🌸 1469(文明元)年夏、若狭の僧随芳が、奥尻島に草庵を結んだが1490(延徳2)年に大館に移り松前山法源寺と号した。この年、奥尻から上ノ国に移り1514(永正11)年、蠣崎光広とともに大館に移った。福山旧記などに1514(永正11)年大館合戦の時、法憧寺、法源寺残るとあるので、当時すでに大館にあり、幸に兵火を免れた。寺境内には画聖蠣崎波響、史学者松前広長、種痘を我が国に伝えた中川五郎治の両親の墓がある
山門 この山門は四脚門で、本柱と控柱を腰長押(こしなげし)でつなぎ、柱上の頭貫(かしらぬき)、木鼻(きばな)をつけ、組み物は三斗実肘木(みつとさねひじき)を用い、正・背面の頭貫の上に台輪(だいわ)と蟇股(かえるまた)を置き、一軒吹寄垂木で屋根は切妻造の平入、こけら葦(ぶき)である。これらの特色から、室町時代の末期の建物といわれているが、最近の調査では江戸時代中期の建造とされている。しかし、いずれにしても本道としては最も古い建造物の一つである。1969(昭和44)年3月、修理工事を行い、屋根を創建時のこけら葺に葺き替をした
陣鐘 拝観不可 法源寺口伝によれば、松前藩5世慶廣が1593(文禄2)年、朝鮮出兵のため肥前名護屋にあった豊臣秀吉に謁見した際、拝領したものといわれている。永く福山館隅櫓に備え付けられ、非常事変の報知に用いられていたが、法源寺檀家の豪商伊達家を通し、法源寺に寄付されたもの。その後、末寺忍路郡塩谷村(現小樽市)の徳源寺開闢(かいびゃく)の際同寺に移譲されたが、1942(昭和17)年戦時中の金属回収の折に本寺に還付された。北海道で、金属回収を免がれた唯一の梵鐘である。この鐘は朝鮮半島で鋳造されたといわれ、龍顔(りゅうず)、撞座(しゆざ)がなく、鐘身に算木の文様を配している特色から、陣...
Read more一七世紀の山門が国の重要文化財に指定されています。 解説付の立派な碑もありますが、どうにも地味で見ごたえに欠けます。 本堂周辺も手入れが行き届いているとは言いがたいものの、松前の寺町を歩いていればおのずと前を通るので、わざわざスルー...
Read more松前城の散策エリア内にある神社仏閣。
松前城周辺は神社仏閣等が多い...
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