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JapanChiba PrefectureFunabashiBirthplace of the Name “Funabashi”

Birthplace of the Name “Funabashi”

2 Chome-1-25 Miyamoto, Funabashi, Chiba 273-0003, Japan
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Taka ガロンTaka ガロン
【船橋市 歴史探索】 ◉遺跡 船橋地名発祥の地 📍千葉県船橋市 船橋市の市内を南北に流れる海老川に架かる海老川橋(別名、長寿の橋)にあるレリーフ「船橋地名発祥の地」さんを探索しました。 13時23分に探索で他の観覧者はいませんでしたのでゆっくりと探索する事ができました、とは言っても人通りの多い橋です。 ◉文化財 ★船橋地名発祥の地 ☆由来 その昔、この近隣は「夏見入江」または「夏見潟」と言われ入江になっていたそうです。 下総国府(市川市)から上総国府(市原市)にかけて官道(昔の東海道の支路)が通っており、その入江付近の海老川は現在の状態に比べると川幅が広くまた水量も多かったため、橋板を渡すのが困難でした。 そこで川に小さな舟(船)を数珠繫ぎに並べて上に板を渡して橋の代わりにしたことから「船橋」という名前が付いたと考えられています。 伝記では日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の折、海老川を渡るために舟(船)を並べてその上に板を並べて橋を造ったされ、そのような舟(船)で造られた橋のことを「船橋」と名のったようです。 船橋という地名が世間に用いられるようになったのは鎌倉時代とされており、同時代の歴史書「我妻鏡」に「船橋」という地名が出ているそうです。 ◉感想 海老川に架かる橋には船橋市に関わる関係の物や特長をイメージした13個ものレリーフが作成されており、この海老川の橋にある舟のレリーフが1番大きく存在感を示しています。 海老川は別名、長寿の橋とされていますが海老川橋の上流のレリーフには泉重千代さんという方の手形があります。 この泉重千代さんは120歳まで生きた世界一の長寿男性として2011年版ギネスブックに記載されていましたが信憑性が疑問視されたため現在は取り消しされています。 そうなって来ると長寿の橋とはこれ如何に? 泉重千代さんは確かに長寿でしたが... しかも泉重千代さんは鹿児島県生まれの方で船橋市とは縁もゆかりも無いようで... 海老川を隔てて船橋市本町1丁目と宮本4丁目の間に橋が架かっており、本町の下流側には休憩できるベンチなどがあるので川を眺めながら(綺麗な川ではないですが)ゆったりとした時間を過ごせました。 橋から下流側には岩のモニュメントや「海老川・長津川 十四福像 三番 寅」のシーラカンスと河童のモニュメントもあり、シーラカンスは古代の象徴、河童は現代人の象徴とされ2つ合わせることで永遠の生命を表しています。 専用の駐車場はありませんので近くのコインパーキングをご利用ぐださい。 ありがとうございました。 ◉住所 千葉県船橋市宮本2-1-15 ◉アクセス 京成電鉄京成本線/京成船橋駅東口から徒歩8分位。
Kou KKou K
船橋はこの海老川河口の港町から発展していった町。 その海老川に架かる海老橋に「船橋」の名の由来の一つが説明されている。 河川改修事業でこの橋梁も整備されたのか、その「船橋」起原に寄せる造りが、橋中央の欄干に説明板とオブジェとしてある。 伝説として大和王朝日本武尊が東征の際、この海老川を渡るのに困難していて、土地の猟師が船を横に並べ、その上に板を設置し渡橋としたことが由来とされる。 この海老川はかって現在より川幅・水量があったとされ、現在陸化されているが夏見干潟という入江があり、湊として栄えたという。 「船橋」という地名が一般になるのは鎌倉時代とされ、「吾妻鏡」にこの名が認められる。 海老川河口の湊、及び付近の意富比神社の門前に市が立ち、この付近は大いに賑わったそう。 船橋駅より街道でこの場所までの道端には、歴史を意識させる工夫がある。 街全体でそのような意識で取り組む事はいいですね。
山田山田夫山田山田夫
奈良時代までには官道として舟並べて橋にしたって事実があったようです。 その頃は海老川は川幅100m以上はあったので箸をかけることも簡単ではありませんでした。 海老川橋の歩道の柵の鈴は鳴らせます! 今のように街道として橋がかかったのは江戸時代から。 尚、橋はもちろん少し高くなっていますがそこから東西の道を見渡すと橋の近くが1番低くなっていて徐々に高くなっています。 最低でもこの低い位置は当時の川幅と思ってよいでしょうか。
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【船橋市 歴史探索】 ◉遺跡...

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船橋はこの海老川河口の港町から発展していった町。 その海老川に架かる海老橋に「船橋」の名の由来の一つが説明されている。 河川改修事業でこの橋梁も整備されたのか、その「船橋」起原に寄せる造りが、橋中央の欄干に説明板とオブジェとしてある。 伝説として大和王朝日本武尊が東征の際、この海老川を渡るのに困難していて、土地の猟師が船を横に並べ、その上に板を設置し渡橋としたことが由来とされる。 この海老川はかって現在より川幅・水量があったとされ、現在陸化されているが夏見干潟という入江があり、湊として栄えたという。 「船橋」という地名が一般になるのは鎌倉時代とされ、「吾妻鏡」にこの名が認められる。 海老川河口の湊、及び付近の意富比神社の門前に市が立ち、この付近は大いに賑わったそう。 船橋駅より街道でこの場所までの道端には、歴史を意識させる工夫がある。 街全体でそのような意識で取り組む事はいいですね。

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奈良時代までには官道として舟並べて橋にしたって事実があったようです。 その頃は海老川は川幅100m以上はあったので箸をかけることも簡単ではありませんでした。 海老川橋の歩道の柵の鈴は鳴らせます! 今のように街道として橋がかかったのは江戸時代から。

尚、橋はもちろん少し高くなっていますがそこから東西の道を見渡すと橋の近くが1番低くなっていて徐々に高くなっています。 最低でもこの低い位置は当時の川幅と思ってよいでしょうか。

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