春に訪れましたが、桜をはじめ綺麗な草花が咲いていました。とても綺麗に整備されており、無料の駐車場や休憩所、綺麗なトイレもあります。
堀や土塁跡もわかりやすく整備されており、また「この場所には〇〇があった」的な掲示も丁寧に設置されているため、当時の様子を見て取ることができました。
それほど期待せずに伺ったのですが、予想に反して大いに楽しむことができました。
勝沼氏は勝沼信友公を始祖とするそうです。 信友公は武田信縄公(信玄公の祖父)の次男で、長男が武田信虎公です。
甲府から見て勝沼の先にある郡内を本拠地とする小山田氏ですが、武田信虎公が家督を継いだ頃は武田氏と敵対関係にありました。 信虎公は自身の妹を小山田信有公に嫁がせたりと融和政策をとっています。
それでも途中で不仲になる時期もあったりするので、小山田氏への抑えとして勝沼は重要な場所だったと思われます。
また、勝沼は甲斐国の東部へつながるいくつかの峠の根元にあたる部分でもあり、峠の先には金山もあるため経済的にも重要な場所だったそうです。実際に館跡の工房跡から金の成分が発見されています。
よって武田信虎公は信頼できる弟・信友公を勝沼に入れたのではないかと思われます。
残念ながら勝沼信友公は天文4年(1535年)の北条軍との戦いで討死します。 信友公の跡継ぎ男子の存在については諸説ありますが、いずれにせよ、信友公の所領や名跡を継いだのは府中今井氏の今井信甫公で、以降は勝沼今井氏となり「勝沼殿」と呼ばれるようになります。
甲陽軍鑑によると、永禄3年(1560年)に勝沼殿が謀反を企てたため信玄公に成敗された旨の記載があります。これは恐らく勝沼今井信甫公の跡を継いだ信良公のこと...
Read more訪問日:2024/08/07 勝沼氏館跡にやってきた。目の前に小さい小屋。これは館の復元か…いや、違った。休憩所だった。とりあえず中に置いてあるパンフレットを手に取ろう。外は雷雨で気温が幾分か下がったが、休憩所内はまだムンムンと熱気が漂っている。
「国指定史跡 勝沼氏館跡」とパンフレット表紙は立派だ。しかし、今この地には人の気が全くない。いるのは多くのトンボだ。彼らのたまり場かここは。まあ、今の建物なき空き地に歴史的価値を感じ取れと言われても難しいか。
しかし、その難しいことに挑戦した人々によってどこに何の建物があったのか、断片的ながらも情報が導き出されたようだ。
パンフレットを読む。「県立ワインセンター」建設予定地として、地面を調べていたら、陶磁器のかけらなどが次々と見つかった。継続的調査で、15世紀から16世紀に営まれた有力武将の居館跡ということを突き止めたようだ。武田信虎、弟の武田信友と、私が知らない武将たちがここを拠点としていたようだ。
跡地をぐるっと回ってみる。工房跡とあった。ここでは金物も作っていて、この近くで金が...
Read more甲州街道(国道20号)の柏尾信号から勝沼氏館跡へ向かう場合は上行寺の交差点、左側に見学者用の無料駐車場があります。駐車場案内板が道から見て、少し奥に有り分かり辛いですが7台位停められます、勝沼氏は武田信玄の父信虎の弟である信友その子信元二代の武将として活躍した武田親族衆でその勝沼氏の館跡は 、深さのある空堀、高目の土塁、橋脚の石垣等の遺構が有ります、...
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