以前、母方の大昔の御先祖様や祖父母がいる深堀菩提寺にお参りをするときは、聖福寺や某フランス夫人が献堂した中町教会(カトリック)の近くの民宿に泊まり、 早朝、ちょっとした坂を登ると、中国風の 黒っぽい山門に金色の大位牌のような額、 がそびえ立つ唐寺。(この頃の私はスマホやデジカメを持って無かった)長崎唐寺をよく観ると、摩羯羅魚(まからぎょ)がかなり居ます。火災除けです。 山門をよく観て、右側を登ると惜字亭(中国神話に蒼頡という目が四つ有る神がいて、彼は世界を見渡して文字を発見した。 それが東アジア諸国の漢字)この清浄な炉の🔥で書き損じの経文などを燃やしてたそうです。近くに地蔵堂が在りおばちゃん達が掃いて、真っ直ぐ行くと天王門。そして大雄宝殿(だいゆう、とは釈尊の事)を 此処の和尚さんが公開しており、明清朝ごろの摩訶迦葉尊者・本尊釈迦牟尼仏・阿難尊者と他にも諸尊がいます。 他のの興福寺、崇福寺とは違う所もあり、 大雄殿の床が土床ということ。 仏式の関帝、媽祖堂もない。(福済寺、聖福寺の媽祖さんは近くの長崎歴史文化博物館に寄贈しています) 朱色が乏しい侘びた雰囲気。唐寺のみならず、長崎原爆投下で速く劣化しています。 現在の情報では、修繕工事が始まったので、聖福寺の出来上がるのを心待ちにしています。御朱印もいただけるようなので、 お楽しみに。 Ps、工事が終わり、元通りに近い姿になったら、関帝や媽祖像が返ってくるそうです。ランタンフェスティバルのときに盛り上がると良い事です。もしかして、コインパーキングを使う時に気を付けて下さい❗ボッタクリパーキングもあると思われます。よくよく料金表をみて停めてくださ...
Read more唐僧木庵(もくあん)に師事して名僧の誉れが高かった長崎の人鉄心道胖(てっしんどうはん)のために、時の長崎奉行や在留唐人の有志が一寺を創立したのがこの寺で、興福・福済・崇福の3福寺とは創立の由来が異なる。建築様式は鉄心が修業した宇治の黄檗山(おうばくさん)萬福寺に倣って、朱丹塗りを極力避けているが、黄檗天井・半扉(はんとびら)その他の黄檗様式の特徴はある。 大雄宝殿は、現在の建物は正徳5年(1715)の改築。工匠は長崎の楠原与右衛門。釉瓦(ゆうがわら)は肥前武雄製。 天王殿は長崎唯一の遺例で、宝永2年(1705)に堺の棟梁により建立された。 山門は堺の豪商・京屋宗休(きょうやそうきゅう)が寄進し、堺の棟梁により元禄16年(1703)に建立された。 鐘楼は、天王殿と同じく宝永2年に着手された堺と長崎の棟梁の合作で、遅くとも享保元年(1716)に竣工しており、県内の鐘楼建築では現存する最古のものである。 聖福寺の境内は、山門、天王殿、大雄宝殿、鐘楼、方丈の建物で構成されており、黄檗宗寺院特有の伽藍配置をよく継承し、創立当時の伽藍遺構を構成する一連のものとして、建築史的価値の高い貴重な建造物である。
長崎市HPより
山号は万寿山、...
Read more長崎三福寺(唐3か寺)とここ聖福寺で長崎四福寺と呼ばれています。 4か寺とも黄檗(おうばく)宗になります。黄檗宗とは、江戸時代に幕府の招きで来日した隠元禅師が、日本にもたらした宗派です。その際に、いんげん豆や普茶料理も一緒にもたらしました。因みに総本山は、京都宇治の黄檗山萬福寺です。
伽藍は、地形のおかげか?原爆投下による焼失を免れた様です。 訪問した際、山門と大雄宝殿は保存修理の途中で、ほとんど見られませんでした。 山門では、何やら作業中という感じで、大雄宝殿は既に解体され、何もありませんでした。 この様な状況は仕方ないことですが、その保存修理を請け負った業者の社名を見て感動しました。それは、あの「金剛組」だったからです。金剛組とは、現存する世界最古の企業で、聖徳太子が四天王寺建立するにあたり朝鮮百済の技術者を3人招聘し、その内の1人金剛が創業者となった組織です。 京都や奈良などの神社仏閣で、修繕工事をしているところを多々見ましたが、金剛組が請け負っているのを見たことがありませんでした。今回、これが見られただけでも感動しました。
御朱印について、庫裏?寺務所?にて聞いてみました...
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