最上階の間「楽寿楼」から千波湖を見晴るかす眺めが素晴らしいです。江戸時代の千波湖は今の4.8倍の大きさだったということなので、今よりももっと壮観だったと思われます。時間が無い方は、最初に三階に上ってから他の部屋を廻る事をおすすめします。他にも奥御殿の華やかな襖絵の数々、藩主斉昭の考案した食膳用エレベーターや茶室など、見所は多いです。
【ふすま絵】 一階・奥御殿の9つの部屋には、梅の間、菊の間、萩の間…等、花や樹木の名前が付けられており、襖絵には室名と同じ草花が描かれています。この優美な襖絵は画風からも分かる通り戦後に描かれたものだそうです。 江戸時代創建当初の建造物は水戸空襲で焼失してしまい、どういうわけか当時の襖絵については殆ど資料が残っていないのだとか。創建当時(1842年)の襖絵を手がけたのは、萩谷遷喬、三好守真、岡田一琢という藩の絵師達であり、また、僅かに残っている写真では、襖は白張りで、床の間の小襖などに水墨画が描かれている程度だった…と伺いました。 もし全ての部屋が簡素な白張りであったなら、むしろ現在のほうが華やかで美しい空間となっているのではないかと思います。(尚、萩谷遷喬(はぎのやせんきょう)は水戸の三画人に数えられる藩士で、弘道館の襖絵(袋戸の小さな襖絵など)も手がけており、こちらは現存しているので見ることができます。)
【貞芳院(ていほういん)の暮らした部屋】 奥御殿の「梅」の間とその両隣の「竹」「清」の3部屋は、斉昭の正室であり最後の将軍慶喜の生母でもあった貞芳院(吉子夫人)が明治になってから住んでいた部屋で、奥御殿で最も高貴な部屋とされているそうです。貞芳院は京の宮家から水戸藩に嫁ぎましたが、夫に負けず劣らず個性的で活発な女性で、釣りを趣味とし薙刀や乗馬もこなす等の逸話が残っています。夫婦仲は非常に良かったようですが、1860年に斉昭に先立たれてしまいました。その後水戸では血を血で洗うような藩士の内戦が起き、しかしそんな惨状とは別次元で中央では実の息子・慶喜が大政を奉還し、一方で実家の有栖川家の人間が新政府軍総督として慶喜を追討し…と、複雑な立場で幕末を経験します。そんな目まぐるしい時代の後に亡き夫の造った好文亭で暮らす日々はどのようなものだったのでしょうか。廃城されて荒れ始めていたであろうかつての住居・水戸城も好文亭からは見えたはずです。そんな往時に想いを馳せながら薄暗い部屋べやを歩くと、奥御殿が少し身近に感じられる気がします。
貞芳院が好文亭で暮らしたのは明治2年(1869)から6年までの四年間だけで、その後は向島の水戸藩下屋敷・小梅邸に移り住み、最後の水戸藩主・昭武(慶喜の異母弟)の世話になっていたようです。静岡に住む慶喜や近所の寺島邸に住む慶徳(慶喜の異母兄)らと時折交流しながら暮らし、明治26年(90歳)まで生きたそうです。弘道館に行くと彼女の晩年の写真を見る事ができます。
【戦後の再建】 好文亭は空襲で焼け、再建されたのは昭和33年。 新しい襖絵が須田・田中画伯らによって描きあげられたのは昭和44年。 …ですが、昭和44年の新襖絵完成のわずか数ヶ月後に落雷に遭い、好文亭は再び全焼。しかし新襖絵は燃え移る前に運び出され、殆どが無事だったそうです。 昭和47年に再建された3代目の建物(現在の好文亭)に新襖絵は移されたわけですが、それらは今でも美しく、火災から運び出してくれた当時の人々に感謝したい気持ちになります。
【一張一弛】 水戸には『一張一弛(いっちょういっし)』という言葉がありますが、弘道館は「気を張って学ぶ」場所、偕楽園は「気を緩めて寛ぐ」場所、というように、両者はセットで作られた施設なのだそうです。好文亭は、藩士や領民がリラックスするための宴会場や茶屋として使われていました。民に開かれた庭園というイメージが強いですが、実際には開放日が定められており(3と8が付く日)、酒に悪酔いしてはならず、三味線や小唄も禁止(雅楽や詩歌はOK)…だったらしいので、一般の領民には少し敷居が高かったかもしれません。
【好文亭と一遊亭】 園内の一画には斉昭が偕楽園設立の趣意を記した石碑「偕楽園記」がありますが、そこには「好文亭と一遊亭の二つを作る」と書かれているそうです。一遊亭は川を挟んで向かいの桜山(護国神社のある丘)に建っていたらしいのですが、現在は石碑のみが残っています。
尚、“一張一弛”という言葉は『偕楽園記』石碑にこう記されています。
「弓に一張一弛有りてつねにつよく、 馬に一馳一息有りて恒に健かなり。
弓に一弛無ければ則ち必ずたわみ、 馬に一息無ければ則ち必ずたおる。 ...
Read more【日本三名園のひとつ「偕楽園」。の中にある見応え抜群の「好文亭」】 ・偕楽園への入園料 大人(320円)+好文亭への入園料(230円) にて利用させていただきました。 ・茨城県水戸市。偕楽園駅からすぐの場所に佇む庭園「偕楽園」さんの中に佇む「好文亭」さん。
・「偕楽園」さんは、金沢の「兼六園」さん、岡山の「後楽園」さん、とならぶ日本三名園の一つ。
□□□お店の概要□□□ □営業時間:偕楽園)2月中旬-09月末 06:00-19:00/10月-2月中旬 07:00-18:00 □ :好文亭)2月中旬-09月末 09:00-17:00/10月-2月中旬 09:00-16:30 □定休日 :12月29日~12月31日 □入園料 :大人(高校生以上) 230円/小人(小学生以上) 120円 □□□□□□□□□□□
・水戸藩第九代藩主 徳川斉昭(とくがわなりあき)さんが建設された庭園「偕楽園」。 ・梅の異名である「好文」を晋の武帝の故事に基づいて斉昭さんが名付けた「好文亭」。
・建物内は、まるでタイプスリップしたかのように時を超えた息遣いを感じることができます。 ・詩歌の会が開かれた創作の間「西塗縁広間西塗縁広間」は、「こんなところで一日ダラダラしていたいなぁ・・・」と思うような、景観の素敵な広間。
・急な階段を登って3階の正室「楽寿楼楽寿楼」にたどり着くと、千波湖を含めた周辺を一望できる圧巻の景観を望めます。
・建物内にはカフェもあるので、館内を一通り回ったら、ゆっくりお茶をしながら、現代と過去の狭間な空気感を体感できるかもしれませんね。
・せっかく「偕楽園」さんに入園されたらなら、プラス230円をお支払いして、「好文亭」さんも拝観する価値は十分にあるかと思います。 ・水戸周辺にいらした際には、是非、「好文亭」さんでプチタイムスリップ体験をされてみてはいかがでしょうか。ありがとうございました。
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Read moreA well maintained building, very traditional Japanese interior and garden. At the highest floor you can sit on the tatami and enjoy the amazing scenery. There is a cafe with amazing view as well although price is at the high side.
Transport: 270yen (1-way bus) from mito station north exit Keirakuen entrance: 300yen Kobuntei...
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