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Tosa Inari Shrine — Attraction in Osaka

Name
Tosa Inari Shrine
Description
Nearby attractions
Tosa Park
4 Chome-9-9 Kitahorie, Nishi Ward, Osaka, 550-0014, Japan
Wakoji
3 Chome-7-27 Kitahorie, Nishi Ward, Osaka, 550-0014, Japan
Tocotoco Dandan
6 Chome-6 Itachibori, Nishi Ward, Osaka, 550-0012, Japan
Samuhara Shrine
2 Chome-5-26 Itachibori, Nishi Ward, Osaka, 550-0012, Japan
Takakiyabashi Park
3 Chome-1 Minamihorie, Nishi Ward, Osaka, 550-0015, Japan
Chikurinji
1 Chome-9-3 Honden, Nishi Ward, Osaka, 550-0022, Japan
Enokojima Art, Culture and Creative Center
2 Chome-1-34 Enokojima, Nishi Ward, Osaka, 550-0006, Japan
Matsushima Shinchi
1 Chome Kujo, Nishi Ward, Osaka, Japan
Street Kart Osaka
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Satsumahori Park
4 Chome-2 Itachibori, Nishi Ward, Osaka, 550-0012, Japan
Nearby restaurants
Kadoya Shokudo
4 Chome-16-13 Shinmachi, Nishi Ward, Osaka, 550-0013, Japan
Royal Host Amidaike
3 Chome-11-24 Kitahorie, Nishi Ward, Osaka, 550-0014, Japan
Tenkaippin - Nishi-Nagahori
3 Chome-10-22 Kitahorie, Nishi Ward, Osaka, 550-0014, Japan
Takoyaki and Oden Takohiro
Japan, 〒550-0014 Osaka, Nishi Ward, Kitahorie, 4 Chome−8−16 KSプレステージ北堀江 1F
尾道ラーメン十六番 本店
4 Chome-3-4 Shinmachi, Nishi Ward, Osaka, 550-0013, Japan
GREENCAB グリーンキャブ(ラテ&カレー&カヌレ)
Japan, 〒550-0014 Osaka, Nishi Ward, Kitahorie, 4 Chome−2−40 s10
薪窯イタリアン it.oven
4 Chome-6-20 Shinmachi, Nishi Ward, Osaka, 550-0013, Japan
鮨 あさ吉
4 Chome-10-22 Shinmachi, Nishi Ward, Osaka, 550-0013, Japan
komugi
Japan, 〒550-0015 Osaka, Nishi Ward, Minamihorie, 4 Chome−19−6 アーデンコート西長堀 1F
Sapporo Soup Curry JACK Shinmachi
3 Chome-8-9 Shinmachi, Nishi Ward, Osaka, 550-0013, Japan
Nearby hotels
Live Max Osaka Dome Mae Hotel
2 Chome-19-2 Chiyozaki, Nishi Ward, Osaka, 550-0023, Japan
Smile Hotel Namba
3 Chome-3-9 Saiwaicho, Naniwa Ward, Osaka, 556-0021, Japan
Bijou Suites Lieto APM
1 Chome-4-55 Honden, Nishi Ward, Osaka, 550-0022, Japan
Picnic Hostel Osaka
2 Chome-8-3 Saiwaicho, Naniwa Ward, Osaka, 556-0021, Japan
Awaza House 2
6 Chome-2-21 Itachibori, Nishi Ward, Osaka, 550-0012, Japan
R Home Sakuragawa Riverside
3 Chome-1-6 Saiwaicho, Naniwa Ward, Osaka, 556-0021, Japan
Alla Scuderia Bijou Suites アッラスクーデリア ビジュースイーツ
2 Chome-18-11 Chiyozaki, Nishi Ward, Osaka, 550-0023, Japan
The Peak Chiyozaki
2 Chome-21-14 Chiyozaki, Nishi Ward, Osaka, 550-0023, Japan
Ohana Welcome Home「家」系列精品民宿 IN大阪 難波館
4 Chome-1-2 Sakuragawa, Naniwa Ward, Osaka, 556-0022, Japan
Hotel Route Inn Osaka Honmachi
2 Chome-6-6 Nishihonmachi, Nishi Ward, Osaka, 550-0005, Japan
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Keywords
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Tosa Inari Shrine things to do, attractions, restaurants, events info and trip planning
Tosa Inari Shrine
JapanOsaka PrefectureOsakaTosa Inari Shrine

