【歴史探究】 ◉歴史的建造物 時の鐘 📍埼玉県さいたま市
江戸時代の中期の享保5年(1720年)に鋳造された銅鐘「時の鐘」を探究しました。
5時55分に時の鐘周辺をぐるりと探究。
🏛️時の鐘
☆沿革 岩槻🏯下の時の鐘🔔🔔🔔は寛文11年(1671年)に時の🏯主阿部正春の命令で鋳造されました。 渋江口に設置された時の鐘は🏯内や🏯下の人々に時を知らせていました。 約50年後の享保5年(1720年)、鐘にひびが入ったため、時の🏯主永井直陳が改鋳したものが現在の鐘です。 鐘は1日3回撞かれたとも言われてますが、江戸時代後期には1日12回撞かれていたようです。 🍙現地説明板を参照
初代、時の鐘製作者 渡辺近江掾政次(江戸・浅草の鋳物師)
改鋳者 小幡内匠頭行(江戸時代中期の鋳物師)
☆鐘楼 袴腰造の2層建物で屋根は宝形造の、瓦葺。 建築時期は不詳となっており、嘉永6年(1853)大正時代、昭和32年(1957年)、平成4年(1992年)に修理されています。
鐘撞時刻 6時・12時・18時の1日3回
☆銀杏の木 明治29年(1896年)に九条道孝(日本の公家)が植樹。
◉感想 岩槻駅からは少し距離がありますが専用駐車場等が無いので歩いて行くか近くにあるコインパーキング🅿️を利用する必要があります。 住宅街の少し奥まった場所に時の鐘はあるため少々発見しづらいですが同じ敷地内にある巨大な銀杏の木🌳を目印にすると迷いなく行けます。
当時この時の鐘がある場所は武家屋敷が並ぶ武家地と庶民の居住区である町家🏘️との境に設置されていました。 江戸時代中期の頃は鐘撞役4名で管理していたようですが明治維新後の廃藩置県によって藩政が廃止されると鐘を撞く事は途絶えてしまったそうです。 大正時代に入ると復活し、今では機械仕掛けの自動で鐘撞を行っています。
6時🕕の鐘の音🔔が1発目に響いた音には思ったより大きな音💣でびっくりしました。 機械仕掛けの撞木の動きは中々シュールです。 関東地方で現在も時を告げている鐘の中ではこちらの鐘が最古だそうです!
ありがとうございました。
◉所在地 埼玉県さいたま市岩槻区本町6-2
◉アクセス 🚊東武鉄道東武アーバンパークライン/岩槻駅東口から1Km、徒歩16分位。
◉開館時間 24H...
Read more東武アーバンパークライン(野田線)「岩槻駅」東口より徒歩10分ほど。岩槻駅から県道2号線に入り、まっすぐいき、「渋江交差点」を右折するとちょっと進むと左側にあります。とてもわかりずらいですが、ひっそり案内板がありますので見逃さないようにしてください。
岩槻城の鐘楼で、寛文11年(1671年)当時の岩槻城主阿部正春が渋江口に設置したようです。現在でも、毎日、朝夕6時と正午の3回、美しい音色を響かせているようですね。
尚、時の鐘の内部には入れません。ちょっとした石の椅子がある小さな公園程度です。写真を撮っておしまいです。時の鐘の隣にある銀杏の木はとても立派ですね!(秋にくると良いのかも)
但し、ここは、住宅地の中にあり、他所のお宅の敷地とものすごい隣接というか入り組んでいるような感じなので、場合によっては生活感が。。。となり...
Read more時の鐘と聞いて、岩槻の時の鐘を思い浮かべる人がいったいどれだけいるだろうか。 岩槻市民(敢えてそう言います)以外は川越の時の鐘を思い浮かべるのだと思います。 江戸時代、同じく城下町として栄えた岩槻と川越のその後歩んだ道のりが、両時の鐘に象徴されているように思います。 この時の鐘も、知る人ぞ知る時の鐘になってしまいました。 観光地として確固たるポジションを築いた川越と、川越に匹敵していた歴史的な遺産を十分活用できずに廃れてさいたま市に吸収されてしまった岩槻。その差は今や否定しがたいほどになってしまった。 昭和40年代までは市街地にも城跡の土塁が残り、蔵作りの建物も点在していたが、今や見る影も無く、台地と低湿地が織り成す雑木林と水田の風景が産廃施設のヤードに変わっているのを見るたびに何とも言えない感慨がこ...
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