1625(寛永2)年に開かれた寺院で、戊辰戦争の戦火をまぬがれ、江戸時代のままの伽藍を残す貴重な建物で国指定重要文化財。本堂・庫裏(くり)・惣門(そうもん)・鐘楼(しょうろう)・土蔵などからなり、本堂・庫裏は1842年(天保13)の建築。京都から腰入れした7世公広公の奥方が亡くなった長男の冥福を祈って建てたものでお寺の名もその長男の戒名からとった
蝦夷霞桜 🌸 樹齢100年以上になると伝わり、光善寺の血脈桜、天神坂夫婦桜と共に「松前三大桜」のひとつとされる。北海道大学の元教授であった館脇操博士は、龍雲院の古木を「エゾヤマザクラ」、他の道内に見られる変異株に「ウスゲカスミ」と命名した。霞桜は個体間の変異が極めて大きな野生種で、この蝦夷霞桜は多様な霞桜の一形態と推定される
龍神堂(護国殿) 建築時代は不明だが本堂建築よりも古い時代の作といわれている。本尊は山形の善宝寺、海の神様である龍神様の分身を祀りる。古くから航海安全を祈願する海運業並び漁業者の信仰厚く、それらの方々により建てられたもの。正面龍の彫刻の丸みをおぴた木膚か...
Read more龍雲院は、寛永2年(1625)7世公廣の正室桂子の発願により、松前家の菩提寺法幢寺の僧良天を開山として、法幢寺の南側に接して創建されました。 惣門は伽藍正面の南面にあり、惣門を入ると正面奥に本堂があります。本堂東に庫裏(くり)、西に海上航行の安全を司る龍神を祀る龍神堂があります。本堂の南面西寄りに鐘楼が建ち、境内の東南隅に土蔵が建っています。 本堂、庫裏はともに天保13年(1842)の建立で、本堂は北越宮川(現:柏崎市宮川)の大工、庫裏は地元松前の大工によって建てられました。鐘楼は弘化3年(1846)、土蔵は弘化3年までに建てられたと推定され、惣門は嘉永4年(1851)に建立されました。龍神堂は文政13年(1830)に建立されましたが、函館戦争によって破損したため、明治6年(1873)に再建されました。 箱館戦争で焼失を免れた唯一のお寺で本堂、惣門、鐘楼、庫裏、土蔵は国の重要文...
Read more藩政期に建てられた本堂と庫裏、惣門、鐘楼、土蔵の五棟が国の重要文化財に指定されています。本州以南ではそこそこあっても北海道の社寺としては他に例がなく、なかなかの見ごたえです。松前城天守閣周辺の寺町には他にもいくつかの寺院があるものの、多くの建物は近代以降の再建です。往時の景観が損なわれることなく保たれている点がとりわけ貴重です。 本堂前にある「蝦夷霞桜」は「血脈桜」「夫婦桜」と共に松前の三大名木とされていて、私が訪れた折は「血脈桜」と「夫婦桜」は満開であったものの、ここの「蝦夷霞桜」はようやく咲きはじめたところでした。松前まで足を延ばすのはなかなか大変ですが、蝦夷霞桜の見頃に...
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