This is a wonderful museum with a fascinating history on the brutal persecution of Christians in Japan. I knew it was hard for them, but I had no idea there were so many martyrs here. There's plenty of English information, and a lot of great historical context. Highly recommended even if you aren't religious. Of particular note is information on the hidden Christians and how they practiced. There's a video of one of their old Christmas eve rituals that is quite powerful. The idea that they used statues of Kannon, also known as Guan Yin, the Goddess of Mercy, as a stand in for the Virgin Mary is a...
Read more豊臣秀吉がキリスト教を禁じたのは天正15年(1587年)、まだ天下統一を果たす前であった。しかしこの時出された“バテレン追放令”は、実質、キリスト教への強制的改宗や公然とした布教活動を禁ずるものであって、むしろ個人の信教の自由をおおむね保証する内容であった。 ところがその約10年後、秀吉はキリシタンに対して苛烈な対応を取る。 それが日本最初の殉教事件 「日本二十六聖人の殉教」である。
発端は、土佐に漂着したスペイン船・サン=フェリペ号であった。この船の積み荷を没収したことから始まったいざこざが直接の引き金となって、秀吉は突如キリシタン弾圧を命じたのである。 その弾圧の矛先は、京都や大阪で教会を設立して公然と布教活動を行っていたフランシスコ会の宣教師とその協力者であった。 そして捕らえられたのは、6名の外国人司祭と修道士、日本人信徒18名であった。
慶長元年(1597年)1月3日 彼らは第一の処罰として一条戻り橋で左の耳たぶをそぎ落とされた。 さらに京都・大阪・堺で市中引き回しとされ、1月10日になって、処刑を行う為に約800km離れた長崎まで徒歩で連行される事になる。 この死への旅路に加わった者の事情は様々であり、マチアスと呼ばれた信者は、本来捕縛されるはずの者と同じ受洗名であることから自ら縄を受けて加わり、本名も年齢も伝わっていない。 また最年長のディエゴ喜斎、パウロ三木、ヨハネ五島の3名はイエズス会の信者であったが、自ら捕縛するように訴え出て名を連ねた。 更にこの3名の世話をするように申しつけられ随行したペトロ助四郎は道中で受刑者に加わり、同じく一行の後を追って合流したフランシスコ吉もいつの間にか受刑者として処刑されることを望んで許された。 こうして長崎に着く時には26名となった一行は、慶長元年(1597年)2月5日に処刑が決まったのである。
彼らは全く死を怖れなかった。 むしろ殉教することを喜びとしている様子であった。 最年少12歳のルドビコ茨木は、刑場に着くと自分の磔にするための十字架がどこにあるかを役人に尋ね、一番小さなそれに走り寄るとそれに口づけをした。 また次に年少だった13歳のアントニオは十字架にかけられた直後に、両親が改宗するように懇願するも、逆に入信することを勧めた。 そして並んで十字架にかけられた二人の少年は、高らかに賛美歌を歌い始めたのである。 さらにその歌声が続く中、パウロ三木は最後の説教を始めた。 「私は何の罪も犯したわけではございません。 ただイエス・キリストの福音を述べ伝え、その教えを広めたという理由だけで殺されるのです。 ただ私の切に願いまするのは、太閤様をはじめ全ての日本人がイエス・キリストを信じて救いを受け、キリシタンとおなりになることでございます」。 4000人を超える民衆が見守る中、こうして26名は殉教したのである。
この事件については、取り締まる側もかなり同情的であったとされる。 鼻と両耳を切り落とすよう命じた秀吉に対して、京都奉行であった石田三成は最小限度の処罰として左耳たぶだけをそぎ落とすよう命じた。 また処刑の総責任者であった寺沢半三郎は、最初の面会の際に、ルドビコ茨木に対してキリスト教を棄てれば養子として迎える旨を打診している。そして処刑の一部始終を検分した後、憔悴して涙を流してその場を立ち去ったとされる。
日本での最初の殉教者となった26名は、その後1627年にカトリック教会より列福を受け、さらに1862年に列聖を受けて日本人関係で初の聖人と認められた。 この聖人へ列せられて100年後の昭和37年処刑地である西坂の丘に公園が設けられ、記念碑が造られた。 正面には26名の昇天の姿が刻まれ、その裏には京都から長崎までの彼らの祈りの道の...
Read moreNot religious myself or in any way affiliated to any belief but do acknowledge the pain and pressure up to deaths of that era like I would where and where any liberal thoughts and attempted social advancements would be broken down by ultra violent brute power. For me and just for me though the museum was too centered on religious beliefs, no room for thought outside the...
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