重ねその上に地藏というスタイルは、先の1体も同じ作りだ。
その左には9体の石碑が並んでいる。 文字の読み取れないものも多いが、右から見ていくことにした。
⭐????供養佛 明和三丙戌七月五日(1766年) 上飯田村???
⭐???? 宝暦九卯歳九月十五日(1759年) 願主 石井源左衛門
⭐??神 明治七年 上飯田
⭐??? 東叡山 羽黒山 文化十二亥八月八(1815) ...
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