5世紀前半に築造されたとみられる、墳丘長225メートル(全国で22位の大きさ)古墳の両側に造り出しを持つ前方後円墳。墳丘中心部に、竪穴式石郭が、内部には長持形石棺が収められているといわれてるようです。この古墳が応神陵の陪冢?こちらの古墳自体が陪冢を複数備えていて…あーややこしっ(笑)これは大王クラス級のお墓やないんですかねえ。付近の天皇陵と言われる古墳とも、ひけを取らない大きさで、陪冢?の出土品も立派でヤバいし…。周壕を埋め立てて墓地作って、もし古墳を発掘調査して大発見〜があったとしても今更、治定はないのでしょね(知らんけど)。墓山古墳を200%拡大したら、応神天皇陵と瓜二つなるらしい...
Read more墳丘長225m、後円部直径135m(高さ20.7m)、前方部幅153m(高さ19.3m)の大型前方後円墳で、宮内庁曰く陪塚らしいです(あり得ん)。くびれ部両側に造り出しを持ち、現存していませんが幅37mもある堤もありました。墓山という名の通り、西側と南側は墓地となっていて、特に南側は堀を埋めてまで墓地を造っています。来る時は静かにしましょう🤫。墳丘は3段築成のようで、東側から墳丘を見ると「テラス」をしっかりと確認でき、ちゃんと段築がされているんだな、と思いました。また、墳丘の周りには羽曳野市役所や羽曳野市文化財展示室があり、地域の事や古墳の歴史の事でわからないことがある時はめっちゃ便...
Read more全国22位の規模を有する前方後円墳。 墳丘長225mの前方後円墳、築造時期は5世紀前半と推定。 宮内庁により応神天皇陵の陪冢として治定されているが、墓山古墳自体が多くの陪冢をもつ大型前方後円墳であるため、大王級の墓との見方が有力。 ( ̄o ̄)/ 周濠や外堤の一部は共同墓地として過去より利用されてきているが、全体的には比較的よく保存されている。 位置的には、古墳南側及び西側からみてやや高台にあり、羽曳野市役所から西へ坂道を登ったところにある。 市役所の裏側の小道(古墳東側)が、静寂で落ち着いた雰囲...
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