式内社(小)武蔵国大里郡(1座)の一座、旧社格は県社。熊谷郷の総鎮守。
祭神は、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)。 高皇産霊尊は別名高木神(たかぎのかみ)と呼ばれ、生成力を神格化した神であるため万物をつくり出す神とされており、「えんむすび」「安産」の神として崇敬されている。
資料によると、 鎌倉時代初期には、熊谷直実公が崇敬していた。
鎮座地に移動があり、今は立地の良い熊谷市の中心、熊谷市役所の近くに鎮座していて、境内には高城記念館も併設しています。
創建年代は不詳ですが、延喜5年(905年)の延喜式内社に指定された古社です。 その拠り所は、 相上村吉見大神の社家徳永豊州が文久3年(1863)に当時の旧社地に接して家を建てた時、地中から「无邪志国・高城神社」とある古代の銅製の鈴を見付けたことを書いている。 この鈴は社宝として現存し、式内社を証明する一つとされている。 とあります。 无邪志国、无邪志国造(むざしのくにのみやつこ、むざしこくぞう)は、のちに武蔵国東部となる地域(无邪志国)を支配した国造であり、そのことが古代の創建の拠り所になっている様です。 とあります。
参考として、 その名から知れるように「高木神(高皇産霊尊)」を祀る古社だが、「知知夫国造」はその高木神の子「オモイカネ(八意思兼神)」を祖神としていて、要はこの熊谷市の高城神社こそが「知知夫国造」の元々の奉斎社だったんじゃないか。
熊谷は秩父盆地から平野に出たあたりにあるわけで、のちに上毛野国造と武蔵国造の勢力に押されて「知知夫国造」が秩父盆地に引っ込んだとしても、熊谷が平野部の最後の砦になった可能性は十分にありそうだ。 ちなみに『先代旧事本紀』によれば、「无邪志国造」は第13代成務天皇(在位320〜350年)の御世に任命されたとあるが、「知知夫国造」はそれより100年前の第10代崇神天皇(同207〜241年)による任命だという。
「无邪志国造」が赴任してきたときには、北武蔵はとっくに「知知夫国造」の支配域になってただろうし、「知知夫国造」が崇神期に赴任というのも、この地に東海からの移住者が押し寄せた時代とは、タイミング的に合致していて面白い。
なお、武蔵国一の宮といえば大宮の「氷川神社」だが、この神社が武蔵・相模諸社のトップにたったのは貞観11年(869年)のことで、それ以前は知知夫国造がオモイカネを祀る「秩父神社」が最上位だっ...
Read more2023/11/21...
Read moreNice shrine, it's simply designed and understated. They have a very popular festival here which is very good. Parking is a problem so it's advised to arrive 2 hours early if you intend to visit the festival. The grounds and buildings are...
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