☆昭和34年建造の鉄筋コンクリート天守は閉鎖中、木造再建計画あり道険し😅 徳川御三家の筆頭「尾張徳川家」の威光示す天守😲
1610年築城は西国・北国大名20家による「天下普請」、特に天守が鎮座する天守台は築城の名手『加藤清正』の丁場割(担当)、天守台石垣は現存、約410年前の石垣積、北と西は高さ20mの高石垣、清正流「扇の勾配」実感、野面積と打込接の中間施工、隅部の算木積ちょっと未完成、武骨な部分が時代を象徴、改めて凄い技術と感心、天守も中々完成度高い外観復元天守、威風堂々🏯 ※少し写真追加📷️
☆「尾張名古屋は城でもつ(保つ)」✨ 尾張名古屋に名古屋城はなくてはならないシンボル、それが名古屋城天守🏯 昭和34年(1959年)、名古屋開府350年記念に再建された鉄筋コンクリート造りの博物館であり展望台、それでも実際は戦前に調査された実測調査図や乾板写真を基に旧天守を再現、でも最上階の展望室の窓だけガラス窓増やし旧天守とは違う外観😅 中々、どっしりしてます名古屋城‼️ 五重五階地下一階層塔型天守、小天守と橋台で繋げる連結式、延床面積は姫路城の2倍、当時としては最新式の巨大天守、近江膳所城から始まった「天下普請」の集大成、流石です🤔
☆名古屋城天守、石垣除いて36.1m、江戸城~大坂城の天守が焼失した後は、1665年から1945年まで約280年間、日本...
Read more名古屋城は、昔から金の鯱で有名ですが、関ヶ原の戦いに負けた豊臣側の財力を減らす為に豊臣側の小判を集めて、それを溶かして鯱に貼り付けたのが金の鯱だとか。太平洋戦争で燃える前は国宝でした。燃えた金の鯱の金を集めて金を溶かして今は金の茶釜になっています。江戸時代に名古屋城の瓦が重たくて名古屋城が傾き、それを直す為に何本かの太い縄を使い、傾いた逆の方向から名古屋城を引っ張ったとか。重い瓦を止めて今のような軽い銅板の瓦にしたそうです。昔のように名古屋城を完全に木造で造るそうですがエレベーターは付けないで欲しいですね。エレベーターを付けたら完全木造の意味が無くなりますから。犬山城も姫路城も彦根城も松本城も昔のままだから意味があるし、名古屋城も何十年先には元の国宝になるかも知れませんので車椅子に乗った人とか足に障害のある人も名古屋城の上に行きたいからエレベーターを付けて欲しいとの意見がありますが、気持ち的には本当に分かりますが、申し訳ないですが、エレベーターなど付けたら木造で造る本来の意味が無くなりますので我慢して欲しいです。こんな事をクチコミにする私も...
Read more名古屋のシンボルですʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ👍🦐キンシャチ✈️
少し前に キンシャチを 運び 下に下ろして 見物できる様にしました(((o(゚▽゚)o)))♡
私は コロナ禍なので 最近は 近くまで行っていませんけど かなり金のキンシャチ豪華です👍👍👍😊😘😍🥰❣️
幼少期の頃から 何度も行きましたので
最近は お城の中に入る言葉もありませんけど
名古屋の観光地なので
全国 世界から 見学に来て とても良い居場所です・:*+.(( °ω°...
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