2001年に焼失した旧本堂跡の傍らに、歴代住職の一人で、西南戦争で非業の死を遂げた厨亮俊(くりや りょうしゅん)僧の墓が静かに建っています。彼の経歴や西南役時に取った行動の概要が刻まれており、最後まで自らの信念を曲げなかったことが窺い知れます。詳しい内容は同寺のHPや、ウィキぺディア等の記載とほぼ被っているので、そちらを参照してください。
彼の命日にあたる4月13日は、毎年「阿蘇観音まつり」として同寺で法要が営まれており、これまで何度か訪れたことのある同寺ではあったのですが、今年は初めてこちらの方に参加してみることにしました(事前の確認で、檀家で無くても大丈夫との事でした)。 例年ならメインイベントとして、行者さんによる“火渡り”“湯立て”が行われ、来場者の無病息災を祈願するのですが、今年は行者さん方のスケジュールが合わなかったらしく、本来の形式である本堂内での法要のみとなったと、檀家さんの一人に教えて頂きました。
歴史と格式を供えたこのお寺の春の一日に、また賑やかな歓声が戻って来ることを祈っています。
(正面)
厨亮俊僧正墓
(左面) 權僧正亮俊師ハ筑後御井部ニ生ル 厨百之進ノ二男ナリ 幼ニシテ僧トナリ 比叡山ニ登リテ台教ノ蘊奥ヲ究メ 又好ンデ和漢ノ書ヲ讀ミ 略朩大義ニ通ズ 累進シテ權僧正ニ上リ 西塔ノ勸泉坊ニ住シ 明治九年阿蘇郡西巖殿寺ノ住職トナル 檀徒尊信皆其徳ヲ称セサルナシ 翌年薩賊蜂起シテ縣下ニ乱入スルヤ 阿蘇ノ各部落悉ク戰衢トナリ 人心怐々向背ニ迷フ者多シ 師ハ偶マ討賊ノ勅書及ヒ細川旧藩主ノ示諭文ヲ得 感泣措カス 自ラニ書ヲ携ヘテ各村ヲ巡廻シ説クニ 大義名分ヲ以テシ 其方向ヲ誤ルナカラシムルニ務ム 事賊兵ニ聞ヘテ 坂梨ノ賊營ニ捕ハレ拷鞠至ラサルナク 或ハ棍棒ヲ以テ臀部ヲ乱打シ 或ハ竹管ヲ箝シテ五指ヲ碎折ス 流血淋滴惨状見ルニ忍ヒス 師口ヲ閉チテ言ハス 只時々苦悶ノ聲ヲ発スルノミ 翌日官軍来襲シテ坂梨ヲ復ス 師當時縛セラレテ賊營ノ庭樹ニ在リ 肉破レ骨摧ケ殆ト死ニ瀕セリ 阿蘇
(背面) 有志隊ノ諸氏之ヲ聞キ馳セ行テ 急ニ其縛ヲ解キ湯薬ヲ施シ 具ニ語ルニ戦勝ノ状ヲ以テス 師眼ヲ開キ諸氏ヲ見 莞爾快ト呼ヒ遂ニ瞑ス 時ニ四月十三日行年四十四歳ナリ 師人トナリ身長偉大 白晢俊秀 眼光烱々人ヲ射ル 其緇衣ノ身ヲ以テ義ヲ執ル 甚タ堅ク 大節ニ臨ミテ奪フへカラサル者 永ク後人ヲシテ景望措ク能ハサラシム 真ニ偉丈夫ト云フヘシ 銘ニ曰ク
時屬昏乱 義存緇流 蹈正不恐 至死不休 噫真男子 傳芳千秌
明 治 十 丁丑 年 四 月 十 三 日...
Read more「良縁成就」、「五縁結び」の神様として有名です。
開祖が阿蘇山の火口の西の洞窟に、自らきざんだ十一面観音を安置したところから、 阿蘇山の西の巌殿ということで西巌殿寺の名前の由来となったそうです。
本院と奥之院は距離が離れています。 本院は阿蘇山の麓、JR阿蘇駅の南側の方にあります。 奥の院阿蘇山ロープウェイの阿蘇山西駅のところにあります。
奥之院は「恋人の聖地」と言われています。 多くの恋人や夫婦が訪れます。
奥之院ですが、2016年熊本地震により、建物がかなり損壊してしまいました。 2018年9月現在ですが、いまだ爪痕大きいです。 社務所には人がいません。
「五縁結び」ですが、五色の五縁紐があって、 赤(良縁成就)、紫(身体安全)、緑(学業成就)、黄(金運向上)、白(厄除祈願) となっています。 その中から自分の祈願したい色を選びます。
かなりの損壊がありますが、奥之院の本堂の横に、 五色の紐がしっかりとぶら下がっております。
御朱印ですが、ロープウェイの売店で紙に書いたものが置いてありますので、 そちらでお求めください。 ちなみにロープウェイは長期運休中で、 阿蘇山火口までは代行のシャトルバスが運行しています。 車は有...
Read morePeaceful and quiet but worth visiting. Was here during autumn and it has a very beautiful ginkgo tree. Only 700 metres from the Aso...
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