熊谷の発展のために数々の偉業を為した竹井澹如氏によって明治初期に造られた回遊式庭園である。 この庭園は、元は竹井澹如氏の別邸の庭であるため、造園された当時から誰もが気軽に入ることが出来たわけではない。庭園の名称である『星溪園』も昭和初期につけられたもので、昭和25年に熊谷市が譲り受けて市の名勝として指定されたのち、誰もが無料で気軽に訪れることが出来るようになった。 庭園自体はそれ程広くなく、周遊するだけであれば20分と要しない。木々の緑が鬱蒼と生い茂っており、日差しを遮っているため、夏場でもそれ程暑さを感じずに済む。ここでは随時俳句を募集しており、誰もが参加できる。入口に専用の紙が配られており、一句書いて投書すれば、ギャラリーに掲載されるかもしれない。庭園自体は無料だが、庭園内にある茶会などを楽しむ建物の利用は有料で、事前の予約が必要となる。 現在は住宅街に囲まれているため、他の家の洗濯物等が目に入る場合がある。また幹線道路が近くを通っており、車の行き来の喧騒もよく聞こえる。残念ながら、日本庭園ならではの景観と風情を楽しむために来園すると、少しガッカリするかもしれない。また、庭園そのものがそれ程広くなく、園内の敷地の多くを池で占めているため、人が経ち入れられる小路などはそれほど広くない。少人数であれば当日予約等無しで訪れても問題ないが、大人数での利用には、事前に管理事務所等に連絡した方がいいかもしれない。 園内には複数人のガイドボランティアが常駐している。この庭園の成り立ちや今に至るまでの波乱万丈の話を聞くことが出来るだろう。
This garden was created in the early Meiji period by Mr. Tanjo Takei, a man of many accomplishments for the development of Kumagaya. Since this garden was originally the garden of the villa of Mr. Takei, not everyone was able to casually enter the garden from the time it was created. The name of the garden, "Seikeien," was given in the early Showa period, and in 1950, Kumagaya City took over the garden and designated it as a place of scenic beauty, after which it became accessible to all visitors free of charge. The garden itself is not very large, and it takes less than 20 minutes just to walk around it. The trees are thick and green, blocking out the sun, so it's not so hot in the summer. Haiku poems are always welcome here, and everyone is welcome to participate. A special paper is handed out at the entrance, and if you write a haiku and submit it, it may be published in the gallery. The garden itself is free of charge, but there is a fee to use the building in the garden for tea ceremonies and other events, which must be reserved in advance. The garden is currently surrounded by a residential area, so there are times when laundry, etc. from other houses can be seen. Also, a main road runs nearby, and the hustle and bustle of cars coming and going can often be heard. Unfortunately, if you come to the garden to enjoy the scenery and atmosphere of a Japanese garden, you may be a little disappointed. Also, the garden itself is not that large, and most of the site is occupied by a pond, so there are not so many paths for people to walk through. If you are a small group, you can visit the garden without making a reservation on the day of your visit, but if you are a large group, you might want to contact the management office in advance. There are several volunteer guides stationed in the garden. They will be able to tell you the story of how the garden came to be and the many vicissitudes that have led up to...
Read more星渓園の玉の池は、この西側に天正年間1574年に鉢形城主北条氏邦が拵えた北条堤が荒川の氾濫で江戸の時代1623年に決壊した事で出来た池です。池からは水が湧き出て下流の旧星川へと成りました。元々荒川は荒ぶれる川でしたので、熊谷宿を水害から守る為に北条堤が築堤されましたが玉の池の下流の旧星川は、現在のお祭り広場から50m位下流の北側にある焼きそば福乃家さんの裏側を流れておりました。なので此処だけではなく旧星川が蛇行していたことが伺えます。洪水で堤防が決壊すると東の忍宿にも水害が押し寄せました。現在は星川シンボルロードとして真っすぐの星川に生まれ変わっています。 それでこの玉の池の成り立ちに興味が湧き、北条氏邦が荒ぶれる川からどの様な場所に熊谷の宿を守ろうとし、堤がどの辺にあったのかを步ってみました。又、玉の池の下流となる星川は何処へ流れて行くのか写真を添えます。 ----------北条堤のあった所-------------- 熊谷の大麻生駅の北にある国道140号線のカーブの辺りはその昔は荒川だったようです?? ①北条堤は熊谷の八木橋デパートから西へ300m程の所の①-①臨済宗松巖寺の東辺りから国道17号線を斜めに横切りピザーラの東二軒目の②太鼓屋さんの斜の道を行く。道を挟んで本石子供広場あり、斜道を行くと狭い道には水路にコンクリートの蓋が架かっています。川筋の名残りでしょうか? ...
Read more星川の源流になった池がある。 どうせ汚い透明度ゼロの水が溜まっているかと思ったら、キレイな水が湧き出ていて驚いた。 無料で入場出来るのでぷらっと行けます。 星川の流れも綺麗な水でした。 以下Webサイト引用
星溪園は回遊式庭園で、熊谷の発展に数々の偉業を成した竹井澹如翁によって慶応年間から明治初年にかけてつくられました。 竹井澹如は、天保10年(1839)群馬県甘楽郡南牧村羽沢の豪族市川家に生まれ、幼名を萬平と言い幽谷と号しました。明治12年(1879)初代の県議会議長となり、政府の要職をすすめられたが、始終一貫、熊谷地方のために貢献しました。 熊谷県庁の誘致・旧熊谷堤の修築と桜の植樹・養蚕業の振興・私立中学校(セキテイ学社)の創設などの偉業を残し、大正元年(1912)8月74歳で永眠されました。 元和9年(1623)、荒川の洪水により当園の西方にあった土手(北条堤)が切れて池が生じ、その池は清らかな水が湧き出るので「玉の池」と呼ばれ、この湧き水が、星川の源となりました。澹如翁が、ここに別邸を設け、「玉の池」を中心に竹木を植え、名石を集めて庭園としました。 昭和初期、この地を訪れた前大徳牧宗禅師が、「星溪園」と命名しました。昭和25年に熊谷市が譲り受け、昭和29年に市の名勝として指定されました。 平成2年から4年にかけて園内の整備が行われた際には、老朽化の見られた建物は数奇屋感覚が取り入れた上で復元されました。園内には、星溪寮、松風庵、積翠閣の3つの建物があり、お茶会などの日本的文化教養の...
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