御本尊は、平清盛(管理責任)および平重衡(遂行責任)の暴挙で灰燼に帰した東大寺の再建に多大な尽力をされた俊乗坊重源(ちょうげん)上人が、宋から持ち帰ったと伝えられる「五劫思惟阿弥陀仏坐像(重要文化財)」である。阿弥陀如来と言えば、かの定朝作となる平等院鳳凰堂の本尊に代表される様に、広く標準化・一般化されたオーソドックスな印象を持つ仏像であるが、この五劫院の阿弥陀如来はかなり異相で独特である。
寺の説明に拠れば、四十八の大願成就の為に永い間思惟を続けた結果、この様な髪型(AfroHair)になったという。この阿弥陀如来には髪型だけでなく顔立ちや姿形にも、他にはない特徴がある。まず、頭は三頭身。顔は四角く、頬にエラが張り、扁平に近い。それぞれが小ぶりな目と鼻と口は、顔面中央に集まっている。どちらかというと赤ちゃんに近い。さらに両の目と口は真一文字に結ばれ、手は衣から出さず、印相(いんぞう)を結ばず、足も衣からは出さずに結跏趺坐(けっかふざ)。髪型以外の殆どすべてが控えめでありながら、後背は派手で、金で太く真円を描き、力強い光彩を放っている。
お寺の名前である五劫院の「劫」の字は、寺の定義に拠ると『四十里立方の大磐石に天女が三年に一度舞い降りて羽衣で一摩(ひとなで)し、その磐石が無くなるまでの途方も無い時間』であり、その「劫」の五倍の時間を、地球を救う為にこの仏様は費やして来たということである。
中国には、万・億・兆・京...
Read more予約もせず、特別拝観の日でもない日に、参拝させていただきました。 手入れの行き届いた、綺麗なお寺でした。 次回は特別拝観の日に参拝させていただきたいと思います。
2024.8.11 8月の特別拝観にて、五劫思惟阿弥陀仏坐像を拝観させていただきました。このご本尊がアフロヘアの仏様としてあまりにも有名で、クローズアップされてしまいますが、ほかにも素晴らしい歴史を抱えられたお寺でした。 東大寺の大仏がこれまでに治承の兵火、永禄の兵火により2回焼失し、それぞれ重源上人、公慶上人により再建されたことは歴史の教科書で学びました。なんと重源上人がこのお寺をひらき、本堂横には伴墓もあり、公慶上人のお墓も墓地にまつられていました。本堂に置いてありましたリーフレットをいただいて初めて知った次第です。もっと衆知されていいお寺ではないかと思いました。 墓地の入り口は、見返り地蔵が見守...
Read more華厳宗の仏教寺院。東大寺は南都焼き討ちに遭遇した。それは、治承4年(1180年)に平清盛の命を受け、平重衡(保元2年1157年~玄歴2年1185年・たいら の...
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