Basic Info

Tosa Inari Shrine

4 Chome-9-7 Kitahorie, Nishi Ward, Osaka, 550-0014, Japan
4.1(223)
Open 24 hours
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spot

Ratings & Description

Info

Cultural
Scenic
Family friendly
attractions: Tosa Park, Wakoji, Tocotoco Dandan, Samuhara Shrine, Takakiyabashi Park, Chikurinji, Enokojima Art, Culture and Creative Center, Matsushima Shinchi, Street Kart Osaka, Satsumahori Park, restaurants: Kadoya Shokudo, Royal Host Amidaike, Tenkaippin - Nishi-Nagahori, Takoyaki and Oden Takohiro, 尾道ラーメン十六番 本店, GREENCAB グリーンキャブ(ラテ&カレー&カヌレ), 薪窯イタリアン it.oven, 鮨 あさ吉, komugi, Sapporo Soup Curry JACK Shinmachi
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Wakoji

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4.0

(52)

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Tocotoco Dandan

Tocotoco Dandan

4.0

(76)

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Samuhara Shrine

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4.4

(1.6K)

Closed
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Osaka: Private Traditional Ceramics Experience
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544-0025, Osaka, Osaka, Japan
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Candlelight: 久石譲の音楽の世界
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Thu, Dec 11 • 5:00 PM
大阪府大阪市中央区上町A7, 540-0005
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Nearby restaurants of Tosa Inari Shrine

Kadoya Shokudo

Royal Host Amidaike

Tenkaippin - Nishi-Nagahori

Takoyaki and Oden Takohiro

尾道ラーメン十六番 本店

GREENCAB グリーンキャブ(ラテ&カレー&カヌレ)

薪窯イタリアン it.oven

鮨 あさ吉

komugi

Sapporo Soup Curry JACK Shinmachi

Kadoya Shokudo

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3.9

(1.1K)

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Royal Host Amidaike

Royal Host Amidaike

3.7

(569)

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Tenkaippin - Nishi-Nagahori

Tenkaippin - Nishi-Nagahori

3.7

(344)

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Takoyaki and Oden Takohiro

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4.6

(49)

