I sometimes wonder what this man's life would have been like if America had never come to Edo. The year is 2025. It feels like the world today is similar to when...
Read moreこの場所は酒造家・鴻池(永岡三郎兵衛)跡地の一部で、鴻池はこの一帯のほぼ全部にあったもので、そこに慶応四年四月二日に「新政府正規軍」との接触戦闘を避けるべく足立郡五兵衛新田から転陣してきた徳川方陸兵部隊(名乗りなどない)の指揮官・大久保大和守剛(近藤勇が業務命令的改名したもの)が翌日三日夜半に「事情聴取」の為の「任意同行」を求められた、と言うのが史実で、土蔵はイメージモニュメント的意味合いとして現所有者の秋元家が補修管理されていたものの、あの土蔵に近藤・土方は居ない(当時は別の場所にあり、大正年間に移築した)。 当時から現存するのは、門を入って左手にある稲荷だけで、文久年間に永岡三郎兵衛が設置した事を示す資料が残る。 後の創作物に「長岡屋」とあるのはこの「永岡」が変じた、若しくは意図的に変じさせたものと推測される。 但し、今日「根郷」(流山一〜四丁目地域の旧字地名)のランドマーク的位置付けとなっている事も事実で、往時を偲ばせる遺構として「秋藤土蔵」として親しまれている。 これらの情報が幾多の公文書で確定されたの数年前で、現状では石碑・看板に書かれている内容等は誤認情報・個人的想像が...
Read more埼玉の三郷に住んでた時、新撰組局長だった近藤勇の最後の場所として流山を知っていたので、隣の街である千葉県流山に何か無いか?と思い散策したら、ありました。
斬首された場所かどうかは分かりませんが、近藤勇が幕府軍として戦った最後の場所としての跡碑を見て、色々考え深くなりました。
一道場主が、ある意味会津藩主預かりの京都守護職という地位を得て、最後には立派な将軍家の家臣となったかた。自分の正義と夢のために生きた方。
幕府と将軍を守るため生涯戦い、 最後まで戦うことが出来なかったのは、無念だったと思いますが、 ある意味、倒幕されるのを目にすることがなかったのは良かったかも知れません。
とにかく、今の日本の歴史を語る上で、なくてはならない重要な存在だと思います。
あまり知識がない上、知ったかぶりをしてるようなら、申し訳ございません。
私としては、 幕末が好きで、これを機に京都など色々な場所を訪問するキッカケとなった場所です。
何か良い知識がありまして...
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