豊臣秀吉公の隠居城として1592年文禄元年に建てられた伏見城🏯の総構え(城の周りを堀や石垣で塀をつくり囲む土塁)として造られた大変貴重な石垣遺構が、ここ栄春寺にのこってます。京都伏見にある曹洞宗の寺院です。伏見城の門の遺構もあります。観音堂は非公開ですが、関ケ原の戦いの前哨戦で徳川家として守っていた鳥居元忠氏と石田三成公側との戦いで亡くなった戦人の倒れた跡が残る血天井がはられています。
伏見城の戦いは、鳥居側2000人.石田三成側4万人の戦いでした。約14日で城は落ました。徳川側からは14日石田三成側を止め関ヶ原の戦いへ戦人を遅らせたと言われます。この時家康は上杉氏の討伐にいくので、余り戦力を伏見城に残せなかったことを鳥居氏に詫びています。
戦後暫く伏見城はそのままになってましたが、後に家康が不憫に思い鳥居氏を供養する為京都の行くつかの寺に踏まれない天井に伏見城の床板を貼らせたといい伝わっています。
京都にある血天井は、東山区の養源院(ここの山門は伏見城の遺構)、北区の源光庵、正伝寺、左京区の宝泉院、右京区の天球院、宇治市の興聖寺に現存しています。 また、血染めの畳は、江戸城伏見櫓に納められています。家康は、江戸城を訪れた者に元忠の忠誠を讃えています。明治維新の後は壬生藩鳥居家に下げ渡され元忠を祀る精忠神社に埋納されています。
アクセスは京阪本線墨染駅...
Read more墨染駅から徒歩10分、永禄11年(1568)伏見で最初の曹洞宗寺院とし孝蒲伝和尚が開創のお寺です。 伝泰澄大師作の釈迦如来像が祀られていますが、徳川家康の家臣の酒井重勝の寄進に依るものらしい。先ずは、外からですが手を合わせます
因みに天井には格天井絵やお茶室に庭園も有ります。拝観には予約が必要なようです。
総門から入りました。伏見城の遺構門とあり、見ると重厚な鋲も見えます。観音堂も外からの拝観で、奥の墓地の方へ進みます。無縁塔に慈母観音様、そして墓地が見えて来ました。
伏見城の遺構という石垣の上には江戸時代の兵学者の墓や会津藩主が建てた碑、ナント赤穂藩の四十七士や吉良方の碑もあるそうです。歴史好きに...
Read more疎水にかかる出雲橋でお喋りなおじさんにつかまり色々な話の中に栄春寺は出てきませんでしたが気になってましたので10分位で土塁が駐車場の奥にしばらく歩くと住宅地の奥に伏見城遺構の門が見え前の参道を進むと門は通過できませんが左に進む参道があり緩やかな坂の突き当たりが土塁です。ここは墓地になっていて家屋の二階建て位の高さで街並みが見渡せます。この墓地群のおかげで土塁が残った気がします。 ここには本堂の天井には内陣龍図、観音堂に血天井、茶室指心庵、紅枝垂桜、秀吉の命により植えられた孟宗竹の名残り等こじんまりした境内ですが16...
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