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PB OSHIKUMAPB OSHIKUMA
■かつて東京にはほとんどの県の出張所や宿舎、学生寮があった。「ふるさとの訛り懐かし」いところで、集団就職した少年たちはその近くを通るだけで元気づけられた。江戸時代の各藩の藩邸もそんなものだったろう。方言が何のためらいもなく使われていた。 大坂の土佐藩邸は、長堀川(ながほりがわ)を南北から挟んで、東は鰹座橋(かつおざばし)、西は玉造(たまつくり)橋までのところにあった。土佐からの人や物資を積んだ和船が大坂湾から木津川を上り長堀川にまで入ってきた。幕末のころは、武市半平太ら勤王の志士も、坂本竜馬や後藤象二郎もこの鰹座橋のたもとで船を降りた。 長崎から大阪に出てきた彌太郎は、明治3年、西長堀の土佐藩邸の責任者になり、藩の政務のほか蔵屋敷や開成館大阪出張所(大阪商会)の活動を取り仕切った。藩邸には土佐藩の若者たちが大勢居候して勉学に励んでいた。彌太郎の弟彌之助もその中にいた。 藩邸は実は鴻池(こうのいけ)や銭屋(ぜにや)など豪商の抵当に入っていた。廃藩置県に先んじて発足した九十九商会は、大阪商会の事務所を引き継ぎ、土佐藩の借金を肩代わり返済した上で、藩邸の大半の払下げを受けた。 一方、土佐稲荷は古くから土佐藩邸の屋敷神(守護神)として崇(あが)められてきた。山内家の当主は参勤の都度立ち寄って敬意を表してきた。彌太郎も守り神として敬(うやま)った。 たとえば、明治5年の彌太郎の日記にある。「雨、夕顔(船名)東京に赴(おもむ)かんとす。余また新宮に赴かんとす。午後雨甚(はなはだ)し。夕顔出航を翌日に延べ、稲荷社において祈祷を行う。余もまた祈祷す」 明治6年に三菱を名乗り、翌年本社を東京に移したが、引き続き土佐稲荷は三菱で守ることにした。 三菱と土佐稲荷 西長堀付近は、戦災に遭うまでは創業のころの面影を残していた。1944(昭和19)年の『養和会誌』には、三菱マークのついた大阪支店の倉庫や赤レンガの事務所を描写した紀行文が載っている。 土佐稲荷の東隣りが彌太郎の屋敷だった。昭和40年代に西代(にしんだい)耕三氏が土佐稲荷の宮司になった時は、屋敷跡は大阪市立大学の家政学部のキャンパスだった。大きな楠と「岩崎舊邸(きゅうてい)阯」と刻まれた石碑が校門のかたわらにあった。のちに大学は郊外に移転し高層住宅が建設されることになった。邪魔な楠と石碑は撤去するという。菱友会が中心になって保存運動を展開し、各社の支店長クラスが大阪市に陳情した。 「…お蔭様で楠と石碑は残り、ここが三菱発祥の地であることを伝えています」 若いころ三菱商事の社員だった西代宮司は当時を思い出しながら語る。かたわらの長堀川は今では自動車道路になってしまい往年の面影はない。 1993(平成5)年、三菱各社の浄財により念願の新社殿が完成し、各社のトップや地元の人たちが大勢参列して記念式典が行われた。 文・三菱史料館 成田 誠一 ※三菱広報委員会発行「マンスリーみつびし」2003年1月号掲載。本文中の名称等は掲載当時のもの。 ■大阪にスリーダイヤの神社(とことんサーチ) 三菱発祥の地 信仰今も 問屋街近くに土佐藩邸 岩崎弥太郎 事業拠点に 2017/2/25 6:00 スリーダイヤの装飾が施された土佐稲荷神社の屋根(大阪市西区) 画像の拡大 スリーダイヤの装飾が施された土佐稲荷神社の屋根(大阪市西区) 大阪市西区にある土佐稲荷神社は、神紋に三菱を象徴するスリーダイヤのマークを使っている。屋根の飾りや賽銭(さいせん)箱、灯籠のほか、社務所で販売するお守りにまでスリーダイヤが確認できる。大阪と強く結びついてきた住友グループに対し、三菱グループといえば東京のイメージが強い。いったいどういう関係なのか。三菱と大阪の知られざる関係を調べた。 長堀通と新なにわ筋が交わる鰹(かつお)座橋の西南すぐにある土佐稲荷神社を訪ねた。圧巻なのは、境内を囲む石柱である玉垣。三菱銀行、三菱商事、三菱重工業に始まり、キリンビールや日本郵船、旭硝子など、日本経済を支える三菱グループの主な企業名が刻まれた柱が30以上も並ぶ。こんな神社が他にあるだろうか。 神社の案内によると、江戸期、神社を含む一帯は土佐藩邸と蔵屋敷が占めた。藩主の山内家は1710年、京都の伏見稲荷から分祀(ぶんし)し、藩の守護神とする神社を開いたという。三菱の創始者、岩崎弥太郎は幕末、土佐藩に仕えた。