先史時代からの松前の歴史、暮らしに関する資料を展示
札前📖二つ岩伝説 昔、コノハナサクヤ姫一行が、本州北端の三厩から一隻の小舟に乗り込み蝦夷地と言われた北海道に向かった。その時、オヒョウという魚が日本海を北上し、体があまり大きかったため、大島と小島の間にはさまれ、痛さのあまり大暴れし、津軽海峡は大暴風雨となってしまった。この時、姫は「これは海神の怒りである」と考え荒海の中へ投身してしまった。すると一瞬のうちに風雨は静まった。岸辺の大岩に近寄ってみると投身した姫が頂上に立っていた。さらに不思議なことに、舟が岸辺についたとたん今まであった大岩は真二つに割れ今に残る名勝「二つ岩」になった
神明📖徳山大神宮 昔、このお宮の別当白鳥氏の夢に、ある夜白髪の翁が現れた。その翁が言うには、「私はこのバッコ沢の奥に住む大蛇である。この沢を出て海に行き、やがては天に昇り、龍となりたいと常々思っているのだが、あの桂の木が大きくて枝が邪魔となり出られないでいる。どうかあの木を切ってもらえないだろうか。」しかし、大蛇が大海に出る時には必ず、雲を呼び大雨を降らせて大洪水となり、その波に乗って出るというので、別当は大蛇を海に出してやりたいとは思うものの、洪水で町が流されては大変なので、遂にこの木を切らなかった
館浜📖17世藩主崇廣侯の少年時代 海岸段丘につらなる山麓は、現在、肉用牛の放牧地だが、その昔祢保田館が建てられ、その後、松前藩時代には狩り場(狩猟地)であった。或る日、家来3人を連れて狩りに出かけたが、どうしたことか、後から届くはずのお昼の弁当が遅れた。家来が心配していると、ちょっとそこまで行ってくるからお前達はここで待っておれと一人で部落の方に行ってしまった。部落に入り与兵衛の家にやって来た。ズカズカと入って「腹がへったから何とかせー。」と言った。女だけだったので、まさか殿様になる方とは知らず棚の上から持ってきて「これを食ったらどうかね」と…。食べてみると生まれてこんなおいしいものを食べた事がないという程、気にいってしまった。翌日、昼食を差し上げると昨日、与兵衛の家で食べたものが欲しいと言う。どんなもんですかと聞くと御飯の様なもので黒い様なものだというので早速、おはぎの上等を作って差し上げるとそんなものじゃないと言う。のりまき寿司を持っていくと、それでもないと言う。家来が馬で与兵衛の家へ飛んで行って「昨日なにを差し上げたのだ…。」と尋ねると与兵衛一同びっくりして首が飛ぶ思いでガタガタふるえてしった。家来がよく事情を話すと、まさか殿様だとは思わないのでご飯のコゲに砂糖醤油をつけたものを差し上げたという。家来は馬を返して、ようやくおコゲを差し上げた
博多📖博知石 昔、松前藩創立以前、東北から移住してきた漁師たちは、船がよく転覆したり沈んだりするので、大きな岩に洞窟を掘り、船霊様を祀ることにした。そこで、徳造という信心深い漁師が一生懸命掘削し、3年目の春にようやく完成した。いよいよ念願の船霊様を祀るという前夜、多くの漁師たちが前祝いだとばかりに飲めや歌えの大騒ぎをし、博打までやる始末。かの徳造は、洞窟が汚されたと烈火のごとく怒り、洞窟の中で断食してついには死んでしまったという。それ...
Read more🏯 北海道の南のはしっこに…「松前町」ってどんなとこ?
北海道の南端、津軽海峡に面した松前町(まつまえちょう)。 実はここ、北海道で唯一の“お城のある町”なんです!
江戸時代、松前藩の本拠地として栄え、海を使った交易でかなりイケイケの街だったとか🏴☠️ 当時は「北前船(きたまえぶね)」という商船が、瀬戸内や大阪、越後などを行き来してモノを運んでいました。
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🖼️ 「松前町郷土資料館」に行ってみた!
先日立ち寄ったのが、こちら! 松前町郷土資料館。なんと入場無料✨
これが意外にも(←失礼)、めちゃくちゃ丁寧な展示で、 昔の松前藩の武士の暮らしや、交易の様子、古地図などがしっかり学べます!
📌 ここがポイント! • 松前城のすぐそば • 中は静かで落ち着いていて • 小規模ながら展示のセンス良し✨ • 3分でも、ふらっと立ち寄ってOKな雰囲気
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🐟 北の海と共に生きた町
松前町が栄えた理由は、なんといっても海とのつながり。 津軽海峡を挟んで本州・青森とも近く、海路で人もモノもワサワサ動いていました。
しかも松前藩は、蝦夷地(北海道)全体を統治していた時代もあるほどの“北の主役級”! 現代で言えば、北の営業本部長って感じです😆
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🍣 ついでに…海鮮丼もイケます。
資料館を出たら、ぜひ松前の海鮮丼もどうぞ。 まぐろやウニ、イカなど、津軽海峡の恵みがたっぷり。 「ちょっと勉強して、ちょっと食べて」の、完ぺきな流れです♪
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Read more大館城跡が資料館の近くなので、道を聞きに施設へ行きました こういう施設はお役所的な発想が、多いのですが、青少年教育と歴史的文化財とが、しっかりと整備されており、楽しめました。係の方が道案内も丁寧にしてくださいましたが、『道が無い』『この時期熊が出る』『事故(自己)責任で』の三拍子を強く説明されたので、何かあったらご迷惑かけると思い、登山靴と狩猟具を用意してから再び伺いたいと思います 例えそこに城は無くても、『その場』に立てることが喜びなので、歴史好きには少し残念な結果でした。・・・とはいえ、そのような場所に居を構える地元の皆様には、敬服いたしております。重ね重ねご丁寧なご案...
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