そうした経緯で三菱もこの神社とかかわるようになったのだろう。 まずは東京にある三菱グループの企業で作る広報組織、三菱広報委員会に問い合わせた。すると、返ってきたのは「大阪の土佐稲荷神社こそが三菱発祥の地です」との明快な答え。それによると、弥太郎は1869年ごろ、土佐藩邸の責任者となった後、藩の借金を肩代わりするという条件で藩邸と蔵屋敷を下げ渡された。弥太郎はこの場所を拠点に事業を起こし、それが後の三菱財閥につながった。もちろん神社も受け継ぎ、三菱の守護神とした。 弥太郎は1874年に本拠地を東京に移し、大阪の敷地は大阪市に譲渡した。だが、土佐稲荷神社はその後も守護神であり続けた。境内には弥太郎の弟の弥之助が寄進した青銅のこま犬があり、銘文が刻まれている。 現在、土佐稲荷神社が神紋にスリーダイヤを用いているのはそうした経緯からだ。その後、神社は独立した宗教法人になり、「現在は三菱とは公的な関係はない」(同神社)というが、「今でもグループ企業の役員や社員が参拝に訪れることがよくあります」(三菱広報委員会)とのこと。現在まで信仰は生きているのだ。 それにしても、なぜ土佐藩はこの場所に大阪の拠点を置いたのか。藩邸や蔵屋敷といえば、もっと北側にある中之島や堂島が主流だったはずだが……。これについて、大阪の歴史に詳しい大阪市史編纂(さん)所長の堀田暁生さんは「土佐藩の主要産業だった材木とカツオ節が大きく関係しているのでは」と指摘する。 言うまでもなく江戸期の大阪は日本経済の中心だった。全国から集まった材木とカツオ節が取引されたのが当時の長堀川の両岸だった。土佐からの人や物資を乗せた船が大阪湾から木津川を上り、長堀橋まで入ってきていたという。カツオ節問屋の密集地に架かる橋は鰹座橋と呼ばれた。長堀川が埋め立てられ、長堀通となった後も名前だけは残った。 また、長堀通とあみだ池筋が交わる白髪橋は土佐から船で運ばれてきた材木が降ろされた場所で、その名称は土佐の材木の産地、白髪山から来ている。江戸期の白髪橋は白髪山の材木で架橋されたとも伝わっている。 江戸期、材木とカツオ節が土佐藩の経済力を支え、幕末には薩摩や長州と並ぶ雄藩として土佐を飛躍させ、明治維新を経て三菱グループをも生み出した。三菱発祥の地に輝くいくつものスリーダイヤが、大阪と三菱の深いかかわりを今に伝えている。 (大阪・文化担当 田村広済)
Austin GregoryAustin Gregory
Very cool experience. Kind of tucked in but it wasn't crowded and I could take my time to translate the engravings.
宅見肇宅見肇
西長堀駅から徒歩2分程、創建年不詳も主祭神に宇賀御魂神を祀る美しい神社があります。 元は長堀川の土佐藩に鎮座していたのを享保2年(1717)土佐藩主山内豊隆が社殿を造営し、屋敷の鎮守社にしたのが始まりだそうです。 神紋を見ると三菱のロゴ、明治初年に土佐藩屋敷は土佐藩出身の岩崎弥太郎に譲渡され、三菱の財閥の発祥地となり、以後三菱グループの守護神となっています。 ご利益は五穀豊穣と商売繁盛、境内には伏見稲荷大社から分霊を祀ったと有るように、ミニですが千本鳥居らしきものも見えます。 境内社として石宮大神、磐居大神、大黒社、源八社、若宮社があります。他にも岩崎家邸宅跡碑に暴風雨の時に助けられた岩等、縁起の良いものも見えました。 隣の公園と合わせて、シッカリ管理された神社です。
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西長堀駅から徒歩2分程、創建年不詳も主祭神に宇賀御魂神を祀る美しい神社があります。 元は長堀川の土佐藩に鎮座していたのを享保2年(1717)土佐藩主山内豊隆が社殿を造営し、屋敷の鎮守社にしたのが始まりだそうです。 神紋を見ると三菱のロゴ、明治初年に土佐藩屋敷は土佐藩出身の岩崎弥太郎に譲渡され、三菱の財閥の発祥地となり、以後三菱グループの守護神となっています。 ご利益は五穀豊穣と商売繁盛、境内には伏見稲荷大社から分霊を祀ったと有るように、ミニですが千本鳥居らしきものも見えます。 境内社として石宮大神、磐居大神、大黒社、源八社、若宮社があります。他にも岩崎家邸宅跡碑に暴風雨の時に助けられた岩等、縁起の良いものも見えました。 隣の公園と合わせて、シッカリ管理された神社です。
宅見肇

宅見肇

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4.1
(223)
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3.0
7y

■かつて東京にはほとんどの県の出張所や宿舎、学生寮があった。「ふるさとの訛り懐かし」いところで、集団就職した少年たちはその近くを通るだけで元気づけられた。江戸時代の各藩の藩邸もそんなものだったろう。方言が何のためらいもなく使われていた。

大坂の土佐藩邸は、長堀川(ながほりがわ)を南北から挟んで、東は鰹座橋(かつおざばし)、西は玉造(たまつくり)橋までのところにあった。土佐からの人や物資を積んだ和船が大坂湾から木津川を上り長堀川にまで入ってきた。幕末のころは、武市半平太ら勤王の志士も、坂本竜馬や後藤象二郎もこの鰹座橋のたもとで船を降りた。

長崎から大阪に出てきた彌太郎は、明治3年、西長堀の土佐藩邸の責任者になり、藩の政務のほか蔵屋敷や開成館大阪出張所(大阪商会)の活動を取り仕切った。藩邸には土佐藩の若者たちが大勢居候して勉学に励んでいた。彌太郎の弟彌之助もその中にいた。

藩邸は実は鴻池(こうのいけ)や銭屋(ぜにや)など豪商の抵当に入っていた。廃藩置県に先んじて発足した九十九商会は、大阪商会の事務所を引き継ぎ、土佐藩の借金を肩代わり返済した上で、藩邸の大半の払下げを受けた。

一方、土佐稲荷は古くから土佐藩邸の屋敷神(守護神)として崇(あが)められてきた。山内家の当主は参勤の都度立ち寄って敬意を表してきた。彌太郎も守り神として敬(うやま)った。

たとえば、明治5年の彌太郎の日記にある。「雨、夕顔(船名)東京に赴(おもむ)かんとす。余また新宮に赴かんとす。午後雨甚(はなはだ)し。夕顔出航を翌日に延べ、稲荷社において祈祷を行う。余もまた祈祷す」

明治6年に三菱を名乗り、翌年本社を東京に移したが、引き続き土佐稲荷は三菱で守ることにした。

三菱と土佐稲荷 西長堀付近は、戦災に遭うまでは創業のころの面影を残していた。1944(昭和19)年の『養和会誌』には、三菱マークのついた大阪支店の倉庫や赤レンガの事務所を描写した紀行文が載っている。

土佐稲荷の東隣りが彌太郎の屋敷だった。昭和40年代に西代(にしんだい)耕三氏が土佐稲荷の宮司になった時は、屋敷跡は大阪市立大学の家政学部のキャンパスだった。大きな楠と「岩崎舊邸(きゅうてい)阯」と刻まれた石碑が校門のかたわらにあった。のちに大学は郊外に移転し高層住宅が建設されることになった。邪魔な楠と石碑は撤去するという。菱友会が中心になって保存運動を展開し、各社の支店長クラスが大阪市に陳情した。

「…お蔭様で楠と石碑は残り、ここが三菱発祥の地であることを伝えています」

若いころ三菱商事の社員だった西代宮司は当時を思い出しながら語る。かたわらの長堀川は今では自動車道路になってしまい往年の面影はない。

1993(平成5)年、三菱各社の浄財により念願の新社殿が完成し、各社のトップや地元の人たちが大勢参列して記念式典が行われた。

文・三菱史料館 成田 誠一

※三菱広報委員会発行「マンスリーみつびし」2003年1月号掲載。本文中の名称等は掲載当時のもの。

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8w

Very cool experience. Kind of tucked in but it wasn't crowded and I could take my time to translate...

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7y

Neighborhood shrine which is pretty big with an adjoining park. Off the tourist track which is a huge...

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